2005年2月

2月22日(火)

シャンソン・・・えぇのぉ〜〜!                                          

【21413】

 先日からずぅぅぅぅぅ〜〜とシャンソンを聴いている、置き忘れてきた日々を取り戻すかのように・・・(トホホ・・・作文までシャンソン風)。
歌子、ピアフ、ジロー、モンタン、アズナブール、バルバラ・・・。シャンソンは詩が命。たとえれば先日の「通行人」。アントワーヌ・ポレの詩にジョルジュ・ブラッサンスが、味わい深いメランコリックな曲をつけ、自ら歌ったものが原曲。何故かしら心さびしくなる言葉のフレーズと、倦怠感溢れる曲想。結果、眠っていた優しさが沸きあがり、小生はすこぶるいい人気分でセンチメンタルな、ノスタルじじいになっている。ジャズは不良気分で気合いが入って良いけど、 シャンソン・・・優しくてこれもえぇのぉ〜〜!


2月19日(土)

あぁ〜胸が!!!                                          

【21415】

 小生20代前半のこと。高円寺のライヴハウスJIROKICHIが出来る数年前のことで、同じビルの通りに面した階上に、シャンソンフレールという小粋な喫茶店があった。
経営者は舞台俳優の夫婦で30代半ば、黒のタートルネックが素晴らしく似合う二人だった。常連もそれに負けぬパリのエスプリ、といった気配の方々が出入りしていた。
当時は10代半端から聴きだしたジャズの病困じて、21歳でジャズの店を開店するほどジャズ一辺倒だった小生。このご夫婦の影響から、まさに「ジャズシャンソンカシュ」という、早口言葉ではないけれど。ジャズ、シャンソンをとりまくあらゆるカルチャーの花園で、小生の行く末に、いつか咲かせる大輪の花を志す、蕾になったのである。その蕾も、まぁ〜多少の小粒な花を咲かせた気にはなっているが、あれから数へてはや数十年。いやになるほど膨大な時間が流れ流れて、実体といえばドライフラワー状態。
うつろうの日々の今日はそぼ降る雨の土曜。久しぶりにシャンソンを自宅で聴いた。歌手は渡辺歌子。もとのCDの持ち主は、今月28日に命日を迎える親友の山田明。
机に座り、キーボードに指を走らせながら「後10日もしたら奴の命日。奴はどういう気分でこれを聴いていたんだろうか?」若くして逝ってしまったアキラのことを考えていた。シャンソンは、詩が命。その詩が何年ぶりに小生の胸を、ぐさりと刺した。手を止めじっと聴き入り、戸惑う。ついにはとどめの一突きに、切ない思いが突き上げてきた。
このこの胸の疼きがやるせない。ドライフラワーに水を差したところでどうなのよ・・・いまも胸が疼いている、なんともアンニュイな気分になってしまった、今日なのである。

通行人
この歌を捧げる すべての美しい
ひそやかなあなたに その名前も知らずに
過ぎて行くに任せた 二度と会えないひとよ

例えば見上げた窓の中 レースに影に隠れた
優しいその人影 ときめく心を押さえて
言葉もかわさぬまま 二度と会えないひとよ

たまの旅の道づれ 辺りの景色より
きれいな眼をしたひと 道を教えるために
さしだされたその指に 触れもせずに別れたひとよ

似合わぬひとと結ばれて 耐え切れぬメランコリーを
その瞳にたたえたひと 救えたかもしれない
そのひとに口づけもせず 手を差し延べぬまま

今までにどれほど多くの 空しいめぐり会い
すれ違いの時を 長い鎖のような日々
その中にきらめく 忘れ得ぬひとたち

こうした思い出の数々 何故にこんなにも
大切なのだろう もしも今信じられる
幸せがあるのなら 思い出など抱くだろうか

過ぎてゆくに任せて 何もしなかった罰に
ふくらんでいく孤独 抱きしめたとて幻
不在と言う名前の 美しいひとたち


2月14日(日)

                                           

【21410】

 久しぶりに日頃見ないような映画のはしごをした。最初は、R・ラドラムの原作を映画化した前作の続編「ボーンスプレマシー」前作を見てもいないのに、ちょいと無謀だった。2本目は。オリバー・ストーンの歴史映画「アレキサンダー」。史劇はすべて超長尺なので劇場鑑賞はちょいと腰が引ける。「十戒」をはじめ最近では「ブレーブハート」もそう。映画と言えば、最近、辛口劇評を旨とする連中がこぞって激賞する映画がある。たとえれば韓国映画、これなどは小生も遅まきながら数本の作品を見て、ふむと実感している。
良い映画は良い・・・そういってしまえば実も蓋もない。しかし実も蓋もいらないのが映画。スリル・スピード・サスペンス、空前絶後、抱腹絶倒、千と三つで嘘八百などなどの言葉がぴったり来るのが映画だと思っている小生はハリウッド映画が大好き。かたや邦画にたいしては。暗い大きな偏見から、足が通わなくなっている。映画(邦画)ってそういうもんじゃないだろう・・・その昔はこんな言葉もあったよね!「あいつの言うことはどうもなぁ〜〜映画の見過ぎと違うか?」。小生ほめ言葉と未だに確信!。ところが昨年 あたりから、映画辛口大好きおじさんたちが、口をそろえて妙な作品にお褒めの言葉を寄せるような傾向が見られる。たとえば「下妻物語」、今年の「パッチギ」。みんなが「いい!」「いい!」というから、つむじ曲がりの性格がむっくり顔をもたげ(類型が沢山いるところをみると江戸の下町の特性なのだろう)、未だに観ていないという、愚な私。

2月9日(木)

ぶれる心と飛行船                                            

【21405】

 今日は旧の正月である。亜細亜の国々の中でも未だにこの日を盛大に祝う習慣がある。我が国も沖縄をはじめ一部の村落で行事的に行っているが、遠い昔の風習になっている。そして今日は、サッカー日本×朝鮮戦がある。近年、対世界を睨んだサッカー戦がある日の盛り場から、人の気配が消えるのが常になってきているのが、さびしいのである。
特にサッカーに興味のない店主が経営する夜の商いの店は「なんだぁ〜にわかサッカーファンめっ」と、苦虫つぶし奥歯をかみしめ無益な影響に地団駄踏んでいるのが現況でる。逃げ場のないサッカー不況に、昔の喫茶店、ラーメン屋などのテレビ観戦を彷彿とさせる「サッカー中継してます」などの貼り紙を掲げる気弱な傾向の酒場も出だしている。
何十年もジャズの店を営んできた小生などは、くそっ意地でもそんなことはやらないぞと思うことがある。しかし、思った時点で負けなのだと、なお褌を締め直すこれが日々。まぁ〜たかだかサッカーに振り回されるようじゃぁ〜駄目。自分が自分で過ごしてきた人生を否定してしまわないように生きる・・・それが美学と心得よなどとうそぶく。
不況不況の念仏の最中で・・・小生こうした形がいいのだと弱気の虫を振り払う・・・これが本心。とは言え今日は店に行くのが○○○○○のだ・・・はぁ〜ぶれてるな〜! 
なことはさて置き・・・今日は散歩の最中我が町の上空に飛行船が到来。以外と速い速度で飛ぶ飛行船を学校帰りの子供たちと追いかる、子供心一杯のおじさんになったのだ。


2月6日(日)

阿佐谷類独自亜目絶滅危惧趣偏愛写真

【21402】

 阿佐ヶ谷北の住所を引き払い、今の住所成田になって、はや10か月近くになる。当初は、北から南に引っ越したことで、「オレは脱北者」などとおもしろうそぶいていたが、同じ頃阿佐ヶ谷北から阿佐ヶ谷南に引っ越した仲間たちから、青梅街道の南の成田では脱北者とは言えない・・残念!などと訳の分からぬ指摘を受けた。まぁそんなことはどうでも良いのだ、どちらにしても住めば都。ということで、習慣になっている町写真は、阿佐ヶ谷から成田荻窪方面へと幅が広がっている。青梅街道の南の町を写真を撮り始めたのは、去年の5月から。もともと阿佐ヶ谷の町に愛着を持って写し始めたこの作業の数分の一を、このサイト上でも紹介しているので、そろそろこの近辺の写真を紹介してゆこうかと、かなり集中して撮り始めたら、青梅街道から南の町の成り立ち方のせいだろうか、見事に深みがなく、小生が被写体として求めるものは、この近所ではすでに撮り終えてしまったようだ。そこで、テリトリーを広げて、東は環状7号道路まで、西は環状八号道路線、南は五日市街道、北は相も変わらぬ阿佐ヶ谷写真を撮るとするかと思案した。が、最近、散歩の最中に「いや待てよ、もっとマクロで近視眼的な側面も必要なのではと、一人合点。そこで「阿佐谷類独特亜目絶滅危惧種偏愛写真」と銘打って、この日記の片隅で新たに森羅万象を紹介してゆこう。


2月3日(木)

節分

【21399】

 何気なく慌ただしい気配で始まった今年の始まりだったが・・・どうも財布を拾ってから刺激的な出来事から遠ざかっている。あれが、つきの落としのはじまりかなぁ〜!
さて今宵は節分。「ほんに今夜は節分か 西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし 豆沢山に一文の 銭と違って金包み こいつぁ春から縁起がいいわぇ」ではないけれど・・「おん厄はらいましょう〜厄落とし」今年は酉の年男ゆえ厄払いの豆でも蒔いてみようかしら・・・鬼は外ぉぉぉぉ〜〜。・・・鬼よりも怖い男が豆を蒔く(朝日川柳パクリ)。



  
露の身はこゝかしこにてきえぬともこゝろはおなじ花のうてなぞ
(露の身は ここかしこにて消えぬとも心は同じ華の台(うてな)ぞ」)  法然上人
もろくも 落つる 露の身は。 置き所なき 虫の音 芭蕉