2月28日(木) 惨めなとき幸福だった日々を思い出すことほど大きな悲しみはない ダンテの言葉 【204461日】 町から消えていくというのは>こんな書き出しで暇つぶしをしていたら、大切な友人が天命を知る50歳を目前2月の末日この日、さっさとこの世をおさらばしてしまった。悔しい、言葉が見つからない。彼の存在は大きく、阿佐ヶ谷から数多な人材を輩出した塾の塾長として、また塾長のあだ名で多くの人に愛された、気分の良いヤツだった。ヤツは、オレのジャズ喫茶吐夢に学生服姿で巣くう杉並高校学校封鎖ロックアウト組の一人だった。それから後、30数年たった今も、オレとその時の仲間たちは交流が続いている。素晴らしく嬉しいことであり名誉でもある。 2月26日(火) 門をたたけたたくものはあけてもらえるだろう 旧約聖書 【204459日】 町から消えていくというのは、慚愧の念無念の念または希望であったりと、それぞれの思いがあったのだろう。 2月25日(月) 賢者の口は心の中にあり、愚か者の心は口の中にある はワイドヴィの言葉 【204458日】 唐茄子屋落語会で川柳川柳と吉川潮の対談が聞けるというので、久しぶりになかの芸能小劇場まで出かけてみた。オレが初めて飛行機で北海道に出かけたとき、どうやったらいいものやら恐る恐るイヤホーンを耳に付けた瞬間聞こえてきたのが「歌は世につれ」の文句から始まる落語家川柳川柳の名作<ガーコン>だった。その後、国内フライト(といえるほど乗ってない)のたびに、ジャズ落語の名作ともいえる<ガーコン>がイヤホーンから流れてきた。いまは落語オフィス唐茄子屋として活躍中の譲二と出会ったのは、6年ほど前のことか。そのころの彼は焼き肉屋の店長として羽振りも良く、見かけといえば金銀パールプレゼントを身につけ崩れた気配。ましてや100K180CMを超そうかという体躯に、暑苦しいやらコワイやら、文化とはかけ離れたところにいるタイプの無頼漢だった。 2月24日(日) 恥は若者にとって名誉であり、老人には屈辱である はアリストテレスの言葉 【204457日】 消えた町の点景話を地モッティの呑み友達で盛り上がったら、阿佐ヶ谷新人類はまったく面白くない顔だった。 2月21日(木) 苦しみの代償は経験である はパスカルの言葉
【204454日】 今日もまた、こりもせず錆び付いた記憶の引き出しの奥に隠れている、消えた町の点景を抜き書きしてみた。 2月20日(水) 人にほめられたいなら自分のことをほめるな はパスカルの言葉
【204453日】 過日、雑記帳で阿佐ヶ谷の町から消えてしまった店のことを、錆び付いた記憶の引き出しから抜き書きしてみた。ら、その反響が意外と大きかったのには驚いた。ならばと、もう一度、記憶の引き出しにCRCを振りかけてみた。 2月17日(日) この世のすべてのものは泡沫にすぎない はゲーテの言葉
【204446日】 我が家の近辺の電柱など公共物が塗り替えられている。公園の造作物もすべて下地なのだろうか白一色に塗り替えられた。昼間は綺麗なのだが、深夜になるとその白一色に塗られたものたちが不気味に冴え渡る。昨年のベスト1ミステリ「模倣犯」のプロローグの舞台になる公園のごみ箱が妙に危険信号を発しているようで気にかかってしまう。 ジュネ、ジャンバルジャン、旅荘利女八、トレビア、雀のお宿、村さ来、茜舎、米久、屋台カメヤ、バゼーヌ、コタン、カムイヌプリ、ポニー、クリシュナ、もっきりや、キロンボ、ギャングスター、逆さクラゲ太郎、リッキー、北大路、茶居花、ギンナン、熱気球、町奴、新京、青島、娥楽亭、熱海、泉、王者、囲炉裏、アランフェス、クマさん、パンダ、鳥三桝、川中島、平凡、岩佐、石庭、屋根裏、ワイルドサイド、裏窓、ドラ猫、サラ、長崎屋、宮田家具店、木村屋、パチンコみやこ、銀鮨、亀半寿司、鮨大ちゃん、焼き肉東苑、好味屋パン、ジロー堂書店、親玉食堂、雀荘うさぎ、雀荘みどり、案山子、ガンバルニャン、ピノチオ、ベルク、静岡屋、邪馬台国、おみせ、ナナヤ、ピーマン、ホームラン軒、ピーターパン、緑屋、割烹請川、都寿司、万吉うどん、金玉ラーメン、三チャン、ミームン、タローズハウス、襟金館、オデオン座、三河屋パン、一力、白鳥、早苗質店、松坂屋貸衣装店、サラリーマン、ブルドック、魚津、ケルン、えにし、オームラーメン、ちゃんこ大祥鵬、弁天寿司、浅草っ子、角一、割烹登龍・・まだまだあるのに思い出せない。 2月13日(水) 人間は自然界の中でもっとも弱い葦にすぎない。だが
考える葦である はパスカルの言葉 【204446日】 司馬遼太郎が亡くなって早6年。昨日は司馬遼の命日である「菜の花忌」だったのだと今日の朝日新聞で知った。記事を読み下していくと、幾度となく読み返してしまった素晴らしい言葉にぶつかったので記しておこう。 2月08日(金) ああ幸せな年月よ再び少年に戻ることを望まぬ者がいるだろうか はバイロンの言葉 【20442日】 一国一城、一哭一縄、一刻一冗、一告一情、一酷一錠、一穀一醸・・・なにやってんだか、ひまだなぁ〜〜! 2月04日(月) 明日できること今日はせず は石塚公昭の言葉 【20438日】 喉がひりひり、声を出すと金属的なギャギャ〜ンという声がオレの耳にはねっかえってくるのが気持ち悪い。 2月01日(金) 大衆は小さな嘘より
大きな嘘の犠牲になりやすい はヒトラーの言葉 【20435日】 しじみの散歩が365日あるので風邪などに患っていられない身分なので、ここ数年風邪とは無縁な体だった。
昨年の11月25日新宿pit
innライヴには、ミュージシャンになったその時の仲間が参加しているということもあり旧友たちとCD完成を祝ってくれ、終電間近最後の最後まで楽しんで帰っていった。あれからまだたった2ヶ月。
なんということだ。とくにヤツとオレはうまが合い、ジャズを媒介に文学、落語と何でもかんでもよく話し合った。ともに意地の張り合いだった碁将棋、そして酒、思い出は枯れること尽きることない豊富な時間をヤツと過ごした。とくにバイクの免許は、同時期に教習所入所、ともになかなか卒業できない劣等生という競い合いが懐かしい。
卒業後、仲間たちとともにツーリングをした時、山道のワインディング・コーナーをトロトロと景色を見ながら出てきた彼が言った「コーナーなどは生きて出てこれればいいのじゃ」の名言は忘れることは出来ない・・・なのにヤツはさっさと50歳というコーナーを回り切れずに逝ってしまった。ヤツの得意な口回し身振り手振りよろしく「そ〜〜いうこともあるかもしれん!」の科白も、もう聞けないと思うと「なんてことしやがるんだ」と無性に腹が立ってくる。聞けば、入院一週間でヤツは逝ってしまったそうだ。それも死の5分前まで医師と話していたというではないか。きっとヤツは、今まで背負ってきた一生分の話を身振り手振り面白おかしく医者を困惑させていたのだろう。
それにしても、ヤツが入院した頃と時を同じに始めた<町から消えていくシリーズ>・・・なにか考えさせられる!
忽然と町から消えた点景を書き出していると、その佇まいを残していた時期が数ヶ月数年数十年であろうと、その佇んでいた姿の後ろに、それぞれの人々の人生が見え隠れするので、濃密な気分になってくる。なにゆえ濃密な気分にさせられるかというと、この町の一員としての関わり方の濃淡はあろうが、時代を共有したある種の同志的な観が湧いてくるからなのだ。このことは、もっと膨らませて書きたくなってきたぞ・・・バカだなぁ〜作家でもないのに!中央大学水泳部宿舎、中大プール(現けやきプール)、玉野ゴルフ練習場(現駐車場)、玉野プール、花籠部屋、花籠親方中島邸、オデオン座の桜、玉野屋敷後(現ホテル・スカイコート)、オーム道場、スワンプビーナス(ヘビメタ)、天祖神社の呪い石(現神明宮)、東美(画材、吉沢シュークリーム、松本園芸、ノッパラッタ(民芸)、威風堂々(無国籍居酒屋)、ちゃぱ亭(インド)、KAZAMIDORI、沼津港(回転寿司)、うめ吉(とんかつ)、楽屋(酒場)、きりん(甘味)、東京建設資材置き場(現徳養ホーム)、西友屋上遊園、ビアガーデン・・・今は無くオレが住んだアパートや家の数々・・懐かしいが疲れた、歳を取った分量分だけ記憶を辿るというのは大変な作業だ、徹底的に思い出したら書き足そう!それにつけても、このところ毎日雑記帳付けてる、どうしたことだ!
しかし話せば意外な面を見せる好青年。そんな彼と急速に親しくなったのも、唯一ふたりの意志の疎通が交わされた落語。そのなかでも落語家春風亭柳朝を題材にした吉川潮<江戸前の男>は、彼の人生の転機にもなった本であり、その後、猪武者のごとく一直線に落語世界に飛び込み、ついには芸能企画会社を立ち上げきっかけにもなった。
先年、オレは自店の35周年記念に製作したCD「ASAGAYA
FRIENDS」のジャケットを、人形作家石塚公昭さんに懇願要請。結果、「ASAGAYA
FRIENDS」のジャケットは、その筋の方々からも、今世紀初頭、レコジャケ・ベストテン確実と、天にも昇るような賛辞の言葉を頂戴する。そして、その彼が、吉川潮さんの文庫<突飛な芸人伝>の表紙装丁をしているのも奇縁。そして、彼との間を取り持ってくれたブルースマン谷やんも根っからの演芸落語好き。
フライト初体験ジャズ落語川柳川柳、演芸話の著者吉川潮、ジャズ人形作家石塚公昭、そして、今回その三者を結びつけた落語オフィス唐茄子屋・・・なんとも縁は異なもの おつなものである。
中野の町から消えたJAZZの店オーブレー、ビアズレー、いもはうすのオーナー最後の砦<ハラーズ>で、谷やん、石塚さんとオレの奇なる3人は、ビールでお疲れさまの慰労会。終電ギリギリ3人はともに家路に急いだのだった。
慈久庵(蕎麦)、樋口眼科、パピヨン(スナック)、ブック・イン(本屋)、高峯(酒場)、キャリー・オン(スナック)、十月(喫茶)、佐伯書店(古本)、牛友チェーン、多楽福(酒場)、大将(焼き鳥)、梁山泊(スナック)、平成信用金庫、ノア(スナック)、さくらんぼ(スナック)、サトウ靴店、太陽神戸銀行、三和銀行、東邦信用金庫、いわしや(酒場)、じょんがら(酒場)、トミ(喫茶)、えびす(焼き鳥)、北海(居酒屋)、阿佐ヶ谷公益質屋、車屋(民謡酒場)、中野家具店、丸正阿佐ヶ谷駅前店、ベビー堂(玩具)、泉米店、
はぁ〜ぁ疲れた疲れた、歳を取ると記憶を辿るというのも大変な作業だな・・・また思い出したら書き足そうか!
キッチントップ、バーベキュー倶楽部、みなみ、夢酒、永島慎二邸、ジュン、華、新光ビリヤード、さんきゅう、林園、モーツアルト、モンク珈琲店、篠原病院旧館、松浦病院、松竹映画館、八雲洞宝飾、コベール、珈琲園、福よし、杉並公証役場、紅葉菜館、鶴の湯、土佐っこ、むつごろう、富士ランチ、鳥盛、ひまわり、東光ストア、芝仁青果、芝仁ボーリング場、阿佐ヶ谷卓球会館、力車、忍者亭、弁天池、中村歯科、孔雀荘、かんすい荘、どくだみ荘、骨董白楽天、骨董竹本、Vブロック、エプロン、天国、茂左右衛門、木村食堂、キングビスケット、ビスキュー、米代、こうちゃん、典子、オークラ、喫茶エル、安藤証券、横綱、あじさい、林檎屋、メンソーレ・・・
思い出のある店が意外と思い出せなく、縁もゆかりもないところの名がひょいと出てくる・・・キッチントップなど真っ先に出てきても良かろうものが、まったく妙な頭の体操である!今日から50音順にリストアップしてみた。
はぁ〜ぁ疲れた疲れた、歳を取ると記憶を辿るというのも大変な作業だな・・・また思い出したら書き足そうか!
が、なかなか思い出せないので阿佐ヶ谷の地番道路路地商店街を空に画いて歩いてみたら絞り出されるように懐かしい名前が出てきた。さすが35年の現役阿佐ヶ谷の生き字引を豪語するオレと、記憶の一人遊びで悦に入っている。先日もカミさんを誘って写真散歩の足を青梅街道まで延ばしたら、街道沿いにある、ちいさな喫茶店がバブル期に潰れた昔のまま朽ち果て廃屋状態でその姿をさらしているのを見つけ!二人で驚きの声と共に写真を収めたのだった。あぁ〜なんだ〜永島先生の青春漫画「若者たち」の舞台になった懐かしのポエムを忘れていたじゃないか・・・!
あれ、まことや文具店あるじゃん!虎屋椿山パールセンターの奥に引っ越しただけじゃないか・・・失礼しました。倉田骨董店、熊谷商店、タカノフルーツパーラー、長生湯、栄湯、タイニーラブ、画廊喫茶K、アフターグロウ、牌こうラーメン、三チャン本店、からし亭、松月、大橋総菜店、五叉路の魚屋、アコム、永谷、奥村青果、マルハチ、遠近近方、二番街(昔の小さな商店街。西友の位置にあったのだ)、ドブ板飲屋街(高架線と喫茶祇園の裏通り)。
はぁ〜ぁ疲れた疲れた、歳を取ると記憶を辿るというのも大変な作業だな・・・また思い出したら書き足そうか!
変貌を遂げる阿佐ヶ谷、時系列では思い出すことは難しかったが消えて行った店舗を書き出してみた。懐かしい!
「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」「21世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、全盛期にもまして尊敬し合うようになるのにちがいない。・・・」。いい言葉である。まさに、まさに、そのとおりだとオレも思うのである。
ただオレの場合は、尊敬できる要素がない人間とはうまくいかないという、単純な動機、というかわがままな性癖。司馬遼が次世代へ鳴らす警鐘の微塵も伺えない世界観は、アタリまえだのクラッカー。浅はかな個人主義的人生観。先日も、尊敬しているカミさんの実家の義母からの電話で大失態を演じた。「こんにちは、お元気ですか?」「はぁ〜まったく景気が悪くて体調の加減が分かりませんよ」「世の中そうらしいけど、がんばりなさい」「はぁ〜世の中どうなろうと、自分とこが良くならなきゃ〜やってられませんよ」「あなた、そんな自分さえよければいいってものじゃないでしょ、みんな苦しんでるのに自分さえよけれればなんてぇ〜」「ははぁ〜ご無理ごもっともです〜」。
この一件以来、義母からの電話には前にもまして慎重に言葉を選ぶようになった。これが尊敬の証なのだろうか?
深夜の隠れ酒場Kのカウンターに残った常連たちの話も尽きることがない、閉店間近のことだった。
「阿佐ヶ谷に旨い魚屋があるんだけど知ってるかい」と、頭の展開が早く話の接ぎ穂もない話題豊富な御仁が宣う。誰あろう、元名プロデューサーといわれたY氏である。すでに現場からはリタイアしているが、その精力的な活動は、常人では推し量れぬ行動範囲を誇る。W監督をして「神出鬼没なYさんの行動力の源は、なに、たいしたことではない、じつはYさんは3人の分身がいるのだと思う、だから、きょうのYさんは2人目のYさんなのだろう!」と感嘆!そのYさんの行動は範囲はとどまることも無く、昨夜、Yさんとの忙しくも慌ただしい会話の最中にW監督は、オレに向かって「Yさんは、もしかしたら分身は8人かもしれない!」と一気に5人も数え上るにいたった。
魚屋に関しては、阿佐ヶ谷原人を誇るオレも嘴をはさんだ。大店舗攻勢に個人商店の姿がすっかり消えたきょう日の阿佐ヶ谷で、残る魚屋はすべて網羅しているからだ。「そりゃYさんの錯覚、だって三和銀行の裏手の一角に店舗など一軒もあるわけがない、だってオレはあそこの近所に住んでいたこともあるし、写真散歩でこの街は知り尽くして居るんだものね!」と胸を反らせて豪語。食い物道楽のW監督なども「オレも知らないぞぉ〜!」と追い打ちをかけると、人の良いYさんは「うちの嫁さんがしょっちゅう買って・・・むにゃむにゃ」と自信なさ気な態度。
さんざ揉めたあげく今日のデジカメ日記に写る3人が、閉店を期に「よぉ〜し、これから現場検証にいこぉ〜〜」と帰っていった。誰もいなくなった店内の片づけをしていると先の3人が意気揚々ドヤドヤと階段を上がってきた。「なぁ〜〜んと魚屋あったよぉ〜!これから一緒に見に行こう〜」相当呑んでいたというのにこの連中元気である。 そこは南口駅前の三和銀行裏手にある駐車場と細田工務店11階ビルの下に魚屋らしき家がひっそりと佇んでいた。魚屋の看板は見えぬが、軒先には発泡スチロールの箱など、いかにも魚屋でありますといった道具立てが揃い、店先の砂利道にはホタテなどの貝殻が敷き詰めら、なかなかの気配を醸し出していた。そのビルと駐車場の暗がりの一隅は、まるで佃島の真ん中に立っているような錯覚に陥り、とても阿佐ヶ谷とは思えぬ景色のなかにあった。
この魚屋を知らなかった迂闊な阿佐ヶ谷原人は、すっかり感動してしまった。そして、写真的な発想から言えば、こんな素晴らしい被写体になる景色にも感動。Yさんの「うまい魚屋がある」という一言から始まった、深夜の阿佐ヶ谷探訪にも感動。感動ついでに、みんなを誘って明け方まで飲み明かした深夜の不良大人4人は元気だった。
お悔やみで実家に帰った妻の留守、油の切れた体を引きずりながら手間のかかる愛犬しじみの夜の散歩に出かけた。いつものコースのなかで急ぎ足で帰路につく仕事帰りの人たちに向かう形になるコースが数カ所あって、えてしてこういった人混みのなかで、愛犬忠犬しじみは粗相をすることがある。今日も今日とて案の定といおうか、オレのコース取りの迂闊さから、中杉通りの信号の手前で、グッと腰を降ろしやがった。正面の信号待ちの人たちは見て見ぬ振りをしながら歩いてくるのは、なんとも嬉しい限りだ。しじみといえば、出す物を出した爽快感からとっとと信号の向こうに渡ろうと首に巻かれたリードもなんのその、スゴイ力でグッと前にでた。情けないのはビニール袋に物体をしまいかけていた主人あるオレ様。危うくその物体を宙に放り上げそうになりながら、コノヤロ主人たるものここで叱らねば示しがつかないとばかり「こらっまてだろ〜!」と叫んだ悲鳴のような声の情けなさに、人が振り返った。人は見かけで判断どころか、なさけない力のない声にさえ人は、犬さえもに判断されることをしっかりと確認した。
小説家で毛越寺僧籍にあるH氏は、生臭さに生きることと健康が自慢だったが、近年よく風邪をひく。一度罹るとひと月ほども「風邪の症状が抜けない抜けない!」とぼやくことしきり。そのH氏が、日頃タバコの吸いすぎからくる咽喉炎で仕事中に度々むせ返っているオレに「ヤノちゃんそりゃ、かぜだわ!」と、おもむろに呪文を唱えた。
それが、木曜の夜・・・その夜は明け方まで和子とサダちゃんと3人で、いつものDで飲み明かし機嫌良く帰宅。
開けて2月の1日の午後、朝起きたら〜〜〜うわぁ〜風邪やんけ〜〜〜〜ついにやられちまった〜〜トラぶった!
鼻水が止まらない、寒気が止まらない、喉が痛い、食欲がない、すべての意欲が失われてしまった。
恐るべしH氏の呪文のひとこと。そういえば、昔、痛風の発作がそろそろ治まりだしたので、仕事場に復帰したある日、H氏が現れ「よかったよかった、フムそれでは完治させてやろう」といいつつ、懐から数珠を取り出し、じゃらじゃらこすり「なんじゃらかんじゃら〜えいっや〜!」と呪文を唱えてオレの患部である足に数珠を押し当てた。
信じられないが、その翌日から痛風の発作が再発。二度とあの人には妙なことはさせないと心に誓ったのだった。
その誓いを忘れたわけではないが、敵も然る物H氏の素早い行動には、とても呪文を交わす暇もなかった。
そして、オレはその呪文の甲斐あって、喉の痛み、止まらぬ鼻水、関節痛に苦しんでいる・・・しかし、H氏呪文?