平成14年12月 2002.12

12月22日(日)

 ホームレス第2弾・・・

【20633日】

 予報が外れ雪は降らなかった。外に出てみると以外と暖かな陽気にバイクで外出したが、やはりこの時期当たり前のように寒かった。
都立家政の蕎麦屋で天せいろを腹に入れ、今年最後の運試しで買った有馬記念を見ようと、荻窪の喫茶店ピエロまでかっ飛んでいった。
買った馬券は、馬連枠連三連複すべて、一番、二番、十二番の総買いだ。三時十五分テレビをつけるとなんとも不鮮明な映りにがっかり。
まぁ〜ここは今どき珍しい室内アンテナだから仕方ないと諦め、出走を待つ。すんなり各馬ゲートインも終わり、各馬一斉に綺麗なスタートを切った。中山競馬右回り2500メートル、時間にすればわずか2分少々。武豊騎乗の12番馬はするすると前に出たと思ったら一気に逃げをうって出たが、有力馬である12番馬はズルズルと後方の馬群に飲み込まれたかのようにテレビ画面から姿を消したが、俺の買った1、2番馬は中段好位置に馬体をキープ。12番馬を追っていた8番馬はしぶとくトップち先頭を譲らぬまま、レースは直線に入る。馬群の大外にいる外国人旗手ペリエの騎乗する1番馬に鞭を入れる姿が映し出された。そのすばらしい手綱さばきは、直線いっぱいいっぱいに力を使い切りながらもしぶとく粘る8番馬を捉え、テレビ画面正面に映し出されたゴールライン上を、見事トップで駆け抜けていった。
なぁ〜んて、このレースを手放しで喜んではいられない。着順発表は1、8、2番だって、俺の買った馬券は1-2番。くそっ1着、3着。あの先行した8番馬さえ粘らなければ、今年の有馬記念は取れていたのに。まったく1着3着馬券ほど虚しいものはない。とくに重賞レースでは。
「アレもう帰るの!」という店主の声を背に、とっとと帰宅。気分を変えに阿佐ヶ谷図書館で読書をでもしようかと自転車で再度外出。
加太こうじの「江戸の笑い」を見つけ椅子席に向かうと、そこに薄汚い二人組が椅子を占領し、いぎたなく眠り込んでいるので他には誰も座っていない。仕方なくテーブル席に移ろうとその前を通り過ぎると、ぷ〜〜んとすえた彼らの匂いがあたり一面に充満している。
これでは、誰もこの近くに座るわけも無かろう。それにしても何とかならないのかこの人種。近年やたら目に付きだした冬の厭な現象だ。
日曜の図書館はいつもより大分早い五時閉館。閉館間近のアナウンスと共に、三々五々図書館出口に向かい出す人たちの気配におされ、区切りの良いところで本を綴じ書架に本を戻しに行くと、椅子席にはまだひとりだけ横になって熟睡している。脇には中年の館員が、いかにもといった形でバタバタと本を片づけ、寝入っているかの人の注意を引こうとしているが夢死。寒さ厳しき折、本当に館員さんご苦労さん。

12月13日(金)

 耐えられない存在の証・・・

【20624日】

 寒さのなか肩をすぼめ、どうしても必要なものがあったので、いやいや近所のイエローキャットにいった。
店にはいり捜し物のコーナーに向かうと、薄汚い帽子を被った労働者風の男がうつむき加減に「うぅ〜さぶぅ〜いさぶ〜い」と連呼しながら棚の下に積み上げられた箱に手を入れ、大量なホカロンをカゴに入れている。その男の醸し出す汚らしい気配には「あぁ〜この人はホームレスなのだな、きっと仲間の分も買い込んでいるのだろう」と、誰しもが合点がいくもので、余り近寄りたくない雰囲気そのものだった。
買い物を済ませレジに並んでいると、件の男が俺の後ろについて「さぶぅ〜やってらんねぇや」とか、ぶつぶつ独り言を言っている。
変なヤツに背後に回られるほど厭なものはなく「俺の後ろに立つヤツは、死ぬ運命なのだ」の、ゴルゴ13じゃぁないけれど、順番待ちのレジの列で、俺は腹の中で背後のうっとうしいホームレスを罵っていた。ところが、腹の中で俺に罵られていたヤツの口調が急にかわった。
「○○ちゃん、○○ちゃん」と言っている。それはだんだん親しみを込めた言い方になり、しまいには俺の脇に回り「○○ちゃんじゃぁねぇ〜のぉ〜」といっている。俺が無視をしていると図々しくも俺の脇腹を突っつき「○○ちゃん」と、確信的になっている。腹が立った。支払いを済ませたねぇちゃんも、レジのあんちゃんも、なにやら俺のことを、友達を無視している厭なヤツといった目つきになっている。頭に来た俺は力一杯にらみを利かし其奴を見ると、さすがに間違いに気づいたのか、アララとかなんとか言って照れくさそうに帽子の下に顔を隠した。なにおっと、にらみ返されたらどうしようかと心配したが、巷間伝わるようにホームレスというヤツらは、気の優しい連中なのだろう。しかし、よりによってあの汚いホームレスの仲間に間違われたことがショックだった。これからは身なりに気を付けなくては・・・無念だ。

12月9日(月)雪

初雪です・・

【20620日】

 現在、12月9日午前2時です。恒例のしじみの散歩に玄関を開けた途端、我が家の目の前にある小さな生活空間はすでに真っ白でした。
間違う事なき終わりを迎えた師走2002年、深閑と静まりかえった阿佐ヶ谷の、初雪です。感動を胸にデジカメとヤッケをとりに戻り、外に飛び出すと、リードを放たれたしじみは歌の文句のそのもの。たったたったと目的地に向けて喜び駆け回る、その足跡を追うと道という道はしじみと俺に解放された世界だった。今日の寒さに降る雪で、阿佐ヶ谷の明日はきっと素晴らしい銀色の世界になっていることだろう。
さてさて、初雪写真を撮ったのでこれを乗せてるとするか・・・。明日目が醒めたときの感動を期待して、寝酒もそこそこに休もう。

12月6日(金)

レフト・アローン・・・

【20619日】

 マル・ウォルドロンの訃報を知ったのは一昨日の朝日新聞の朝刊。昼過ぎに目覚めそれを見たときは、とりわけ大きなショックを受けた。当時、時代の夜明けはすぐ其処にあるとはいえ、まだまた日本人のライフスタイルは旧弊で圧倒的に男社会だった。音楽、文化の中心的存在で時代の先駆け的存在でもあったモダーン・ジャズ喫茶でさえその体質は大差なく、その場所にたむろするのは髪を掻き上げ苦悶の表情をした男社会だった。しかし’60年に「ベツレヘム」に録音された彼の名作「LEFT ALONE」が本国アメリカで発表されるが、日本ではまったくといって良いほど入手困難なレーベルであり、ジャズファンにとっては垂涎のアルバムだった。数年後、そのアルバムが「ベツレヘム」のオリジナルジャケットとまったくイメージを変えた黒い色調のジャケットで発売された。このアルバムのタイトル曲「レフト・アローン」は、マルのリリカルなピアノと、ジャッキー・マクリーンのブルージーな陰りを帯びた曲想で、いつのまにか限りなく女性リスナーを取り込んでいった。俺がやっていたジャズの店も例外ではなく女性の来客者が増え始めた。こうして「LEFT ALONE」を引っ提げて日本に上陸したマルは、ジャズ信仰の普及に現れたザビエル的存在となっていった。一日の営業時間で掛けるアルバム枚数はおおよ25〜30枚。明けても暮れてもこのアルバムのリクエストは止むことを知らなかった。その後「ALL ALONE」というアルバムを発表すると、ますますジャズ喫茶は女性参加型の場となり一変して華やかな舞台となっていった。ジャズ喫茶のいやいや日本人にとってジャズという音楽の恩人とも言えるのだ。
その後の活躍は、ネット上でも知れるところだからわざわざ書くこともない・・・取り敢えず、朝日新聞死亡欄 抜粋しておこう。合掌!


名バラード「レフト・アローン」の作曲者として知られる米国のジャズピアニスト、マル・ウォルドロンさんが2日、ベルギーのブリュッセルで死去した。76歳。死因は明らかにされていない。
 ウォルドロンさんは26年、ニューヨーク生まれ。歌手ビリー・ホリデイの最晩年の伴奏者を務め、彼女の詞に曲をつけたバラード「レフト・アローン」などで共演。彼女の没後、アルト・サックスのジャッキー・マクリーンが演奏した同曲がヒットし、人気を確立した。
 エリック・ドルフィーやチャールズ・ミンガスなどとの共演でも知られる。60年代後半から欧州に拠点を移し、今年はフランスで2枚のアルバムを発表している。
 日本人女性と結婚して子供ももうけた。99年にはピアニストで歌手の長女マラさんを含め一家で来日、昨年も「富士通スペシャル100ゴールド・フィンガーズ」に出演するなど、度々来日している。
 代表アルバムに「レフト・アローン」「マル1〜4」「オール・アローン」「ムーズ」などがある。

12月4日(水)

師走の句・・・

【20617日】

芭蕉:何にこの師走の市にゆく烏
蕪村:うぐひすの啼や師走の羅生門
西鶴:世に住まば聞けと師走の砧哉
万太郎:大空のあくなく晴れし師走かな
子規:板橋へ荷馬のつヾく師走かな
漱石:かんてらや 師走の宿に 寝つかれず   たった17文字の中にも、それぞれの師走が見えてきて面白い。