平成15年7月 2003.7

7月27日(日)

美味なるものの充足感

【20884日】

 旨い蕎麦屋があるといえばなにはともあれ馳せ参じねばならぬという使命感を持つ、ソバッ食い仲間の映画監督ナベさんらと、粋な隠れ蕎麦屋に行って来た。
近所の有名どころの蕎麦屋は総なめ状態のソバっ食いは、目新しい蕎麦情報があると、その店は何処だ何処だと空騒ぎながらも、しっかり情報を握りしめている。最近滅多にない蕎麦屋情報を伝えてくれたのは桜台に住むKくん。桜台近辺は「橡」、「なかむら田中屋」、「名月庵田中屋」、「山禅」、「甲子」などなど練馬の蕎麦屋名店がひしめくところ。これはけっこう期待が出きる。Kくんに聞くところによると、蕎麦は旨く量も程々、日本酒も酒のあても揃い踏みの値段は安価な満足感。住宅街の中にある一軒家を改造した店構えもなかなかなら、働く娘がこれまた絶品の器量もち。話半分でも「こりゃいかなけりゃ」と思うのが人情。
しまいには、「僕が車で迎えに来て、蕎麦屋まで案内しますよ」と来ては、それ行けスマート!(ちと、古いか)というわけで、今日そこへ行ってきたのだ。
ナベ監督、Kくん夫妻と俺を乗せたベンツ(ベンツで蕎麦屋ですよ)が、環七の豊玉陸橋から脇道に滑り込んでしばらく走しり、とある高級住宅街?の一角に停まった。一軒の住宅を改造した一階部分に、瀟洒な店構えの入り口に粋な気配の暖簾を下げた蕎麦屋があった。「ほぉ〜こんなところに」と、ナベ監督と納得。
予約を入れていたお陰で、座敷に向かい入れてくれた女性二人の応対も実にさわやで丁寧。みれば、「なるほどォォォォ〜こりゃ美人だ!」顔には出さず呻く。
この女性二人は聞くところによると、この家の娘さん姉妹。姉の方は、このような大和撫子的な女性がおったんかい!と感動する立ち居振る舞い、ものの言い。
妹さんはといえば姉とは対照的な現代的でキューティな顔立ちで男が見惚れるほど可愛らしく、姉妹ともに見事な小顔美人。すでに蕎麦は何処やら気もそぞろ。
本題に戻すとしよう。なにはともあれ、蕎麦道本則に則りまずお酒を注文。選んだお酒は、ちょい甘口の青森の名酒田酒。つまみは、これも本則に則り厚焼き玉子、本ゆばのわさび添え、ニシンの山椒漬け、そばがきなどなどで、運転手役のKくんをほっといて、「お酒のお変わりお願いします」と、はやくも本調子。
ノンアルコールをぐびりと開けるKくんに気遣い「そろそろ、おそばと行きますか」とお品書きをみると・・・せいろ600円、てんせいろ1.000円の安さに驚く。ご三方が注文したのが、せいろ一枚 これがソバッ食いの保守本流。俺はと言えば、どうせ彼らのせいろから少し頂ければいいやと、この店の名を冠した粗挽きそばのてんせいろ。いい塩梅のお待たせ時間の後に運ばれてきた蕎麦と器の姿を見て、「綺麗な蕎麦じゃないか」これは期待できるとナベ監督と、満足の目と目。
早速粗挽き蕎麦を、これまた作法道理に数本つまんで口に放り入れると、蕎麦の薫り高く濃厚な味が口いっぱいにほわぁ〜〜んと広がる。交わす満足な目と目。
すかさす俺のせいろに手を伸ばすナベ監督に「おぉ〜そんなもってくなよぉ〜」と、ナベ監督のせいろに逆襲の一箸でザックリと奪い、またもや満足な目と目。
重厚な厚手の皿に盛られたさらしなも、粗挽きも皿のそこに水気はなくじつに丁寧に水切りをしてあるので、つゆと蕎麦の絡まり方の絶妙さに、旨いと声がでた。何処かの蕎麦屋じゃないけれど、バーコード状にせいろに盛られた蕎麦をありがたそうに食い終わり、店を出てから15歩目には「あぁ〜小腹が空いた!」というような、すかしたかたちなど微塵もない、せいろ一枚の満足感を、久しぶりに味わえた。こういった充足感は、生きてきて良かった「もとめよさらばあたえられん」なのだ。いい一日だった。さぁ〜また明日から・・・雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な胃袋をもち ・・・一日に蕎麦二枚と大酒と少しのつまみを食べ あらゆることを自分の勘定に入れず 他人の勘定とする人生他力本願 そういうものにわたしはなりたい。 ちゃんちゃん・・・!

7月23日(水)

不運は続く

【20880日】

 井伏鱒二&上林暁展をやっているというので、今日が貸し出し期限の中原中也集を返しに、小雨降るなか自転車を飛ばして阿佐ヶ谷中央図書館までいってきた。展示会は図書館の地下。階段を降りると左に喫茶食堂。右手はかつてレコードなど音源の貸し出しをしていたが、いまは空きスペースになっているその場所が展示場。10畳ほどのスペースをコンパネで仕切っただけの会場は、見るからに質素でこっそりとしていた。恐る恐る会場内に足を踏み入れても、入り口に座る係の女は、俺のことなど見向きをせずにひたすら読書に没頭している。会場内の展示物を見渡せば、その狭い空間に二人の作家の作品本が時系列的に置かれ、壁面には既に何度も見たことがある写真と説明文と、ガラスウィンドウの中には数点の自筆原稿があるだけの寂しさ。そんな気配だからその狭い空間は見事に辛気くさい。
展示場からのぞける向かい側の喫茶食堂の方が賑わっている有様に、おもわず空腹感をもよおし食堂に飛び込む。妙にムッと蒸し暑い店内に思わず尻込みをしたが、空腹感に負け貧弱なメニューの中からスパゲティを注文し、先ほど借りた和田誠の「似顔絵物語」なる本を広げ煙草を吸おうとすると「おタバコはこちらの窓の方でどうぞ」と、席の移動を強要され、しぶしぶ移動。待つこと10分〜いやもっと経っただろうか注文のスパゲティはまだこない。後から来た客のコーヒーなどは、いとも速やかに運ばれている。わざわざ見に来た展示会の貧弱さと食堂ののんびり加減に、じれったさが加速し始めいらついてきた。と、本を持つ左手の甲に小さな虫がとまりチクリと刺しやがった。クッソ!窓の席へというから移ったのに、この季節に窓を開放してれば虫が入ってくるじゃないか。せこいことせずにエアコン入れろよ、胸くそ悪い。てな気分では和田誠の「似顔絵物語」なる本の文章もそぞろで、活字も踊り出してきた。気分じりじり手の甲ボリボリと掻いている本の脇に「おまちどうさまぁ〜!」お盆に載ったスパゲティが、そっと優しく置かれた。その上品な言葉使いとふわっとした女性らしい仕草に心が一気にほころび「まぁいいか」とひとりごちしてスパゲティにかぶりついた。「まっずぅ〜い!なんなんだこのまずさわぁ〜」はぁ〜まったくついてないなんたる不運。 7月に入って太陽の顔を見た記憶がないほど今年の梅雨の寒さと湿気の日々の午後、勇を奮って来たのについてないやら情けないやら。よし今日後半は逆転だぁ。

7月18日(金)

γ-gtp

【20875日】

 梅雨寒という言葉がある。7月の声を聞いてから太陽を拝む日がなくなったような寒い日が続き寝床も過ごしやすく睡眠過多状態で、何時までも寝てしまう。
その分、水分補給量が少なくて済むのだが、なぜかこのところ下っ腹に脂肪がドスンと居座りはじめ、その肥満体質気味の我が肉体は誠に虚しいかぎりである。
そうなると、お約束のように五臓六腑の働きが劣り食欲もなく燃焼不足の脂肪を抱えた肉体の動きも鈍くなる。日常の生活リズムの活性化は、はかばかしくない。 前回、名医と信じる掛かり付けの富永クリニックで調べた血液検査等々の結果は<γ-gtpも400から180>という数値ですこぶる良好だったことから来た慢心が、いままた急降下を遂げ始めていると確信できるこの肉体を持て余しながら、おののく日々。そこで、おきまりの健康診断というお医者詣での他力本願が始まる。
健康診断で思い出したのが、先日久しぶりにあったkちゃん。彼女ははBARを営んでいる、ぼっちゃり型のかわぃこちゃんタイプで、普段から明るい性格と気っぷの良さで、暗さの微塵も感じさせぬ気前の良い性格。そのうえ酒豪と来ているから人気も上々で、昨今売り出し一押しの、新宿の若き名物ママなのだ。
そのkちゃんが先日、図体もでかくヒグマのような風貌で辺りを驚かすTとやってきた。開口一番「今日はウーロン茶ちょうだい」と妙な気配で何時になく意気消沈しているkちゃん。どこかへこんだその気配に理由を尋ねた。「うぅ〜ん一月で4キロ太っちゃったの、調子も悪くてさ。それで医者に行って検査したのよ。その結果が今日でたの」とカバンの中からとりだした検査表を見せてくれた。<γ-gtp 1440>0の記入間違いか?驚いた!目を疑った。こんな数値見たことがない。 これは人間として生命を脅かされかねない危険値である。俺は、心で呻いた。映画「学校」の田中邦衛演じる肝硬変で死に行く男が、この数値だったのだ。
カウンターに座り、ぼんやりしているKちゃんを後目に酒を呷り「まぁ〜へこでても仕方ないから呑むにかぎる」と、他人ごとで雄叫びをあげる、おばかなT。  Kちゃんが電話で席を外したときに「Tよぉγ-gtp1440ってそうとうやばいんだぞ」と説明。「えっそうなんだγ-gtpてなんのことだか知らなかった!」と驚いているT。たしかに俺も若い頃はそんなものに恐れることはなかったし、知らなかった。いつ頃からだろう、このγ-gtpという記号に悩やまされだしたのは・・・
俺の義理の父は、酒も嗜まぬのに肝硬変からガンになり若くして死んだ。昨年は、友人二人をこの病で失った。静かなる臓器といわれる肝臓・・・
てなことを書いているうちに、医者に行く時間がなくなってしまった。まぁ〜いっか今日も寒い陽気な週末だ、精一杯おいしい酒を飲んでたのしもぉ〜!

7月13日(日)

入盆

【20870日】

 お盆に入ったので散髪に行った。床屋というものはおいそれと替えることが出来なく今日行った床屋も、通い始めてからはやいもので、既に数十年になる。
平成3年12月26日の大雪の日に彼岸に旅立った母の葬式の最中「おまえは喪主なんだから、ちょんまげは止めておくれな」と、俺を諫める叔母の言葉に従い、前日からほとんど睡眠をとれないままの眠い目をこすり、この床屋で束の間の睡眠とちょんまげの断髪式を行った。そして今年はちょんまげと母の13回忌にあたる。  床屋の夫婦もあれから13年。黒々とした髪が白くなり「商売柄みっとももないのもなんだからさ」といいわけをしながら、髪を染め始めたのがそのころだった。 いまや姿かたちが衰えを見せ始めた旦那の髪は、哀れにも黒く染まった髪の毛など見あたらず、すだれ状に残った少量の髪は黒く染まらず紫がかって見える有様。自慢の種は、若くして白内障の手術をしたことで老眼どころかくっきり見えすぎて、いまだに裸眼で仕事ができることと、長年連れ添った可愛い女房との閨房話。とはいえ顔をあたるカミソリの方向が、あらぬところへ流れたりして気味が悪く、極度の緊張を強いられることもあるが、13年余の経年劣化、信用するしかない。隣で鋏を振るうカミさんは、旦那が閨房自慢をするだけあって小柄で四肢太り、あっけら漢とした大らかな性格のうえ、色香の残滓があるので常連客には人気者。今日も、二席並んだ浮き世床屋の旦那とカミさんは、客の頭上顔面でハサミ、カミソリ舞い踊りながらの大おしゃべり大会は、何処へ行くのか止まるを知らない。カミさん「12才のこどもが4才の子供を・・・子供と子供がね〜」。隣の客「まったくなぁ」。旦那「昔は子供と子供がやることは可愛気があったよなぁ〜」。 俺「まったく」。カミさん「ほら、おままごととかさぁ〜グッフフ!お医者さんごっことかねぇ〜エヘッ!あの12才も4才の子を裸にしてたというからウフッ!おちんちんとかさぁ〜ひっぱったのかなぁ〜!あたしはしたことないけどさ!」。旦那「ばかぁ〜やってるにきまってっさぁ〜、俺なんかちんこの先っぽにマッチ棒を入れられちゃって、いまだにかぁちゃんとするたびにそれを思い出しちゃうことあるんだぜ、これってトラウマっですか、ねぇ〜」。カミソリを俺の耳に当てながら、ねぇ〜ときた。俺「・・・・」。隣の客「おれ早くから職人の世界に入いちゃったんで医者さんごっこしたことねぇ〜んだよ、お宅ぅ〜ちんちんひっぱったことあるぅ〜?」。俺「・・・・」。あとは推して知るべくハサミとカミソリ舞い踊りながらの下ネタスケベの独壇場、我等二人の客はまさにまな板の鯉。少年犯罪の話をするのかと思えば、老境にさしかかったいい大人が、昔を懐かしんだお医者さんごっこのスケベ話。なんなんだこの明るい便所の100w夫婦わぅ〜!
お盆に入ったので迎盆をした、小雨振る最中、我が家は迎え火用フライパンでおがらを焚いて、祖先を迎えた。罰当たりな床屋夫婦もご先祖を迎えたのだろうか?

7月10日(木)

「茶色い戦争」

【20867日】

 中原中也の詩「サーカス」の冒頭に書かれた有名な・・・幾時代かがありまして 茶色い戦争がありました・・・の茶色い戦争とは何ごとかを考えていた。
昨日、借りていた本を図書館に返しに行ったついでに、中也関係の本を抜き出しその中から答えが見つかりそうな、「近代の詩人 10 中原中也」加藤周一編、解説(潮出版社)を借りてきた。早速ひらいた本の索引で「サーカス」を見つけ、久しぶりに出会うその詩の全容を懐かしく読み、そして本題の解説を読む。
第1章 初期詩篇 茶色い戦争----この句の解釈には諸説ある。吉田なになにの「観賞日本現代文学 中原中也」によれば、一説に「茶色」を日本軍の軍服のカーキ色とする。吉田氏自身は「茶色」を特定とする必要性はなく「注意すべきは「茶色」」という色の曖昧さであり・・・云々という。の言葉を引用し、この二節に反論を展開している。前略・・・私はこの二節に賛成しない。おそらくここでの「茶色」は、何年か経って変色した写真の「茶色」であろう。
その写真は必ずしも軍医であった父親の写真ではないかもしれない。しかしその家庭に、軍人や砲車や戦場の古い写真、変色して茶色になった写真や絵葉書があった、と想像することはできる。・・・その思い出はまさに「幾時代かがありまして 茶色い戦争がありました」の中原の二行に要約されている、と思う。
要点は「戦争」ではなくて「茶色」の方にある。・・・後略。解説者はこのあとで、これが私の、確かな証拠はないけれども、想像である。と結んでいる。
なるほど、確かに言われてみるとこの解釈が一番的を得ているようである、とひとりごちした自分がおり、「サーカス」の詩もまた一段と光り輝いたのだった。

7月6日(日)

「スパイ・ゾルゲ」

【20863日】

 篠田正浩作品「スパイ・ゾルゲ」。3時間を有する長尺の映画であるが、すでに観賞を終えた阿佐ヶ谷の映画通のなかでは、それほどの評価をいただかない。とはいっても、阿佐ヶ谷映画雀は業界人が多いせいか評価はかなり辛辣であり、専門的な見方をしているので一般的な映画ファンとは一線を画すのは致し方ない。いえば重箱の底をつつく専門職的見地から、総合芸術である映画の大局を見逃し冷静さを欠いているようなときが往々にしてあるので、疑うことも暫しである。
とういうことで、観賞の基準は劇場用に作られたものは劇場で観賞することが最優先であり、私室でビデオなどのスイッチオン機器を使い、ましてや寝ころびながら鼻くそをほじくり、リピートしながらあら探しの挙げ句のように観たような感想は、自ずからその作品に対する姿勢が出来ていないということで、この形からの発言はあくまで参考として聞くことは出来るが、これを作品の的確な判断材料とは受け入れがたい。ましてや妙な先入観を入れられてはかなわないので、これは熱弁を振るうその方には申し訳ないが、観賞する事に決めた作品には特別に思い入れもあるので、即座に思考の停止をせざるを、得ないのである。その理由をくどく述べなければ分からぬ輩には、映画そのものを語ることはできないので、以後は省くことにしよう。かように、俺の観賞の基準となす事は、最優先順位である己の審美眼と、己の理解の俎上に載るものと判断したうえで、作品の採点基準とする自己判断を信じることにしている。まさに独断であるが、これが一番である。
そこで「スパイ・ゾルゲ」。うん、まぁ〜正攻法な映画であるが、ゾルゲをはじめほとんどのキャスティングもよろしい。ストーリーの重要な場面を司る英語のセリフ場面もたいへん自然で、心地よい。また、時代を作るCG画面もよくぞここまで作れるものだと、呻めいた。三時間の長丁場も、我が国最後の大戦の史実を元照していることもあって、歴史を知る上でも心地よい。場面展開も絶妙とまでは言えないが、さほどダレることなく緩やかな流れの中ではあるが持ちこたえた。
ということは、なかなかの映画だったのではなかったのかと心得る。ただ一日に三回しか上映出来ない長尺ものの作品。以外と混雑する劇場内を、上映時間にまにあわなかった観客たちが、途中入場、退場するのが多発し、スクリーンに集中する鑑賞者たちの意識を遮るので、けっこう気分が殺がれたのだが、残念だった。

7月3日(水)

知遇の連鎖!

【20862日】

 昨日は、作家の梁 石日さんから頂いた色紙に書かれていた言葉「人は出会うべくして出会う」という言葉が、どすんと胃の中に墜ち込んだような一日であった。イラストレーターのユキちゃんは、俺の隠れ家には昔から来ていたが、最近、中央線の奥の方から阿佐ヶ谷に引っ越してきた。以前は来るたびに最終電車を気にしながらだったが、今や這っても帰れる距離なので、至極のんびりとくつろいでしている。そのユキちゃんが、妙に気難しそうな顔をした男性と連れだって来た。
俺はこれでも結構人見知り。ファースト・インスピレーションを大切に人を判断する癖があるのが、大きな欠点でもある。が、概して初対面で印象の悪い人ほど、噛めば噛むほど味が出るの喩え道理で、ウマが合うと妙につきあいが長くなるのも不思議である。こう書き進めていけば、なにがいいたいのかお分かりだろう。
その気難しそうな人をユキちゃんが俺に紹介してくれた「T大学の教授で荻○先生でぇ〜す、今日は、先生の知り合いの村治佳織のコンサートに行って来たの!」どうもこの先生とのフィーリングが悪く、おざなりの自己紹介を終わったあとも会話には混ざらず、彼らのことはしばらくほっといていたが、しばらくすると「ここに来る前にだいこんやに行ってきたのよ」明るくユキちゃんが俺に振った。と先生が「ボクはあそこは、フラメンコの縁で20年来のつき合いでね!」「荻○先生はスペイン語の先生で、スペインにも家があるのよ」と、ユキちゃんがまるで自分のことのように、自慢した。その瞬間、スペイン、だいこんや=堀越千秋というキーワードが俺の頭をよぎり、昨年逝った友人の金森正雄の名が浮かび上がった。ここから、この先生との間でとてつもなく奇妙な知遇連鎖がはじまった。
「先生と同じようにスペインに家を持っておられる画家で堀越さんをご存じですか?」「堀越は友人です」「やはりそうですか、ところで堀越さんはアグヘタの義兄弟ですよね」「そう、20年前ボクの企画でペペ島田とアグヘタのコンサートを阿佐ヶ谷でやったこともありますよ」「その時、金森正雄という青年とお会いになっていませんか、その男はアグヘタ兄弟の末弟ルイスと義兄弟なのですが」「知るも知らぬも、その時の宿として提供してくれたのが金森さんの実家でした」「そうですか、彼は先年・・・」「存じていますよ彼のスペイン時代も知っています。無償の行為をあれだけ出きる人はいませんでしたね、本当に素晴らしい人だった、残念です」「先生、その男おれの旧友だったのですよ」「そうですか、それは素晴らしい出会いですね」こにて先生の印象は、最大級Aクラスにアップ!その後の会話でも知遇の連鎖は続き、俺が尊敬する漫画家永島慎二先生ともスペイン繋がりと分かり、驚きのミラクルワールドに突入した。
が、この日の隠れ家はいつになく騒がしく、もっと話をしたかった先生も終電で帰路につかなければならないところにお住まいらしく、一緒に来られたゼミの生徒さんと一緒に帰っていった。この日の俺は、興奮の余韻醒めやらず・・・「人は出会うべくして出会う」の言葉と共に酒を飲み干し、胃の腑に落としたのだった!

7月1日(火)

劇団道学先生

【20860日】

 29日、午後の新宿駅に降りると人ひと人ひと人でごった返した人の波に飲み込まれていく己の存在の小ささに、慌てふためき驚きながら、階段を上がる。
日曜の新宿通りは例の如く歩行者天国で、我が者顔で人々が往来を闊歩している。と。突然西口大ガードの方からサイレンが聞こえた直後、消防車が喚きながら人混みをかき分け歩行者天国に乗り入れてきた。その真っ赤な大型の梯子車の異様な姿は、都会によく映えてなかなかスリリングで結構な景色である。追いやられた野次馬たちも大都会の人混みと街が一瞬凍り付いたようで・・・と感じたのは俺だけか。実際は、なにごとかとたたずむ野次馬たちは、ボリショイサーカスでも、やって来たのかとアトラクションでも見るように、これはしめた早く次の出し物が現れないかと、ワクワクしている。まったく都会は病んでいるのだ。
今日、知人の芝居を見るため一緒にきた連れの和子を見ると、適当な素材探しに余念がないのかカメラを片手にそわそわと落ち着かぬ気配。こいつも病んでいる。以前、大二日酔いで新宿シアター・トップスのマチネを観に来た時、観劇中とつぜん襲ってきた下りッ腹の恐怖を忘れない。そのため、今日は昼の部の観劇は久しぶりなので、昨日は酒の量も程々にしたせいか、絶好調で観劇できた。観劇するときは、心身共に絶好調で出かけること。これを文化に触れるときの戒めとする。劇団道学先生第11回「ざぶざぶ波止場」は以前にやったものの焼き直しだけあってか、彼らの成長度著しいのか、俺的にはかなりの高得点をつけてみたい。
帰路の電車のなかで和子に聞くと、劇団道学先生このあとの公演は「新宿紀伊国屋ホール」だという。「そうだろうやはりな」と独り合点する俺の審美眼に乾杯。