平成15年5月 2003.5

5月31日(土)

台風上陸

【20829日】

 五月に台風上陸という記録的な陽気の最中、沖縄に向かう友人二人。飛行機は飛んだのか、無事にあの地に着いたのだろうか心配である。
そういえば、渡邉監督の「ぷりてぃー・ウーマン」が今日から関西方面で封切られるというので、監督は舞台挨拶のため台風に向かって大阪京都に出張っている。この雨では、劇場に足を運ぶ人もさぞかし少なかろう。外の雨音を聞きながら、なことを思いながら、家でごろごろしていると、バイクが我が家の前で停まりピンポーンとチャイム鳴った。出てみるとずぶ濡れの濡れ濡れになった東京電力の人が立っている。開口一番「すいませぇ〜〜ん!電気代が未払いなもので集金に来ました」「えっ!それはそれは雨の中をご苦労様です」と応えたが、支払い関係には人一倍気前のよい俺としては思い当たる節がない。「それってうちですか?」と聞き返した。ずぶ濡れ集金人は「えぇ〜と」と言いながら玄関脇にあるポストの表札を確認した途端。「申しわけありません、間違えました」。週末のこの大雨の中だというのに、ハイご苦労さん!

5月26日(月)

東北地震

【20824日】

 女房と二人で新宿文化3で渡邉孝好監督作品<ぷりてぃウーマン>を見ていた。4時40分開演の映画もそろそろ大団円にさしかかる頃、にわかに建物がユラリユラリと揺れだした。横に座る相方も気が付いたらしく「地震みたいね!」と、不安げに囁いた途端、ぐらぐらと建物全体が激しく揺らぎだした。生来の地震嫌いの俺は「でかいぞこれは!」と劇場内に聞こえるほどに声を震わせた。その声に愕いたのか、同列の席に座っていた太めの中年女性がにわかに立ち上がり、悲鳴に似た独り言を吐きながら外に飛び出していった。ここはビルの五階でかなり怖い。怖いけれど逃げ出したところで・・・どうなるものかと気を取り直しスクリーンに集中しようとするが、いっこうに揺れがおさまらない。
こんな時、逃げだしたおばさんの判断が良かったのかなどと地震嫌いな俺としては最悪な状況が頭をよぎってしまうので、集中力は途切れる。が、泰然としてスクリーンを見つめる相方がいては、ここは男の甲斐性とばかりに慌てふためくわけにはいかないのも、結構辛いものがある。とうわけで、せっかく渡邉監督に映画の感想をしっかり伝えようと観に来たというのに、作品の大事な後半部は、語れなくなってしまった。
観賞後、映画の話でもしようと立ち寄った喫茶topsでお茶をしている最中も、ここのウエイターたちが賑やかに話す地震の会話に耳さえ持って行かれ、結局映画のことは上の空になっている二人だった。それにしても新宿で地震などの災害にあったら、これはもう最悪だろうと思った。家に帰り地震情報を見て、震源地が宮城沖、マグニチュードが7.0、震度6という大きなものだったので驚き、関東も危ういのではと震撼した。そういえば間の悪いことに、先日からご親族のお葬式で仙台に行っている<すずしろ句会>の宗匠M氏も、さぞかし驚いたことだろう。

5月22日(木)

犬猫の日

【20820日】

 毎月22日は猫の日だと、ペットショップ・コジマの女店員が教えてくれた。確かにコジマでもらったカレンダーを見たら22日は赤い猫マークがついていたニャンニャン!ちなみに11日は犬マークが赤く付いていたワンワン。まったくもってこの日本、平和ボケの脳天気でよろしい。

5月19日(月)

歌う石井ひとみ

【20817日】

 フラメンコから始まって、ジャズと詩の朗読、昨日は尺八と津軽三味線のデュオ+石井ひとみちゃんのヴォーカルという妙なライヴを見た。店もまぁ〜まじめに開いたので、仕事面ともども結構充実した五月になりそうだ。残り1/3になった五月後半には渡邉監督の『プリティー・うーまん』を観に行く予定なのだ。今日の休みに行こうかと思っていたが、相も変わらぬじとじと天気なので部屋でくつろぐことにした。映画欄を見ると映画芸術のコバちゃんの親分、荒井晴彦さんが脚本を書いた『KT』をBSでやるという。コバちゃんから試写会にまで誘われながら結局劇場に足を運ばなかった映画だったのでこれ幸いと観たが、金大中事件の結末が知れていると言うこと、作品も骨太のようでなさそうで残念ながらスカ!昨日もそうだが、四六時中ライヴ=打ち上げのパターンですっかり胃の調子が悪くなっていて、少し肝臓を休ませないとやばそうな気配だ。

5月15日(木)

【20813日】

(一) ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある、人と栖と、又かくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、いやしき人の住ひは、世々を経て、尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋れば、昔しありし家は稀なり。或は去年焼けて今年つくれり。或は大家ほろびて小家となる。住む人も是に同じ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似りける。不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主と栖と、無常を争ふさま、いはゞあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。
(二)予、ものの心を知れりしより、四十あまりの春秋をおくれるあひだに、世の不思議を見る事、やゝたびたびになりぬ。

5月4日(日)

素敵なヒターノ

【20802日】

  4日午後12時、友人であった故金森正雄の追悼会に出席するため、長野は高遠に向けて阿佐ヶ谷駅前を、同乗四人の仲間たちと出発。
首都高の混雑を避けるため抜け道を使い調布から入った中央道は、連休中ながら平日より空いていた。ある程度の渋滞は覚悟していたが、拍子抜けしてしまうほどの流れの良さに、車は爽やかに疾走し車内同乗者も、気分は爽快大満足。談合坂サービスエリアにて名物カレーパンを頬張りしばしの休憩。後、車は諏訪インターを目指し疾走中、あり得ぬ場所からにわかの渋滞。のろのろ走りの末に見えてきた景色の数メートル先、追い抜き車線に発煙筒が焚かれ、慌ただしく人が車線変更を指示しているではないか。現場に近づく車の中で「自己渋滞かな?」と同乗者達は、興味津々。やがて現れた現場の気配は一転。対向登り車線に横転した車が腹を見せ道路を遮断している。通行止めを喰った車からは沢山の人たちがある一点を見つめている。その目線の先にあるガードレールの下には、頭から血を流し俯せに手足を投げ出した女性がひとり。その現場の悲惨な有様に、同乗者では唯一の女、和子が「あっやだ!」と叫び、目を伏せた。俺たち同乗の仲間4人は、日本中をバイクや車でツーリングをしてきたが、あのような悲惨な現場に出くわしたことは初めてだった。であるわけではないが、野次馬根性丸出しで瞼に焼き付くほどに現状を見つめ記憶してしまったことは、いま思うにとても辛いことになってしまった。名も知らぬその人に合掌!
 本日の宿、高遠町「廃校の宿」に着いたのは午後5時。先発のバイク隊と釣りし隊は既に到着し、それぞれ山に川に出張って姿は見えない。人気のない「廃校の宿」周辺をぶらつきながら、飯の時間まで所在なく時間を過ごしていると、後発の車二台が到着。これで総勢15名。
三々五々集まり始めた宿の部屋には、飯の時間まで待てないと始めたビールの空き缶がゴミ袋を満たし始め、みんなの顔は長旅の疲れから、真っ赤に上気している。この連中と同じ屋根の下同じ釜の飯を食うのは何年ぶりのことだろうか。全員集合を待ち囲炉裏が切らせた気配の好い食堂で食事を済ませ、宴会場となった部屋に戻ると、酒と食事で満たされた連中の熱気と、これからがんがん飲むぞの活気が、充満している。そこへ、明日の会場である金森の山荘にステージを造っていたタケとセキが、倅の塁がアホなアメリカ人ダンと馬鹿元気なH子ちゃん、乱入。やんややんやで宴もたけなわの最中に、明日のメーンイベンター、ルイス・アグヘタと通訳、ジャムライスのプロデューサーIさん、そして故人の妻の登場に、ますます宴会は大ヒートアップ。成田直行、長野高遠着というハードスケジュールで疲労の色を浮かべながらも、アラン・ドロン似のハンサムな顔にご機嫌な笑顔を見せるルイスは、スペイン・フラメンコ界の大御所アグヘタ一家の末っ子で、故人がスペイン時代に生活を共にしたグッド・フェローで故人のせがれ塁のゴッド・ファーザーでもある。その彼が、故金森正雄の一周忌と、追悼コンサートを行う為スペインから、ただいま到着したというから、もう居並ぶ面々は大変なのだった。ルイスも酒、焼酎を生で一気にがんがん飲み始め、やがて酔いも回った頃、故人を偲んで感極まったルイスが、突如歌い出した。それは、いまどう書いて良いか、言葉には表すことが出来ない感動だった。ただ言えることは、あの場あの時に居合わせた幸せは、故人がくれたかけがえのない最高の贈り物、ここに来て良かったということなのだ。
あとで聞いたことなのだが、気まぐれなヒターノがあのようなことをすることは滅多にないというから、これは素晴らしいプレゼントである。ひとしきり飲み騒いだルイスたちも今日は山荘に帰るということで彼らをを送り出したそのあとも、山々に抱かれた高遠の宿「廃校の宿」は投宿客もなく、明け方近くまで膨れあがった仲間たちの賑わいで、鄙な静かさは失われていた。が、翌日はルイスはじめ皆の頭は騒がしかった。

5月3日(土)

五月よ・・・

【20799日】

 五月になると思い出すのは、明日から出かける長野は高遠で晩年を過ごした金森正雄。彼は俺の友人で阿佐ヶ谷組。明日から、彼の追悼を兼ねたコンサートに参加するため、かつての仲間たちと彼の晩年を過ごした山荘に出かける。
昨年の春四月に旅立った彼は、その昔かの有名な新宿の風月堂でバイトをしていた。がその後、諸外国を漂流しながら、バイト時代に見つけた若き妻とふたりでスペインに着地した。そんな時代の急進的な若者だった彼も、五月生。
『井の中の蛙大海を知ってどうするの』が、座右の銘である俺とはまるで正反対な生き方をしてきた彼だったが、日本に帰ってきてからは、そんな正反対な性格が幸いしたのか彼の人生の終焉まで共につき合いが終わることはなかった。よく飲み、よく遊んだ。連むことが嫌いな二人ながらバイクで林道ツーリングにも出かけた。その後大きく膨らんだバイク仲間のマスツーリングにも参加するようになっていった。その数年後、彼は家族で長野の山奥に山荘を造るのだと阿佐ヶ谷の家を解体して引っ越していった。その時、この計画の応援を求められたバイク仲間の残党たちは、粉骨砕身暇さえあればバイクを、車を飛ばし、おっ取り刀で手助けに行った。山道の舗装からはじまり、山の斜面を馴らし、木を伐採し、ひたすら山小屋計画実働部隊として働いた。インフラは統べてなし、なにもないないない尽くしのどん詰まりの山奥、夜は真っ暗闇の中を寝袋ひとつにくるまりながらのテント生活だったが、みな額に汗しながら楽しかった。数年がかりで出来上がり暖炉を入れて歓声が湧いた山荘は、そんな仲間たちの別天地オアシス的存在になっていった。一昨年、東京あど弁舎35周年記念CD「ASAGAYA FRIENDS」の完成記念PITINNライヴにもわざわざ長野から元気な姿で訪ねてくれた彼が、その半年後に病に倒れ急死。見舞いにも行かなかった俺は万感迫る思いで、毎日が辛かった。主亡きあと<たまねぎ小屋>と名付けられたその山荘は明日から執り行われる彼の追悼コンサートによって、かつての山の姿を知る人も知らぬ人も沢山の人たちがやってきておおいに賑わうだろう。だけど俺は心穏やかならぬ、長野行。昨日の日記にいみじくも書いてしまった『俺は春に死にたくない・・』は、彼の急死が色濃く影を落としている。

5月1日(木)

五月よとどまれ

【20797日】

 五月になると思い出すのは、阿佐ヶ谷の河北病院で逝った寺山修司。彼の友人、唐十郎や谷川俊太郎も阿佐ヶ谷組。その谷川俊太郎が弔辞として書いた詩の中にも、『二十才 君は五月に誕生した<中略>五月よとどまれきみの額に<中略>きみの五月にきみは旅立つ<中略>五月よとどまれきみの背中に』と、五月に逝った寺山を謳っている。
そして今日は平成十五年の五月一日。
ゆらりとした五月の風に吹かれながら、酷い夏、淋しい秋を迎え、やがて辛い寒さの冬支度のなかで、あっという間の一年を振り返る繰り返しの一年を予感させる始まりの一日。その最中のこの季節、死について思うことがある。
『願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃』と辞世の句を詠んだ西行の歌があるが、冗談じゃないとんでもはっぷん、人たちが集い賑わう華やかなその季節に、ひとり死んでゆくなんて。寂しがりやの俺は春に死にたくない。『願わくば 布団の中にて 我死なん その霜月の氷雨の頃』人々が寒さに悴みそれぞれの一年の後悔をし始めた頃。
これがいい・・・。それにつけても、エジソン・エンジンのライヴの日が刻々と近づいてくる、あせるぜ五月!