2005年8月 平成17年8

8月23日(火)

瑞泉寺墓参

【21557】

 鎌倉に向かう新宿湘南ラインは新宿駅南口の一番端2番線。文庫本、ペットボトルを手に対面のシートに座ると、夫婦ふたりのちょいとした観光気分。
やはり旅行気分には対面シートは不可欠。(残念ながら帰りは普通の電車で気分半減した。どうやら湘南ラインはいろいろなバージョンがあるらしい)
鎌倉駅前からタクシーに乗り、瑞泉寺まで980円の2メーターという距離だが、山に向かう道なので夏の暑さのなかでの徒歩は、かなりの疲労感を得る。
麻雀仲間の悪友たちとここに禊ぎに来たのは、すでに数十年前のこと。その時の記憶が正しいことを確認し、車止めの前でタクシーを降りる。山の行き止まりのどん付きにある瑞泉寺山門には品の良い門番さんが「拝観料100円いただきます」と、素敵な笑顔で問いかけてきた。「私どもは当山に眠るお方の墓参にまいりました」と挨拶すると、「それではこのままお進み・・・」と、お拝観料は免じてくれるという。好意を素直に受けるも、眼前に迫る急峻な階段に、あぁ〜雪駄なんぞで来るんじゃなかったと後悔。大きく溜息をつきながら山を見上げると、寂しがりやのあのお方がこのようなところで独り静かに眠っているのかと、感慨も新たに歩を進めた。本堂に到着、即座に庫裡で案内を乞うと当山の奥様が線香を携え丁寧に、先生の
墓所まで案内をしてくれた。
この寺は、夢想国師が開山。鎌倉様式の代表で700年近くの歴史を持つ古刹。かの吉田松陰も縁があり墓所には各界の
著名人が綺羅星の如くに眠っている。先生の墓は、墓所の高台。墓石を背に先生の目で見下ろす景色は墓所とはいえ絶景である。また、墓石右肩上には、俺の好きな俳優・志村喬の墓所もある。阿佐ヶ谷から煙草の吸えない環境でここまで来た。「先生たばこ吸おうよ」とさしあげ、我々夫婦も一緒にいただいた。それも数本も、吸ってしまった。
先生の真新しい墓石の側で、眺める瑞泉寺の墓所は見飽きない
不思議な景色だった。がさすがに小一時間も過ぎると、どちらともなく「帰ろうか?」。
「またくるね」とお別れ。鎌倉宮からバスで八幡宮で降り、小町通りを散歩。名物蕎麦屋「なかむら庵」でビールで献杯、ズズツと手繰って、一気に帰宅。


8月17日(木)

無題

【21552】

 昭和元禄カオスの時代、新宿にフーテンという根無し草の若者たちがいた。67年、それを実生活に体現する永島さんが漫画雑誌「COM」に連載を始めた。その翌年にはテレビドラマ「男はつらいよ」で渥美清がフーテンの寅を演じ、大好評を博したことで、フーテンの名は一気に市民権を得るに至った。
そういえばその翌年には「男はつらいよ」は映画化され、愚直なまでに一途な男寅さんは国民的英雄にまで昇華していった。かたや、己が身がフーテンそのものでありながら、漫画「フーテン」によって思いも欠けない求心力を持つ存在として認知されていったダンさん。その後、自著「若者たち」によって私漫画という漫画の領域を突き抜けたサブカルチャーのカリスマとして、日本中の若者たちを魅了してやまない存在となっていった。ある人が書いていた
「私たちの国は、あの時代に弱さというものを切り捨ててきたように思う。あいまいに愚直に思考し悩むこと(そして、それを認めること)を、いろいろな意味で止めてしまったのだ。永島氏は一時代を築いた後、漫画を書くことを止めたという。フーテンにならざることをえなかった「弱い」」人たちは、強い人たちの時代には書く理由を見つけられないでいたのでは無かろうか。」だからこそ、寅さんにダンさんにも強権力、金力などという世界は、無縁であったのだろう。
このサイトで「さらば地球号」という訃報コーナーを作っている。そこに俺の人生に重きをおく方々の名を書かざるをえない現実に向き合うのも辛い。
そして時代は、戦後60年というひとつの括りに入っている。そしてなにやら新しい時代に(生きるはロストテーマと確信し)突入してしまったと実感する。そしてこんな言葉が強烈に心に響いてくるのだ。・・・
幸せを望むなら、自己が立ち上がる以外無いのだ、ということを思い知らされたのだ・・・


8月12日(金)

卓袱台

【21558】

 忘れもしない85年8月12日(月)。あの日は和子と二人、横浜までバイクツーリングに出かけ、マリンタワーに昇ったりあちらこちらを観光してきた。
夕刻にはツーリングの軽い疲労感で帰宅をしたが、ライディングハイの勢いから、徒歩で荻窪まで二人で呑みに出かけるほどのエネルギーを残していた。
新しくできた和風居酒屋「遊」で、しこたま呑み食いし気がつくとかなりの時間。店を出たほろ酔い機嫌の二人は、帰りも歩こう!とすこぶる元気だった。その日の荻窪方面は、粗大ゴミの日だったのか、ふらりゆらりと歩く先に、なんと結構様子の好い卓袱台が二つも置いてあった。とにかくそういう物には滅法目が利く小生。人目もかまわず「ラッキー!持ってくぞぉ〜和子かつげぇ〜」と卓袱台をひとつずつ抱え込んでは、汗だくで我が家に帰ったものだった。帰り着き、卓袱台を吟味しながらテレビをつけて驚いた。小さな14インチの画面一杯に「日航ジャンボ飛行機墜落、乗客500人以上の大惨事」の文字。
ツーリングと痛飲、あげくに卓袱台を運んだ疲労もすっ飛んでしまった痛恨。次々と伝わるおっ恐ろしい情報、事故にあった不運な犠牲者の名の紹介。
東京〜大阪間・・・もしや知人がいるのではないかと、二人は先ほどの卓袱台にふれ伏し倒れ込み、眼を皿のようにして犠牲者名簿を見つめ続けていた。
忘れることのできないあの日から、早い年の流れの20年を経、今もあの卓袱台は、我が家の居間で我が家の喜怒哀楽・・・歴史の変遷を見続けている。
これからもどうゆうことになるのか我が家の歴史をも見続けていくことになる、卓袱台。たまにでぇ〜〜とひっくり返したりして、ごめんなさいなのだ。


8月1日(月)

master of mind!

【21547】

 先々月の10日。小生の人生において唯一無二の存在だった恩愛あるmasdter of mindを失った。師の名は通称、団賛(ダンサン)こと永島慎二先生。
20代初めの新宿時代から続いた先生との40年を振り返り思いだしては、今も胸につきあげるものの濃さに、年甲斐もない驚きを禁じ得ない。
先日、写真の整理の最中に見つけた先生との京都二人旅の写真のネガが見つかった。日頃からの整理下手がたたり、ネガの状態は最悪で酷いものだった。
そこで、傷ついたネガをスキャナー&フォトショップで再生する方法を、友人でIT教授でもある八丁に教わり、早速ショップでネガスキャナーを購入した。先月8日は先生の誕生日ながら喪の最中ということもあって、このサイトの更新をする気も失せ、以来、ネガ再生作業に追われ、気を紛らわしてきた。
が、先日先生の49日の納骨もすんだ句切りに、web活動再開と行った意味も込めて、作業途中の
先生の写真を少しだけ・・・ここに紹介することにした。


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