平成18年5月    皐月     2006.5

平成18年5月3日(水)

マキニカリス!

【21514日】

 むかしむかし石川真希という舞台女優が、同じ劇団のS・史郎くんと結ばれた。かれらとは数十年前、状況劇団の若手だった頃から、現在に至るまで懇意にしている。
その後、二人は劇団から離れ映画、TVの世界へ進出。ともに大変な活躍ぶりを世に知らしめ、亭主は奇妙な当たり役で、あれよあれよというまに世に名を馳せていった。 そんな二人が、小生の35周年記念アルバム「ASAGAYA ERIENDS」に無償で参加してくれた。史郎くんは作詞、作曲、演奏、真希ちゃんはピアノで参加。録音は吉祥寺のゴックスタジオ。徹夜には午後から深夜まで丸一日をスタジオにこもって音取りをしたのが懐かしい。おまけにスタジオ代まで彼が持ってくれたのだ。なんという至福。
最近、亭主のS・史郎くんは、多忙を極め顔を見せないが、昨夜は、真希ちゃんが、バンド仲間のローラちゃんと現れた。後からやってきた和子ともども話に花が咲いた。(ちなみに真希ちゃんは「
マキニカリス」というバンドを持っているので、興味がある人に伝えるためにそのバンドのwebを紹介しておこう)。
えぇ〜い今週は連休で店も閑だから、せめてここだけでも盛り上がりを見せようということで・・・先週末、吐夢で一緒に飲んだ、往年の状況劇場のファンなら誰でも知っている元女優 
mamiねぇ と小生の写真を恥ずかし気もなくのっけちゃおう!

平成18年5月10日(水)

mixi!

【21521日】

 俳句仲間の山路紫琴さんからの紹介で、今大流行のmixiに参加した。このmixi。ちょいとした差別化が好まれたか、自身に対する紹介者をとうさなければ参加できない。いわゆる仲間同士の双方向なブログとおもえばいいのか?ブルグをやるとブロガー。mixiの場合はミッフィとでも呼ばれるのかしらん。愚妻はブロガー、小生ミッフィ!
こりゃえらいことになったものだ。こんな名前で呼ばれることはないだろうが、思うだけでくすぐったい!さてさて小生が、mixiに紹介するのは貴方ですよ、ミッフィ!

平成18年5月11日(水)

事実は小説より奇なり

【21522日】

 事実は小説より奇なり・・・まことに現実社会に起こる珍現象たるや摩訶不思議。その不思議なUFOを自然現象の為せる業と否定されたのは、つい先日のことである。
UFOの存在は小生は信じるのです。何故・・・それは見たんだもぉ〜〜ん!どうです、誰がなんと言おうと、何人足りとて否定できない・・・これが事実なのですから。
現実主義者はこうしたものには目を瞑ってやりすごす。などとUFO否定にたいして腹立たしさを押し隠していたところ、今日、IT教授八丁から、添付付きのメールが来た。偶然キリ番を踏んじゃったよ 
123456 記念に写真を送るね・・・といった簡単明瞭なメール。知らない人はそれがどうしたと思うだろうが、小生には大変な驚き。
このwebを始めて十年近く。最初はどうせ一個人がひそひそとやっていくのでカウンターなどいらないや、とカウンターはつけていなかった。が、ある日、野球チーム仲間の八丁がIT業界のテクニカルライターのオーソリティということを知り、この阿佐ヶ谷不届記にアイデア、メンテナンスなどなどさまざまな作業の手伝いをもらうようになった。それからず〜〜とIT教授八丁にはあお世話になりっぱなしの頼り切り状態。そんな彼が、123456というキリ番を踏んでくれたおかげで、記念の写真が残った。
阿佐ヶ谷不届記123455は気づかず123457は残念 どうです、彼でなければこのような写真を残してくれないだろう。IT教授123456これまさに事実は奇なりでしょ。それにしても98年に始めたこのサイトにいらしてくれた123456人の方々に、感謝します。どこまで続くか阿佐ヶ谷不届記をこれからもよろしく御願いいたします。

平成18年5月12日(木)

文庫本より大きな椎茸が生まれていた

【21523日】

 小生、耳順の誕生日に長野の山小屋に独り住む友人クーちゃんから椎茸金が植え付けられた丸太ん棒3本が送られてきた。あれから1年と1ヶ月の昨夜大変な結果がでた。この3本の丸太ん棒は風通しが好く一番湿り気の多い日陰においておけとの指令通り、ずっと庭の片隅の日陰暮らし。人の手間による放水で、精気を帯びるだけのこと。
小生も生きているのか死んでいるのかまったく無機物状態のいわゆるほっとかれ放しの丸太ん棒に放水すること自体ナンセンスな思いで、この一年を共に過ごしてきた。
5月に入りなんともすっきりしないお湿りの日が続き、庭の水やりもせず窓越しに見ると春先に蒔いた種の種類も忘れた庭に、日々のお湿りで若芽が顔を見せ始めている。昨日庭を見ると、久しぶりの陽気に土も乾いていた。どれどれ久足ぶりに水やりでもしようかと放水はじめ、いつものように丸太ん棒までジェット放水をしたところ。
丸太の下の方で、ぶるぶるとなにやら
不気味な物体が揺れた。近寄ってみると、丸太の根本の裏側から表側に向かってバント手を開いたように、椎茸が育っていた。
これだけの成長を見せた椎茸があるのに、その他の部位に椎茸の兆候はなにも見えない。それだけにこの不気味に馬鹿でかい椎茸を採って食べるという気にもなれない。
どうしよう小生の誕生を祝って送られたが、小生キノコグルメではない。勇気を出して食ってみようか。それともこのまま朽ち果てるまでなるに任せようか悩みの種だ。

平成18年5月15日(月)

凝り性

【21526日】

 小生、G1競馬だけを3〜4年の間、ず〜と枠連で自分のラッキーナンバー2-4を買い続けている。自分ながらどうしてこんなものにずぽりはまるのか、情け無い。
雨が降ろうが槍が降ろうが、競馬の予想などせずに2-4を1000円買う。G1レースは年間20レースほどがある。既に4年ほどになろうとしているから×80レースを買っている勘定になる。ということはまるで当たらなかった場合、金に換算すると8万円。まぁそれだけやってれば一度や二度は当たっている?と思うのが素人の浅はかさ。
そりゃあぁ〜確かに一度は当たりましたよ。当たりましたがね、なんとも運のないことに、唯一当たったG1レースが鉄板のガチガチ銀行レースで配当が2800円見当。
そうなのですよ・・・一年20レース4年で80レース中。2-4が来たのはただの一度キリ。競馬というものは馬が走るんだから当てるのは難しい。けど信じられますか。
これは統計です・・・G1レースで枠連2-4を買うのはどぶに金を捨てるようなものです。参考までに各競馬場のG1レースの淡い夢のごみため直行便の
2-4馬券です。
が、小生はこれからもずぅ〜〜〜〜〜〜と大穴が来ることを夢見ながら2-4を買い続けるのです。投資した8万円などあっというまに、ちゃらの黒字にしてみせてやる!

平成18年5月19日(金)

田村高廣さん! 

【21530日】

 田村高廣さんが亡くなった。享年77才だったという。日本映画の宝がまた一つ消えてしまった。小生この人を映画人として人として、いたくお慕いしておりました。
子供の頃観た「侍ニッポン」で始めてこの人を意識した。主題歌だったのかどうかは知らなかったが、当時流行った三橋三智也の「侍ニッポン」。「人を斬るのが侍ならば恋の未練が何故切れぬ・・・昨日勤王明日は佐幕その日その日の出来心どうせおいらは裏切り者よ野暮な大小落とし差し・」の全歌詞もそれ、以後ずっと記憶に残された。そして、この映画が実父である阪妻の出世作で、遺児である田村高広が再演したものだったことをずっと後で知る。時代は、終戦から干支を一回りした1957年だった。
その後、大きくこの人の活躍に注目したのが、勝新との名コンビで脚光を浴びた、増村保造監督の「兵隊やくざ 」。やくざの用心棒あがりのやくざと名家の出ながら世に背に向けたインテリやくざが妙な正義感で活躍する痛快映画。勝新の動と田村の静これは絶妙なコンビだった。制作年度は65年3月、その半年後には、続編「続兵隊やくざ」が田中徳三監督に代わり制作されている。そしてこの第1作「兵隊やくざ」で1965年度、ブルーリボン賞助演男優賞を田村高廣が獲得している。ちなみにこの作品は 、72年 映画社も大映から東宝に移り「新兵隊やくざ 火線」増 村保造で終焉を迎える。調べてみたら田村高廣自身は、なんとこの1965年に本編だけで前作を入れ、宮本武蔵4部作 巌流島の決斗 内田吐夢/「花と龍」 山下耕作/「徳川家康」 伊藤大輔/ 「清作の妻」 増村保造/ 「花実のない森」 富本壮吉なあど7作品に出演している。そして、1980年代半ば小沼勝演出「花嫁の父」というテレビドラマに出演。そのロケの一部が阿佐ヶ谷で行われた。そしてその時の助監督チーフが、知友渡辺孝好くん。当時彼は一番街にあった鈍我楽の常連で、その撮影の最中ナベが楽屋代わりに使わせてと田村さんを連れてきた。ぶったまげたのは店主、ぶるっと身震いをした小生。
「あのさ録音も一緒にするから音消して・・・」とナベ。なぁ〜〜んだとうジャズの店にむかって音を消せだとうぅぅぅ〜〜〜〜怒!店主すかさずいいよぉぉぉ〜〜〜!
丁寧に挨拶をされ恐縮。ソファーにゆったりと座る俳優。うぅ〜ほんものじゃぁ〜!あの田村高広だぁ〜新能鶴千代が有田上等兵が、ここっおれの店にいるのだぁ!と思った瞬間、すっかり俳優の気配に気をされた小生。煎れたコーヒーを運ぶ手もちょいと震え気味だったのを思い出す。もう男が男に惚れるはこのことかよメチャ惚れ状態。
いまでもくっきり思い出すあの方の、生まれ持ったであろうゆったりとした上品なあの身降り素振り。我が生涯でも数少ない男の臭いを持った人だった。
ナベはその後、エンジェル、居酒屋幽霊などなど数々の作品をものする監督なるも、いまだに変わらぬつき合いをしている。昨夜も小生のところにやってきた彼と、田村高廣さんをことさら偲ぶではなくあの日あのときの思い出話にちょいと、花が咲いた。綺麗に心にしみ込んでいる人のことは、ことさらな言葉は必要ないものなのか。合掌

平成18年5月30日( 火)

有る年の5月30日の日記! 

【21544日】

 昔の日記に著名人の生誕日を載せていたことを思い出し、mixiでその日、誕生日の人物を書いている。ところが、自分史ながら昔の日記が以外と面白いことに気づいた。10年ほど続いているこの日記の中から2000年5月30日をチョイスして、当時のままの文章で乗せてみたのです。(五月の長雨にやられて、ちょいと手抜き・・・です)

5月30日(火)暑い、12時頃にはピークの30度を超した        【19836日】
 人生いたるところ青山あり・・・この場合の青山とは墓場のことだそうだ。
あの洋服の<青山>のことだと思っていた、などとセコな漫才ネタのようなこと言っている場合ではない。今夕、前立腺炎の検査をしに医者に行ったのだ。例によって「はい、ズボンを脱いで」と、尻に思いっ切り×××され、終わると、優しく微笑む看護婦にカップをもらい採尿、検査結果がでるまで暫し
「お待ちどうさま、診察室へどうぞ」
尻をかばいながら、おずおずと先生の前に座り顕微鏡を覗かされる。
「赤血球が見えますか?丸い点々がそうです」
「ハイ、結構あるんですけど?」
「そうですね、闘っています!だいぶ良くはなっていますが、まだまだ炎症に罹っていますね」
「そうですか〜、だいぶ良くなったと自分では思っているんですけれど?」
「クスリが効いているのでしょう!水ものもたくさん飲んでどんどん尿を出して下さい」
「あのぉ〜その場合ですね〜酒なんかどうでしょうかね?」
「結構です、それからですね、雑菌を追い出すためにも射精をして下さい、精液は溜めてはいけません!」「はっ〜?????」
「週一回から2回程度の射精が望ましい、当然御自分でやっても結構」
結構といわれたってな〜
「射精ですか?先生この歳で週二回のノルマは辛いですよ〜!」
先生は正面からオレの目を見て毅然と断固とした顔で
「ご自分のためですからがんばってください」
ひるんだオレはおもわず言ってしまった
「ありがとうございます」・・・なんだなんだこれって、しかし、えらいこっちゃ、これまさに青山だ!

06.5.30記  はっはは・・・笑っちゃいますね。
でも当時は男の急所とも言える前立腺炎に罹り・・・びびりまくっていましたね。
今はすっかりすっりしですが・・・男だけに罹るこの病はいつまたでるか、かみのみそしるです!