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1 月31日(月)晴れ
バイク仲間の片山健一氏は、先日の土曜日が誕生日で、相方の美穂さんと程良く酔った気配で文京からやって来た。
美穂さんが例によって静かに「今日は片山の誕生日なの、このお酒みんなで飲んで」と、持参の振舞酒を差し出した。カウンターに並んだ全員に猪口を渡し酒を注ぎ、何も贈る物はないけれどとりあえず「誕生日おめでとうございます」と合唱。 そして今日、そんな彼から素晴らしく文学的なメールが届いた・・・オレひとりで読むには贅沢すぎる・・・彼の誕生記念でもあり、いつかまたあの日を振り返り読むこともあるかもしれないので、ここに保存しておくことにした。
年寄りは二度ベルを鳴らす
メール、ありがとうございました。
50の齢を過ぎてから、平原に出たような気分です。漠漠たる広野を、淡々として、歩行し続けています。
汗することもなく、疲れることもなく、眼は前方を見つめ、立ち止まっては風景を愛で、座して粗食を食らい、淡々と、淡々と、歩行、歩行。まだ見ぬチベットのようであり、ゴビのようであり、シェラネバダのようであり。
これまでになかった感覚が、自分を律しているようです。もちろん、現実の日常は、心臓がぎゅーんと締め上げられるような、ざわざわとした日々でありながら、これが日常の感覚です。自分の心のなかのどこかで、千日をかけて峰を回る行がはじまっているのでしょうか。
昨日は騒がしくてすみませんでした。旧どんがらの仲間たちと店主がいる場は、僕と美穂にとっては解放区。
寄る辺なき岸辺を見続けている二人にとっては、折り目、節目ごとに参じざるを得ない場所です。孫へ関わる態度の話、いたく、いたく、共感を覚えます。ともに、曾孫のできるまで、とは申しませんが、よろしく、おつきあいのほど、お願い申し上げます。※これからも回覧板は、呼び鈴ならし、ドアをたたいて、手渡しするまで、しっかりと届けますからね。お茶のひとつもでるまでは、帰りませんからね。翁寿
1 月30日(日)晴れ
昨日。午前9時過ぎまでのトラブルのお陰で目覚めると午後4時だった。階下から匂ってくるダシの香りが目覚めた体に空腹感を与えてくれる。昨日の今日、恐る恐るソッと階段を下り「おはよう!昨日はありがとう、すまなかったね」と、ご機嫌を伺うと「フンッ!酒バッカリ飲んでだらしがないんだから、これからは気をつけてよ」ときつい言葉が返ってくる。今日は、しじみを自分が見つけだしてきたことでツケツケとオレをなじるのかと覚悟していたが、顔を覗き込むと以外と顔つきもよろしく機嫌がいいので胸を撫で下ろす。台所に立つ和子の後ろ姿がいつになくドでかく見えた。女は強い。
なにはなくとも、今日の始まりにトラブルの延長戦がなくてよかった。一日の始まりはこうでなくてはいけない。
居間に行くと、昨日俺を振り返りあざけり笑い逃げていったバカ助の後ろ姿が目に焼き付く、くソッたれた尻尾をバシバシ振りながら「あなたがひとりがご主人さま〜」てな調子でしなだりかかりクリクリキラキラした上目使いでオレを見る。
昨日とまったく違うコイツの豹変ぶりには腹が立ってきた。「コンチクショウ!殴ってやろう〜か、コノヤロー」と拳を固めたが・・・・その目を見ると弱いのよ・・・なにはともあれよかったよかった。今日は一日しじみと一緒に謹慎だ。
1 月29日(土)晴れ
午前3時半。肩をすぼめ自転車で家に飛んで帰えると、愛犬しじみが「う〜ん!遅かったワン!」と飛びつき深夜の散歩をねだる。ここから矢野ケの事態は最悪な方向に一変してしていく。「ちょっと待ってね」と、つい気が緩みドアを開けっ放しにしたのが運の尽き、待ちくたびれていたしじみは脱兎のごとく玄関から飛び出して行ったのだ。いつもなら近所の駐車場辺りで小便をしてすっきりした顔でオレを待っているのだが、今日に限ってどんどん公園の方へ遠ざかっていく。「待て〜!しじみ〜!ピーピー(口笛)」深夜だということも忘れ慌てて追いかける。奴は公園の中を突っ切り、ちらっとオレの方を振り返り中杉通り方面に消えて行ってしまった。「しじみ〜!ピーピー(口笛)」と、さんざ探し回り探しあぐねて家に帰るがしじみの姿は見えない。自転車に乗り換え中杉通りに出ると、セブンイレブンの前で若い娘に何かねだっているしじみの姿をが見えた。オレは「すいませ〜ん!その犬押さえてください」と思わず叫んだ。その叫び声を聞いた奴は、あろうことかパ〜と身を翻し、通りの反対側に渡りあざ笑うように町中にまた消えていってしまった。しょんぼり家に帰りドアを開けっ放しにして寒さを逃れるため暖房全開の部屋で奴を待つ。4時過ぎ。和子が帰ってくるなり「なにやってるのよ〜!また逃げられたんでしょ〜、バカ」とオレの気持ちを蹴散らかし家を出ていってしまった。オレもまた深夜のクソ寒し町中に奴を探しに行くが見あたらず帰宅。和子も見つけられず帰ってくるなり悪鬼のごとく恐ろしい顔で罵詈雑言。だ〜っと二階に駆け上がってしまった。降りてくる気配もないふて寝してしまったのだろうか?ますますうなだれるオレ。午前5時。新聞配達の「見なかったですネ〜」の一言にがっくり。6時。町中に車の音が聞こえ出すと、ますます不安がつのってくる。7時。酒のせいで不覚にもウトウトしてしまう。8時。二階から和子がドカドカと階段を降りてくる音に愕き目覚めると、和子はまたまた悪鬼の形相で家を出ていってしまった。午前9時「バカ!早く入りなさい」の声を聞き「いたのか!ありがとう、ありがとう」と和子を拝むも、知らん顔で二階に上がってしまった・オレは自分が情けなくなってしまった。気を取り直しふて寝している和子に「スマン本当にありがとう・・処でどこにいたんだ?」と聞いた。「駅前の交番に誰かが連れてきて交番では面倒見れないというので杉並警察に引き渡されていたの、帰りはタクシーで帰ってきたのよ!」「オッツ!それじゃぁしじみは交番からパトカーに乗ったのか!おまけにタクシーにまで、やったねっ!」「バカ!まったくこれからは気おつけてよ!」一件落着女は強い。脇ではしじみがこれでもかというほどに尻尾を振っている。「バカ!」
1 月28日(金)晴れ
新聞を広げると、いきなり阿佐ヶ谷の町の文字が踊っていた。その横大写しの写真で「阿佐ヶ谷ラピュタ通信」の才谷くんと阪本くんがにんまりほくそ笑んでいるではないか。昨日綺譚倶楽部で飲んでるときは何も言っていなかったので大いに愕いた。内容は、彼らがやっているミニコミ雑誌「阿佐ヶ谷ラピュタ通信」の紹介記事だった。先日も毎日新聞で谷川俊太郎さんも交えた彼らの写真記事が載ったばかり。「あ〜ぁ新聞もかなりネタがなくなってきたのか時代は退屈しているのだな〜」とぼんやり記事を読んでいたところ、その記事の下にある囲み記事に愕いた。「すぎなみ文化通信」11周年記念展覧会とある、知らなかった。この通信もミニコミ誌らしく、趣旨は区内で文化活動をするグループの情報交換や交流の場を作るといったことらしい。あるんだな〜、こんな本が、これだけしつこく阿佐ヶ谷にこだわって生きてきたのに・・・・まだまだだな〜知らないことっていっぱいありそうだ。
新聞をめくると、昨日やって来た落語トリオが話していた「インターネット落語会」の記事が飛び込んできた。
落語協会がホームページ開設を記念して、31日に上野の鈴本演芸場で開かれる寄席がインターネットで生中継されるのだ。落語の本格的インターネット生中継は始めてのことらしく、結構な話題になっていたものだが本当にやるとは思わなかった。ましてや今後、定期的に寄席中継をするというから目が離せない。中継視聴もソフトのダウンロードも無料とか、時代は進んでいるのだとつくづく感心してしまった。開演は31日午後2時、円歌らが主演する。
しか〜し、そんな時間に誰が見るのだろう?とにかくブックマークしなくては(http//www.rakugo-kyokai.or.jp/)
1 月27日(木)晴れ
例によって昼頃寝ぼけ眼で起き階段を一段踏み外した。ついてない、一日の始まりにこれではつまんない一日になりそうだなと足をさすりさすり居間に行くと留守電がピコピコ光っている。嫌〜な予感がした、恐る恐るonにすると「今日9時にいくよ〜今日はやっていいてよ〜!それじゃ〜ね〜!」電話から飛び出てきた陽気な声は落語オフィス・唐茄子屋譲二だった。オレはこの男にはどうも信用されていない、友達を連れて阿佐ヶ谷に来るときは必ず前もってオレを押さえ込みに来る、というわけで今日は仕事をサボれない。まぁこの電話で気持ちがいい方向に向いたので今日は良しとしよう。しかし今日は寒いな〜、さぼりたいな〜
唐茄子屋譲二、横目家助平、柳家三太楼の落語トリオがやってきたのが9時過ぎ。誰もいない店内に、かって知ったる唐茄子屋、横目家はすっと店に馴染む。今日初来店の柳家三太楼さんも「全日本焼きとん愛好会」の忘年会で見知っていたのでお互いにスッと馴染めた。この三人はインターネット上でホームページを持っており相互リンクを張っている仲間で仲良しなのだ。落語家とインターネットとは意外な気もするが、落語会もかなり大勢の人たちがインターネットをこなしている、そんな彼らはかなり早い時期からその先鞭を付けている。椅子にどっかと座った三人は酒の飲めない助平さんのウーロン茶を後目に、唐茄子屋、三太楼の二人は焼酎のボトルをアッという間に開け追加ボトルでガンガンを飲み始めている。この助平さんは意志の強い人で、夜6時以降は水以外は口にしないといった徹底的ぶり、その結果こういった展開になると便利な運転手の役割が回ってくる。その助平さんにとって三太楼さんは、同じ落語協会でちょいと兄貴分、話の最中、助平さんが、三太楼に向かって「アニさん」という響きが鯔背な感じで気持ちよい。返す三太楼さんのべらんめ〜調もまた小気味がよい。
寒いせいか、まったく人が来ない店で、彼らはよく飲みよく酔いよく喋った。落語マニアのオレとしては、話し上手が揃っただけでも楽しいのに、あまり聞けない落語業界の裏話なども聞けてとてもいい時間を貰った。役得だ!
三太楼さんはしきりにいい処だと感心し「また来ますよ」といってくれ、落語トリオは気持ちよく帰っていった。
遅くに「阿佐ヶ谷ラピュタ通信」の阪本くんと才谷くんが現れ、次回の企画でオレの阿佐ヶ谷写真を取り上げたいといってきた。ほんまかいな!
1 月26日(水)晴れ
あ〜〜呑んだ呑んだ・・・・呑んだ呑んだア〜呑んだ・・・まったく我ながら年を感じさせない飲み方だ。よくもま〜あぁ〜呑めるものだ。9時頃、あ〜ぁ暇だ暇だとつい酎ハイを軽く呑んだのが運の尽き・・・退屈しのぎがすっかり本調子になり、僧職の身にありながら作家もこなす生臭坊主荻史朗が「まぁ〜まぁ〜さぁ一杯いこう」と薦める酒もしっかりいただき絶好調ォ〜〜。ビール酒酒酒ビール酎ハイともう何が何だかシッチャカメッチャか。夜も更けて人もいなくなり、へろへろに酔っている野球チームのサダちゃんと二人で河岸を変え、一番街のホテルのBARでは黒糖焼酎【里の曙】をボトルでキープした????呑んだ話したまた呑んだ・・・さぁここら辺りから記憶の糸がぷっつり????????ダメだ〜もぅ 大二日酔いで下半身に力が入らない、気力もぷっつりなのでもうや〜〜めた。
1 月25日(火)曇り 寒〜〜〜イ!
三日と開けずに電車に乗ることになった。以前より見たいと思っていた映画「ナビィの恋」を新宿まで見に行くためだ。例によって昼過ぎにノコノノコ起きだしたが、あまりの寒さに布団から出るのに腰が引けてしまう。
「じゃぁ行って来るよ」と家を出たが、駅前当たりで腹の虫が騒ぎ始めので、少し腹をつくっておこうかと、立ち食い蕎麦屋に飛び込み「天麩羅ソバ!」を注文する・・・が、が、が、が、あが〜!マズ〜イ半分残して逃げだした。車内ではムカッ腹をたてながら、先日来読みかけの柳家小三治の飄逸な語りの「噺の枕」で気持ちを取り直した。テアトル新宿に着いたのが午後2時。階段を下りると誰〜れもいない?受付さえいない?時間表を見ると、この会の上映時間の始まりが1時、これじゃぁ誰もいないのは仕方がないやと、スゴスゴと町中に戻り時間を潰すため行きつけのDUGの階段を下りる。午後のコーヒータイムDUGは結構な客の入りで、オレは、遠慮してカウンター前の2人席に座った。店内を見渡すと意外と女性客が多いが、ミニスカートや茶髪の人は皆無、落ち着いたトーンの色合いの服装がほとんどでとても気持ちがよかった(先日の池袋とは格段の差なのだ)。壁際に沿ったオレの目の前には大振りの花瓶がありドッサっと猫柳が活けられていた。所在なげに立つ女店員が先ほどから、その猫柳越しに見える隅のテーブルをジッと見ている。なにかなと気になり猫柳腰に見えるテーブルを見ると、男がしきりに瞼を擦り上げている。その男の向かい合わせの席には女がおり、じっと下を向いたきりで決して顔を上げようとはしない。あぁこれは別れ話の最中なのだなと合点がいくと、ハハン新宿らしくていぃや〜て気になってきた。本を取りだし読書を決め込むが奥まった席の別れの場面が気になって仕方がない・・・どうもこの間といい今日といい盛り場の喫茶店では読書に身が入らない・・・オレもヤキがまわってきたか・・・都会のイナカ者になってしまったようだ。
テアトル新宿のロビーは入れ替え時間にぶつかり、人でごった返していた。28日が最後なのにやはり人気どうりの映画だ、こんな入りで打ちきりにするのはもったいないと思いながらも、いつものごとくコレクションのチラシを抜き始めると、なんと2センチもの厚さになったのは驚いた。パンフレットも買いそのチラシを挟んでトイレに行こうとした瞬間、こぎれいな叔母さんと接触してチラシをばらまいてしまった。ごった返しているロビーで一枚一枚紙を拾う姿の情けなさ、知らんぷりしていってしまった叔母さんの憎らしさ・・・。でも、映画は予想以上に出来のよいもので1時間30分ほどの上映時間はアッという間に過ぎてしまった。その間、あのクソ天麩羅ソバを残してきたお陰で満員の客席ないで腹がク〜ク〜鳴くのには閉口した。阿佐ヶ谷まで持ちこたえた腹で駅に降りたのは午後5時30分、駅前の二階の蕎麦屋に飛び込んでソバセット(タヌキソバとおこわ)を注文、丼にかぶりつき一気にかっこむと〜〜〜かんべんしてくれ〜〜〜空腹は最大の調味料・・・なのに〜〜ソバ2食分しめて1100円ツイテナイ!
夜、阿佐ヶ谷ザムザで今日から旗揚げ公演中のストレイドッグが吐夢で打ち上げ。芝居を見た梁山泊の近藤弐吉、伊藤正之は綺譚倶楽部に登場。後から来た主演の結ちゃんも合流。3人は綺譚倶楽部から吐夢に流れて全員で大騒ぎ。つぶれるものまででる始末大丈夫なんかい?今日は初日だろうが・・・・明日からの興行・・・は・
1 月24日(月)曇り
ジャズ喫茶最後の牙城「娥楽亭」店長ハジメの苦戦が続いている。「ぼ〜としてないで何か作戦を考えてみろ」と云うオレの言葉をどう受け止めたのか、ある日娥楽亭にちっちゃなテレビが置かれていた。聞けば「フランス映画とジャズは相性がいいでしょう、だから映画とジャズのビデオを流そうと思っている」という。この作戦はオレも旧鈍我楽でやった、当時は、みんな単純なもので「ぎゃぉ〜パーカーが動いている!コルトレーンが動いている」と驚いたものだが、情報があふれ返っている今はそうもいかないだろう?かえってジャズに集中できなくなってしまう気もしたが、若いものにそれを云っては詮無いからと、数年来、我が家の押入で眠っている数々のジャズや映画のビデオテープを活躍させることにした。早速運び込んだビデオの中から、今日、映画「勝手にしやがれ」を、大音量のジャズに身を任せながら数年ぶりに見た。映画は字幕スーパーが入っているため無音ながら構集中楽しめる。アメリカ娘パトリシアを演じるジーン・セバーグのTシャツに書かれたニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの文字が、胸の膨らみをおおいに強調して大変に結構でよろしい・・・美は永遠なのだ。ところで、オレの収蔵していたコレクションのテープは、今やほとんど天然記念物的ベータテープなのだ。烈悪な環境にしまわれていた割に、まだまだ劣化していない画面に「ど〜だ!VHSメッ!わしゃ本当にベータでよかった」と妙なところで大満足。
ビデオ業界のベータとVHSの主流合戦で反主流派に追いやられたビデオ・ベータユーザーは、一見この地球上から一掃されたかに見えるがどっこいまだまだ生き残っているのだ。オレは、プロが撮っているマスターテープがベータだということを知っていたから、絶対に音・質感はベータの方がいいのだと確信してあくまでベータに固執したのだ。 まぁ、ビデオ業界の人間を知っているといった特典でテープを易々と手に入れられるといったこともベータ派の残党になるきっかけにもなったのだがね。しかし、かわいそうなのは一般ユーザーだ。いまではベータのデッキを持っていてもビデオテープを売っている所がなく探すだけでも一苦労になってしまている。この現象は、現在も当時と同じ現象がCDやMDなどの音源世界で起こっている。これってメーカーの意図が見え見えなのだ、もう騙されないぞッ!。だけどもね!「い〜んだ、い〜んだ音源はベータが確実にいいのは分かっている、鬼っ子扱いされたって平気さ!」とベータ派を気取る続けているオレだったが、それはそれでちゃっかりVHSも買っていたのだ。こんなオレ、いずれまたベータとVHSの同じ轍を踏むことは火を見るよりも明らかなのだ。
1 月23日(日)晴れ
今日は久しぶりに電車に乗るので、カバンに柳家小三治著「噺の枕」をつっこみ家を出た。目的地は山の手線池袋と近いのだが、電車慣れしてないオレは人と目線が合うのがキビ悪いので本を読むことにしている。
落語会一の極道もん橘家文吾の独演会【橘家文吾の保護観察】会場、池袋演芸場前に立ったのが5時半。今日は6時半開演、これじゃあんまりも早すぎるってんで、小一時間ほど時間を潰すため不案内の町中に出てみるが気の利いた喫茶店がない。おまけにここ池袋はすれ違うやつらの臭いが違う。えーいままよと、飛び込んだ店の名がすごかった、純喫茶【伯爵】金ぴかに装われた店内は、伯爵どころかなにやら下卑て怪しげな連中でいっぱい。やっと奥まった空間に空いた席を探し、腰を下ろすと今時珍しい麻雀ゲームのテーブルだった。読みかけの柳家小三治を読んでいると、テーブルでは女が麻雀牌を並べたり崩したり、そうかと思うといきなり裸になったりで、いやはや本に没頭できない・・・そうこうするうち、隣の席にちょっとクズれた若い女が、エイヤっと投げやりに座った。座ると同時に携帯電話がけたたましくなる「ハイ!マリモで〜す!その彼年はどのくらいですか〜?エ〜そうなのですか、いつもの奥のゲーム機のテーブルにいま〜す、後で電話入れま〜す、おつかれさまで〜した〜!」と謎のような会話で電話を切り、じっとオレを見つめだした。オレと、目線が合うと妙に媚びた目をする・・・マリモか〜?ヤバイな〜!こりゃ、テレクラ女だ〜!ウ〜〜ッムまさか俺のことを客と間違えているんじゃないだろうな〜?!オレは始めて体験するテレクラ女との遭遇に心臓がドキドキし始めた・・・読んだふりしてる本の文字も追えず、アイスコーヒーのグラスに手を伸ばせば、件の女が相変わらず脱いだり画面から消えたりしている・・・ハァ〜疲れる!。隣のクズレ女と言えば所在なげにミニスカートから生々しく足を投げ出しコーヒーをすすり目線の先はオレ。畜生、こんなクズレ女にびくびくしてたまるか。こうなりゃ、どんなマヌケ野郎が来るのか確かめてやろうと覚悟を決めた。覚悟を決めたッテほどのことかね、まったく意気地がない。アイスコーヒーもなくなり、タバコも4〜5本吸ったころ、やってきました、やってきました、マヌケ野郎が・・・ふえ〜!えれ〜長く感じたなこの時間。「マリモさんですか?」とマヌケ野郎が女の頭越しに声をかけてきた。間髪入れずに「ド〜〜も〜〜ハジメマシテ、マリモで〜ス!」と女は屈託なく応えた。案の定、野郎は40半ばのうだつのあがらなそうなチンケで地味な男だった。縛りも溶けてホッとしたこともあってか、いつらが、これから気持ちのよいことをするのかと思うと、やたら腹が立ってきた。根畜生メ!オレはといえば、これから落語会一の極道もん強面の橘家文吾を聴きに行かなきゃならないっての色気がね〜な〜!それも、よりによって奴の出し物は女郎を買って女房別れし、後に再縁する大工の噺で落語会一の大ネタといっても過言のない『子別れ』ときては。何ともはや池袋落語観賞顛末記の導入部(枕)がこれでは出来過ぎだよ〜ん!
1 月22日(土)晴れ
ずいぶんと発行が遅れていた「とうもろこしスポーツ」略して【とうスポ】が唐突新年号と銘打って広島の堀さんから送られてきた。この【とうスポ】とは、広島の草野球フリークが発行しているミニコミ新聞で、而してその実体は、知る人ぞしる日本版『フィールド・オブ・ドリーム』なのだ。なのだと、大上段に振りかかられても、なんのことだか皆目見当が付かない人がほとんどだろう。というのは、ケヴィン・コスナー主演でヒットした映画『フィールド・オブ・ドリーム』を見て、「よし、俺たちも、この広島のとうもろこし畑に野球場を造ろうではないか」と野望を抱いたのがこの新聞の発行人堀さんとその仲間たちだった。彼らの熱意は凄まじく、何ヶ月もこのことに没頭し石ころだらけのとうもろこし畑の荒れ地を、ついには野球場に変えてしまったのだ。広島に住む男たちの壮大なロマンは、このことによって、まさに映画を地でいった日本版『フィールド・オブ・ドリーム』になったのだ。我々の作った草野球チーム「ライジングサン・ホーボーズ」の長年の宿敵で、詩人平出隆率いるプロ草野球チーム「クーパースタウン・ファールズ」などは、この熱意にほだされ有志を募り現地まで球場作りの協力がてら、堀監督率いる「コーンフレークス&コーンポターズ」との遠征試合をしてきている。そして、いつの日か、オレも堀さんとの繋がりが出来新聞を送ってもらっている・・・当然定期購読料は払っているが。ちなみにこの堀治喜さん、【とうスポ】紙面の面白さもそうだが、なかなかの文筆家ですでに何冊かの本を上梓しているので、ここに紹介しておこう。
【われらのフィールド・オブ・ドリーム】発行メディアファクトリー¥1600/【カープ猛者列伝50】ブックハウス¥1600/【時代の気分はもう二日酔い】文工舎文庫¥980円 これって東京で打っているんだろうか?
1 月21日(金)晴れ
今日、本棚で捜し物をしていると、昭和50年に読売新聞社から刊行された写真集【寺山修司・幻想写真館 犬神家の人々】が目に飛び込んできた。それというのも、先日約束して来なかった石井くに子の話をみんなでしている時、ぼんやりと彼女の主演した「初恋地獄変」で寺山修司が居酒屋からほっぽり出され地べたに転がり込みヨロヨロと立ち去っていく後ろ姿が印象的な場面を思い出したからだ。あの時代、寺山は黒のとっくりセーターとトレードマークのトレンチコートを引っかけ女が履くような高い黒のぽっくりを履いていた。その映画の場面でも寺山は確かそのスタイルだった。ヨロヨロと立ち上がり去っていく彼は、その時脱げたぽっくりを履き直したのかまたは脱げなかったのかどうしても思い出せなかった・・・これが場面構成上かなり重要なことのような気がしてしまっていたから、つい手にしてしまったのだ。
その写真集をパラパラめくると一枚のきたならしいパンフレットが出てきた。
演劇実験室『天井桟敷』「大山デブコの犯罪」作=寺山修司 美術=横尾忠則 音楽=和田誠 演出=東由多加
所=新宿・末広亭 時=昭和42年(1967年)6月27日〜7月1日 毎夜10時(終演後終電に間にあいます)
木戸銭=花桟敷700円、暗闇椅子500円、天井桟敷400円、立見200円
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そのパンフレットには、モノクロ写真で大山デブコが岩場でパラソルを持ちビキニ姿で不気味に微笑んでいた。
このパンフレットに書いてある 所=新宿・末広亭、スエヒロテ〜エ?あそこで演ったのだっけか、オレ行ったよな〜う〜ん?????これがボケの始まりか、また記憶のどん底に陥ってしまったい。う〜〜やんなっちゃう〜!
でも、これだけは確かだ・・・大山デブコのその後は、どこでどうしたか浅草のチンドン屋となり、彼女の大好きなワカメだったかコンブだったかのエキスから出来た健康飲料を飲み過ぎて死んで逝ってしまった。ご冥福。
それにしても、昭和50年に刊行された、この写真集定価4000円の値が付いていた。自分の青春時代を振り返り、我ながら「お前、あの貧乏な時代によく金があったな〜そうか〜エライ!」と誉めてやりたくなった。
1 月20日(木)晴れ
先日「ラジオ深夜便」のことを書いた。この夜、名女性編集子薫ちゃんがやってきて「スポーツ紙の一面に大きく出ていたのだけれど、ラジオ深夜便のアナウンサーの誰かが心中自殺したそうよ、難しい名前の人だったので忘れた」と言う。あの番組のパーソナリティには親しみを感じていたオレはたまげた、早速、手元にあった小雑誌「ラジオ深夜便」を彼女に見せ「その人、この中にいる?」と見せるが該当者は見つからなかった。誰なのだろう・・・モヤモヤした気持ちを家まで持ち帰り早速インターネットで検索すると、怪しげな<今日のニュース>というサイトにモヤモヤの張本人の本名と心中未遂にへと導かれていく彼の行状(二股三つ又かけ、女同士の確執から世間に漏れ、女房を心中相手に選べる羨ましい男のダブル不倫の挙げ句)がいち早く克明に書かれご丁寧にもこのサイトの管理人らしい男のコメントが書かれており、文末にはご丁寧にも<自業自得なのだ〜!>とまで書かれている。
確かに、煙草3本を溶かした水で<死んでやる>は無理というもの情けなかろうよ。これじゃぁ世間からは、なんというお子ちゃま的な馬鹿判断・・・「せめてピース10本を溶かしたぐらいのこと出来なかったの?これじゃぁ命根性の汚い狂言自殺と穿って見られても仕方がないだろうよ」と、オレは思ってしまったのだ。
しかし、56歳の彼氏の役職であるNHKエグゼクティブ・ディレクターという地位がどれほどのものか知らないが、57歳定年まで、あと一年無事勤めれば天下のNHKだ相当な退職金も貰え、楽な余生を送れたろうに・・・哀れだ! 哀れといえば、9年も昔に56歳の高校教師が、何かの会で酔っ払って、お調子こいて女性徒の胸を触ったと二度に渡り現職の高校に投書されてしまった。それについては本人も潔くその事実を認めたそうだ。
そりゃそうだ、9年も昔のと事、本人は時効的な気分もあったろうが・・・結果は退職に追いやられてしまった。
なんてこったい・・・この非人情なお裁きは、なにも9年も昔のことを・・・それも胸を・・・で退職とは?。
これだから教育という職場は教師個人個人の人間性が失われていくのだ。まったく、この教師には同情してしまう。9年も前に胸を触られたと訴え出る女も女だ、どんな性格をしているのだろう、それも投書というやり方が陰湿だ。9年も昔のこと、その間その女は教師を追い落とす機を伺っていたのだろうか・・・おっかねえ女だ?
NHK職員56歳・・・教師56歳、人生を狂わせてしまったきっかけが、女。
順風満帆に見えた人生の仕上げ時期に、けつまずいてしまった彼らの心の中にある恨みも、女?
犯罪の陰に女有り・・・内面女夜叉外面菩薩・・・ほんとうに恐え〜や女ってものは。
1 月19日(水)晴れ
友遠方よりきたる。その友人は、大学生活のほとんどを阿佐ヶ谷で過ごした。その頃の彼は、痩身で大柄な体に黒い細身のジャケットと、スリムなパンツがまたより足を長く見せ、とってもダンディで育ちの良さを伺えさせた。
そんな彼の愛するものは現代アートだった。格段の仕送りがあったとはおもえなかったが、「何時か秋田にギャラリーを作るのだ」と、たいそうな絵画を買って来ては、オレに見せてくれた。そんな彼が、愛するジャズはヨーロッパ・コンテンポラリーだった。ビートニク世代に影響を受け、ひたすらハードバップに身を任せてきたオレとしては、唯一この点でソリが合わなかった。が、彼とはずいぶん気持ちのよい時間を過ごしたものだった。そんな彼は、大学卒業後しばらくして国に帰った、それから早20年。いま彼は、秋田県の水質検査研究所に勤める検査技師で、今年46歳になった。社会人となってからの彼は、研修会、講演会などの機会で上京すると、必ずオレを訪ねてくれる。今回も、どこそこに講義に来たついでだと行って、二日ばかしホテル・スカイコートに宿をとり遊びに来てくれた。風貌もいい年の取り方を見せ、相変わらずダンディな彼だが、今日は、何時になく疲労した気配を見せ、どこか生気も失せていた。聞けば、「昨年は、同所内で大気汚染関連の仕事場に変わり、ダイオキシン問題で休日返上しての働きづくめだった・・年も年だしね、さすがに疲れがでてきたかな・・・おまけに先日、近所に住む同い年の友人が首を吊ってしまってね、彼独身でさ〜、おふくろさんひとりを残してして逝ってしまったんだ、近所だけに、帰って彼女の顔を見るのが辛くってね、まいったよ・・・。ところで矢野さん、今ボクが係わっているダイオキシンね。これに指定された物質は、この間まで10数種類を数えていたのだけれど、驚かないでよ・・・なんと、また新たに12種類追加されたんだ、これは実にこの社会にとっては恐ろしいことなんだよ、いずれこのダイオキシンは急速に地球温暖化を早め、必ずや地球を破滅させるよ!持って100年かな?」と、真顔で恐ろしいことを言う・・・見れば彼端正な顔に、ちょっと不気味なシミが浮かんでいた。ビール一本をやっと飲み終わり「明日は9時の飛行機で帰るので今日はもう帰るけど、矢野さん、秋田においでよ。一日付き合うからさ!ボクにとっても、いい休日の言い訳になるから・・・<乳頭温泉>て知ってるよね、あそこ未だにランプの宿なんだ、是非案内したいな!」嬉しいことを言ってくれる。今日の彼は、ちょっと疲れた雰囲気で、恐ろしい話題を残し、何時とは言えない約束をするとユラリと立ち上がり静かに帰っていった。行ってみようかな〜<乳頭温泉>まてよ〜!混浴はないって言ってたな〜?
1 月18日(火)晴れ
いま、吐夢でいろはカルタが、俄のブームになっている。ブームたって和子が、いろはカルタの文句を思い出していたら、全く思い出せない腹立たしさから、誰かに聞いたのが始まりで、そこから火が付いただけらしい。
これが、以外と大勢よってたかって思い出せない。<ひ>ってなんだっけと、ある奴に聞けば「あれだよ、あれ、ほら、貧乏人の子沢山」「バッカじゃないの!一家団欒でやる遊びなのに、こんなカルタを読み上げているお父さんかわいそうじゃないの〜」「エッそ〜かな〜?」。<た>はなんだっけ「他人の不幸は密の味
」<て>は「出たとこ勝負」「ダメだ、こりゃ〜!天に唾を吐くだろうよ〜」こんな始末でヤンヤヤンヤノ大騒ぎ。
ちなみに、その時にでたもので思い出した幾つかは、
<つ>月夜にカマを掘られる/<お>鬼も十八番茶も出花?/<ま>負け犬の遠吠え/<ゆ>遊女の深情け
まったくひどいものだ・・・が、記憶の<腐った引き出し遊び>も、ここまで来ると何かの形になりそうで面白い。
1 月17日(月)雨 寒い
昨夜から、NHKラジオは阪神大震災の特集を延々とやって、しみじみとひとりそれを聞いていた。
そして時間も深まると「ラジオ深夜便」の時間帯に突入する。この「ラジオ深夜便」、最近同名の雑誌を刊行したりして、今や、中高年若者層で知る人ぞ知る隠れたヒット番組になっている。かくいうオレも、NHKラジオを聞くようになったら、人間棺桶片足状態との偏見から、徹底的に抵抗を試みていたが、近年すっかり虜になっている。とくにれ落語ファンは、NHKラジオからは逃げられない事は自明の理。ナゼかというと貴重な昔の音源をたくさん保存している某民放ラジオがバタバタと落語番組を打ち切ってしまたからだ(TVもすっかりやらなくなってしまった)。
日本一であろう、昔のウルトラ貴重盤を保有するNHKのラジオ番組<真打ち共演>や、玉置宏の<ラジオ名人寄席>、「ラジオ深夜便」の中にある<ラジオ深夜寄席>などを知るころには、すっかりコンクリート・チャンネルNHKになってしまうのがまず落語ファン。落語以外の各コーナーがまた面白く、アナウンサーの方々の口調も気持ちよく、この居心地の良さはなかなかで、ここからもファンが増えていることは確か、もうすっっぽりはまって抜けられません。そこで、落語はともかく、どうしてオレはこの番組にはまってしまったのか番組考えてみた?
なにせ、深夜便というくらいだから、ずいぶんと雑多なものを運んできてくれる・・・届く荷物は<落語><懐かしのメロディ><俳句><森繁、荒木道子のラジオドラマ><川柳><説法><人生対談><宗教><故郷のお便り>など・・・うっひゃぁ〜、どの荷物をとッテも、長い年月を掛けて築き上げてきた年輪がなせる技のオンパレード。自分なりに分析するまでもなく、なにをかいわんや、このオレさまは単なる年よりだったのだ・・・ヤラレタネ!。ここからは久しぶりにマジ文・・・・
昨夜とて、阪神大震災のレクイエム番組で、震災にあった方々の朗読、対談などを延々と聞いている自分がいた。震災に遭われた人たちの力強い復活の言葉に感動し、日々滅亡に対峙し、明日に向かって生きなければいけない地震国の運命を呪った。特に驚いたのは、行政の遅れに業を煮やし、医療機関を独自に開設した医師の語る孤独死の下りだった。「驚くべきは、この孤独死の多くの世代は、独り身の40〜5代の男性だった。もともと男というものは弱いものなのです、一人になると何をしてよいのか、目的を失ってしまうのですね!その中でも、今回孤独死という名で亡くなってしまった人たちの傾向が顕著にあらわれるのが、日々アルコールに依存した来た人たち。この人たちは、独り身の無目的な寂しさを紛らわす手段として、アルコールを友としてきたのですね。そこにこの震災・・・そこで出来上がったのが、復興に懸ける素晴らしい人間関係・・・そこで彼らは自己を取り戻したのです。ところが、日を追うごとに人は去り、町は元に戻り始め人々の繋がりが消え始めた・・・そうなると、この独り身の男性はまた目的をまた失い、アルコールに強く依存するようになる。やがて、アルコール中毒による強迫観念から、恐ろしい孤独感が襲ってきて、人間本来のものである生への欲望が絶たれ、食欲もなく、無気力となり、ついには生きる力がなくなり孤独死という道を辿ってしまうのです・・・・」
今日も今日とて、阪神大震災の特集をやっている。見聞きしているうちに明日は我が身かと思うとゾっとする。
この時間、1秒、1分、1時間これから先のことなんか分からない・・・こんな日に、この言葉は使ってはいけないとは思うが「明日は明日の風が吹く」と、開き直ってしまう・・・人間なんてそんなものさ仕様がないじゃないか!
1 月16日(日)晴れ
世田谷のボロ市の話を昨夜したので、昼に目が覚めると布団の中で「よ〜し今日はボロ市だ」と意気込んで起きだし、バイクの調子を見てジャケットを着た途端に、グル、グルグル、グピュー下腹部に差し込みが来た。ヤラレタ、このところ多少飲み過ぎてもナントもなかったので油断していた!昨日のチャンポン酒にあたってしまった。どうも、いけない何かリズムが悪い。それも贔屓の品モノに執着すると調子が狂ってくる。
こりゃ、ひょっとすると天のお告げか天の橋立・・・新聞を持って便所に飛び込み、傾向と対策について考えた。
てなこと言ったって、ボ〜ボ〜ケツに火がついている、こんな状態では考えるテーマが見つからないのでやめた。
反省して、ボロ市に行くのはやめた、日記を書くのも面倒くさいからついでに今日はやめた・・・ケツが熱いぞ!
1 月15日(土)晴れ
桐箪笥第3弾、最終回。桐箪笥が頭にこびりついて3ッ日目。やはり我慢できず、もうほとんど自分の物にした気分で財布もしっかり確認し、散歩の途中例のところに寄ってみた。ところが、昨日見た桐箪笥も、小振りの桐箪笥もそこにはなく、妙な形の籐の棚と、どでかい人形ケースが鎮座し、両箪笥の影も形もない。ヤラレタ・・・!
まったく・・・こんなもんだ。人間関係にもよくあることだが、さくさくと事が運ばないって時は、そいつとの縁が薄いってことなんだ。半ば諦めちゃぁいるが、あの間抜けな帳場野郎さえしっかりしてれば・・・クソ〜今頃は。
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月14日(金)晴れ 昨日より6〜7度も高く何時になってもポッカポカ〜!
オレの性格からすれば、
やはりといえばやはりなのだが、性懲りもなく昨日逃した桐の箪笥を見に行った。
ところが、昨日なかった本寸法の桐の箪笥が一棹、どう〜お〜!てなかたちで並べられ、ウィンクしている。なんとその値が1万円・・・安すぎる、念入りに見ても、以前の主の扱いもよかったのであろう傷もない。確かに、古い物ではないが立派な姿をしている。引き出しを開けると、引き出しの内側に吸い付かれるように滑り出てくる・・・桐箪笥特有の技だ、う〜ん欲しい・・・。この二つの桐タンス、親子で置けば結構な姿になるな〜!両方の箪笥一緒に買っちゃおうかな〜と、覚悟を決め帳場を見ると、店主に替わりマヌケな形の男が帳場に座っている。ダメ元で小振りの箪笥の値段を聞けば「すみませ〜ん!分からないんですよ〜」・・・必ずこんな答えが返って来るぞとは思っていたが、案の定であればことさら腹が立ってきた。また、このヌボ〜とした帳場男のこのかたちがいけない・・・おまけに二日続けて無駄足にムカっ腹が立ってきた・・・物との出会いでよくあることだが、こういうのが、縁がなかったと諦めるきっかけになるのだが・・・・さてさてどうなる事やら?
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月13日(木)雨・飴・編・天 どうやらアメと読む漢字はこれだけらしい
今年になってまだ一度も骨董市に出かけていないので、どことなくスカスカした気分なのだ。
昼間しじみの散歩の途中、神明宮の前にある松坂屋質店の店頭に、時代がかった小振りの桐タンスがおいてあった。顔見知りの店主に「ハウマッチ」「今、分からないから後で来て」「じゃぁ後でね」と別れたが、せっかちな性格はこういったもどかしさが大嫌い。モヤモヤしながらしじみを引きずり回し、気が付くと旧中杉通りにある骨董「竹本」の前に佇んでいた。ウィンドウを見ると、七福神が色鮮やかに描かれた伊万里の小皿が、ウエルカムとオレを呼んでいる。「七福神かぁ、こいつぁ春から縁起がいいワイ」とドアを開け「こんちわぁ、この七福神ちょうだい」でお買いあげ。久しぶりの店内は、かなり商品が入れ替わっていたので、隈無く物色・・・一緒に入ったしじみまで伊万里の大皿に目星をつけフンガフンガと興奮気味にマーキング・・・親父ビクビク。すると、目に飛び込んできたのが、ちょっとハデ目の「九谷の片口」。オレのコレクションにはない<木の葉の形>の変わったヤツ・・・まったく始めての出会いの品。「これも貰い!」と、ズボンのポケットに手を突っ込むと・・・ヤバイ金がな〜い。散歩の途中ということをすっかり忘れ、ほしい病の発作だ・・・「すんませ〜ん・・・金忘れちゃった、後で取りに来るからとっといて〜」またもや情けない状態。しじみの散歩も中断して、家にスっ飛んで帰り、金を握りしめ引き取りに行き、やっとこさっとこお気に入りを手に入れたこの喜び、満足満足大満足。いや〜・・本当にいい物を手にいれたのだMY
COLLECTION見てね。・・・タンスなんかもうイイヤ・・・! イヤ待てよ・・・・?
1 月12日(水)初雪だ〜!えれ〜寒いのだ。
昼頃のこのこ起き出して、窓を開け大欠伸をしながら、前の家を見れば北窓に白いものが????
「おんや〜!なんだなんだ、こりゃ雪が降ったのかいな?今年は初雪を見そこなっちまったな!」
二階の天トイが割れてぶら下がり、あちこちの雨水を集め、ドッシャ〜、ザバザバ、ビシャンビシャビリャ、ピットンピットントピトピとすごい音を立てて風呂場の外窓あたりを直撃している。実際の雨量は大したことはないんだけれど、窓枠や風呂場近辺に散らかったカンカラ、ポリバケツなどに当たって大音量で鳴り響いている。
それはなんとも言えない奇妙な音楽に聞こえ始めだした。ドッシャ〜、ザバザバ、ビシャンビシャビリャ、ピットンピットントピトピと、ノリのよいリズムを刻み止む気配もないその音は、やがてボリュームを上げ不安な大合唱となり、やがて来る天変地異を予感させはじめた。このリズムが、湯船にのんびり浸かってたオレの脳天気で自堕落な性癖に火をつけた。「こりゃ〜、やんなっちゃったな・・・外は寒さも厳しそうだし、ウン、よ〜し!今日は休みだ」なにが、よ〜し!だか・・・で、本日は2000年矢野ケ・第一回プレーステーション杯大麻雀ゲーム大会を開催。
1 月11日(火)晴れ 夕方からド〜ンと寒さが襲ってきた
「今日8時に3人で行くよ」と唐茄子屋譲二から予約の電話。約束通り8時頃に現れたそのひとりは、このところ阿佐ヶ谷にすっかりお馴染み、ご存じ横目家助平さん。わざわざ、今日のためこの格好で来てくれたという、黒紋付き羽織袴の正装で新年のご挨拶・・・この形で挨拶されると、ナゼか自分が偉くなったような気になるから嬉しい。綺譚倶楽部も俄に色めき時代めくが、脱いだブルゾンの下は、季節外れのTシャツ一枚という、唐茄子屋譲二はなんとも有り難くもない形。助平さんの黒紋付きは天狗の団扇紋「杉作・・・日本の夜明けは近いのだ」の鞍馬天狗と同じ紋なのだ。聞けば師匠の柳家小三治が大の鞍馬天狗ファンだそうで、一門の弟子はみなこの家紋を背負っているのだそうだ。洒落が利いていて落語家っていいな〜!家紋といえば、我が家の紋は<鬼蔦>・・・これは、花柳界でよく見かける紋だそうだ。ちなみに、この間の葬儀で見た女房の実家は<違い鷹の羽>、これは武家に多い紋だという。「あとの一人は?」と聞けば、駅前で待ち合わせだったが、唐茄子屋譲二の携帯に「約束場所に向かう途中、バイクで事故っちまった、正月早々演技でもない、それでも必ずいくから待ってていてくれ」という連絡が入ったという。180センチ、100Kの大男唐茄子屋譲二と、短髪で黒紋付き羽織袴の横目家助平・・・こんな男が、待ち人来たらずと二人佇む阿佐谷駅・・さぞや人目を引いたことだろうな。オレだったら写真を撮りたくなるような景色だ。
着物といえば、オレは家にいる時、着物を着る機会が結構多い、寝間着も単の着物で寝ている。1999年大晦日、初詣も着物姿が沢山出てくるかと思ったが、余りの少なさに少々がっかりした。ましてや、晴れ着姿の娘など全く見かけなく、成人式の昨日にやっと4〜5人見かけただけだった。こんな事も、だんだん正月の雰囲気が無くなっていく、ひとつの要因なのだろう日本人、本来の姿である着物姿を、奇妙なものを見るような目で見てしまう、現代はちょっと寂しい気がする。もっとも伝統芸能の世界でも、着物姿で通す人は皆無になってしまっているそうだから、一般の人にとっては縁遠いものになってしまったということは否めない。若い連中のファッションは、あれだけ奇妙奇天烈に体中ピンで刺したり、穴を開けたり、飾ったりし、入れ墨入れたりしているのだから、面白可笑しく着物文化を旨く取り入れた若者が現れないカナ〜・・・!やらなきゃオジさんが鞍馬天狗になって「杉作・・・日本よ夜明けは遠〜〜ぉい〜のだ」と、やっちゃおうか!まっやってみたいけど、オレがやってもさまにならないか・・・ヤメとこ!
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月10日(月)午前中久しぶりに恵みの雨 午後からは3月の陽気ぽっかぽかぁ〜
値が張りすぎるので、買おうか買うまいか悩んでいたので、昨日書いた森山大道写真集『4区』を、また西瓜糖に見に行った。改めて写真を見ると、見知った阿佐ヶ谷の景色がところどころに出てくるが、どこか印象が薄くなっている。<まや商会><暖流><質のマルヤ><おつまみの小島屋><質の常本>・・・ページをめくるうち、ある一枚の写真に綺譚倶楽部の入り口が写っているのを見つけた。フ〜ン森山大道も、銀杏小路の雰囲気にはまったのかと満足。じっくりと数葉の写真を見ていくと「???待〜てよ〜???」これがいけない、この???が頭をかすめると、オレは、もう一人の自分<ヨ〜怪人間××>に変身している。こうなるといけない、まったくいけない・、先日の感動はどこへやら「ふん!阿佐ヶ谷が写っていたから妙に感動しちまったけど、同じような風景ばかりでページ数の割に値段も高いし・・・写真だって昔の力が感じられないよ〜・・・これじゃぁ手抜きじゃないの。。どんなヘタな写真だって印刷された段階で、付加価値が付いて違うものになっちまうのさ・・・フン!これだったら、オレの阿佐ヶ谷写真のほうがグ〜〜ンといいんだものね〜〜!」これが、もうひとりのオレの性分・・・なんでもかんでも疑問符だらけ。<ヨ〜怪人間××>こいつが出てこないと、オレもなかなかいいヤツなのだが、人生50年コイツのお陰でさんざん失敗した・・・そんなことも忘れ、また出てきた。<ヨ〜怪人間××>一生付き合い墓場まで一緒か?全くもって、人というヤツはやっかいなものだ。これと似たこの世の病に、多重人格どころか42重人格まで発見されているそうだ。こうなったら、病んでる本人も、今誰を演じているのか、何が何だかもうシッチャカメッチャカてんてこ舞い、こりゃ疲れるだろうな?また、よく電車なんかで見かけることがある不気味な形で、自分に自分が話しかけて笑ったり、応えては怒ったりしている<一人二人症>という、全く孤独から解放された楽しげな病気もある。これはたまに、落語家などが電車の中で稽古をしていたりするので、よく観察してからその人を判断してあげよう。
1 月9日(日)曇り
先日オレのお気に入りの画廊喫茶「西瓜糖」で見つけた、森山大道写真集『4区』が朝日新聞朝刊紙上で紹介されていた。タイトルの『4区』は、東京都内4っつの区を森山大道が撮りおろしたもので、パズルのように阿佐ヶ谷の町の写真がちりばめられている。森山大道と言えば、胃壁にへばりついたサクロンの緑の結晶のような、粒子がバリバリにトンガった例の写真が有名だ。その写真が発表されたことの写真界は、コンテンポラリー全盛時代で物凄いエネルギーがあり、オレなんかもかなり影響を受け、結構写真作家を気取っていた。漫画家永島慎二先生の著者近影などの写真を撮ったりしていたが、先生には、持ち前のルーズさがバレバレで・・・「お前は日本一だよ・・・それもヘタのね!」と、妙な賛辞の言葉をもらい、やがて挫折していった。時代は、その後シャレコマ商業写真全盛時代になっていったが、この森山大道は変わらぬ姿勢で、写真会の「つげ義春」といってもよろしかろうカリスマ的存在になっていった。その森山大道の撮り下ろしだからすごいのだ・・阿佐ヶ谷の町が写っているからまた、嬉しいのだ。本は税込み3675円と、ちょっとお高い・・・が、何はともあれ見るべしなのだ・・薦めるココロなのだ〜!
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月8日(土)晴れ なま暖かいと、何故地震が来るような気になるのだろう?
オレのホームページ上で展開している、マッチラベルと旅をもじった『マッチ・ト・ラベル』のアップのため、久しぶりのデスクワーク。整理方法を忘れてしまっていたため、なんと半日も費やしてしまった。が、根が好きなこともあり、ラベルのひとつひとつに愛着が湧く。それぞれ自己主張の強いデザインに感心したり、なくなったジャズ喫茶のラベルに、往時を偲び感慨に耽ったりしている。この作業は滅法時間がかかるが実に楽しい。 今回は、韓国に赴任中オレのhpを見たという三宅さんという人が、日本に一時帰国したついでにと、わざわざ横浜から阿佐ヶ谷まで持参してくれた、学生時代からの大切なコレクションの一部をアップした。★と緑入りの文字が三宅さんのコレクションとコメント。
オレは、このジャズ喫茶のマッチラベル・コレクション歴は古く、鼻高々で自慢できるほど持っていた。そこで、ホームページという便利な発表の場を持ったことで、オレのhp上に、日本全国津々浦々、古きもの新しきマッチラベルの一大殿堂を作ろうと思った。
そこでアップしてみると、オレの座右の銘「求めよさらば与えられん」である、さっそく三宅さんのような同好の志が、自然とやってくるから不思議だ。このような人たちとの出会いは、ネット上で素顔を知らない人もいたりするが、それはそれでとっても素敵なことで、JAZZを介して、ある種の運命共同体意識が持ち上がってくるのだ。
昨年末には、さすらいのライダー<ガク>が、すごい量のジャズ喫茶のマッチ・ラベルを、娥楽亭に持ってきてくれた・・・うれしぃ〜・・・さ〜〜この整理がまた大変だ!。『マッチ・ト・ラベル』絶対、日本一のジャズ喫茶マッチラベルの殿堂にするぞ〜!
1 月7日(金)晴れ 気持ち悪いぐらいの暖かさだ
2000年仕事始め・・・行きたくないな〜〜〜!
正月明けは、地方から帰省してくる連中のお土産が次々と運ばれてくる・・・毎年どんなお土産が運ばれてくるのだろうかと楽しみにしている。酒の場に持ってくるのだから、当然、地方の名産で酒のアテになるようなものが多い。それを、同席した連中とワイのわいで、摘みながら酒を飲み・・・その土地の話題に花が咲く・・・これが最高。
なかには、せっかく持ってきた土産を、クソ味噌に言われ「クッソ〜〜バカヤロー、オレが作ったんじゃネ〜や〜〜金返せ〜!」と、本気で怒り出すヤツまででてくる始末。
今年初日の土産・・・NO1.は、京都 とり市老舗の超特級味醂醸『奈良漬』だ。
京は酒処、伏見の銘酒粕と味醂粕のMIXに漬け込まれた若瓜が、重厚な琥珀色にかわり、粕そのものも、素晴らしくまろやかな香りとなり、ちびりちびりと舐めると、おもわず酒が進んで行く・・・若瓜を噛めば、とてつもなく芳醇で味わい深い食感がたまらない。
こんな旨い奈良漬けを食べたことはない。幸か不幸か、来客もそこそこだったので、シメシメと家に持って帰ってきてしまった・・・スマンの〜〜!
1 月6日(木)小寒 晴れ
朝目が覚めボーとしていると、奇妙な思いに取り憑かれだした。
平成三年十二月二十六日クリスマスの翌日は、友人の店「ぐう」で、あど弁舎の忘年会があり、強かに呑んで帰った。その明け方、母危篤の電話でたたき起こされたオレは病院にスッ飛んでいった。数時間の後、病室は看護婦も引き取りオレ一人見守る朝八時、突然に母が、オレを呼んだのかと思うほど、大きくな吐息をついた「おかぁさん」と思わず大きな声で呼ぶと、ヒューと一息、肺に残ったこの世の空気を全て吐き出し息を引き取ってしまった。外を見れば阿佐ヶ谷の町は、すでに数十センチもの雪が積もり、真っ白な世界・・・その頃すでに、例年にない朝からの大雪に、東京中が交通パニックになっていたらしい。病室に、眠そうな顔をした若い医師が現れ、母の脈を取り「午後八時十五分」と看護婦に告げる。オレは心の中で「違う〜八時だ!」が声も出ない。「お母さまの体を拭きますから、外に出てください」と、テキパキ動く看護婦の言葉も、残るアルコールと不眠、母の死のショックで完璧なダウン状態がつづいた。
それにしても、あの大雪の中、電車は止まり、車はスリップ、タクシーもギブアップしてしまったのに、通夜の日の葬儀を仕切ってくれた友人達は、どうやって連絡を取り合い、参加してくれたのだろうか?あの日の事を思い巡らすがどうにも思い出せない・・・
そして奇妙な思いは遠くの親戚よりも近くの友人にいきつくのだ。
昨日、千葉の葬儀もまさにそうゆう事だったのだろう。喪主はあたふたしてしまい、ほとんど近所の人たちが、全て仕切っていたじゃぁないか。故人の親戚、縁者はまるで何もしていなかったではないか。火葬場に行くときも、参会者はみな出払ってしまうのに、後片づけやら、食事の用意まで、全てあの人達、裏方役がやっていた。まぁ、これは地域の互助会みたいなものが動いているのであろうが・・・根本・・・大切なのは近くの友人。「これが田舎の風習・・・田舎暮らしに憧れた人が真ッ先に挫折するのが、こういったつき合い」全くこんなつき合いしたくないよ、オレは昨日こんな事を書いたが・・・今、人と人との繋がりについて、思わぬ感慨に耽っている・・・ウ〜ン年取ったか?
1 月5日(水)晴れ
寝たのが深夜二時。千葉の朝は早い、いや異常に早い「起きた起きた!朝飯を食って早く支度をしないと、近所が来てしまう」とたたき起こされた。時計を見ると午前五時四十分。「ナゼだ〜!告別式は午後一時だろうが?」仕方ない人ン家だから起きなければとボーとしていると「うーサブー・・・まったくサケが抜けネ〜」と、あちらこちらから人がワラワラと現れる。寝た場所が悪かった・・・台所の隣部屋。午前六時「おはよーございます・・・おはよーさん・・・おはようです」と近所の手伝い達が現れた。和子曰く「これが田舎の風習・・・田舎暮らしに憧れた人が真ッ先に挫折するのが、こういったつき合い」全くこんなつき合いしたくないよ、と酒の抜けないオレはブンむくれ。午前七時半、また日蓮宗之本場千葉県特有南無妙法蓮華経読経で痺れを切らし・・・午前九時「そろそろ出棺です」の言葉に「エッ告別式は?」ひそひそ声が。告別式の前に焼き場に持っていき、お骨にしてから告別式をするという・・・変わっている!焼き場まで車で片道四十分・・・オレは吐きそう〜辛いよ〜で、ついに気絶熟睡。午前十時ちょっと前<長南聖苑>という焼き場に着くと「ほら、ここがミイラを焼いたところ!」と、誰かがウキウキと言った。「エッ!ここがあの定説か〜!」と誰かが驚く。「アッ!ここだここだ、見たよ、見たよ、この場所でインタビューしてたじゃないか!」「そうか〜ここか〜!」と、これから焼かれる婆さんをほったらかしで感動している。お骨になるまで休憩また熟睡。午前十一時「焼き上がったよ〜」で起こされ、またバスに揺られて四十分寝て午後十二時帰宅、告別式までまた寝た。午後一時揺り起こされて、また日蓮宗之本場千葉県特有南無妙法蓮華経読経で痺れ・・・ついでに初七日の日蓮宗之本場千葉県特有南無妙法蓮華経読経勘弁してくれ〜もういいよ〜!たっぷり聞いたよ〜!恐るべし日蓮宗之本場千葉県特有南無妙法蓮華経。たっぷりやってくれた告別式が終わり、参加者は足を投げ出すと「それでは納骨です」にビックリ、痺れている暇さえありゃしない!ぞろぞろ農道を、真っ黒けの大集団が歩く姿は、これはこれで素晴らしい景色だった。思わず写真会用にと写真を撮ってしまった。歩いて四〜五分の所にあるお墓に着くと、また日蓮宗之本場千葉県特有南無妙法蓮華経の声をバックに納骨、焼香・・・すべて終わったのが午後二時半。精進落としも逃げだし二階で寝た。日蓮宗之本場千葉県特有南無妙法蓮華経にうなされ、目が覚めたのが午後五時「さぁ〜帰るぞ!」と起きあがり階下に降りると、怒声蛮声嬌声宴もたけなわ、何もせずひたすら寝ていたオレは、身も縮こまる思いでスゴスゴと「全くもって寝てばかりで何もお役に立てず、すんませ〜ん」で、午後五時半ほうほうの体で退出。一路阿佐ヶ谷、午後八時しじみを引き取り、午後十時二人と二匹で猛然と寝た。
1 月4日(火)晴れ
今日はしじみのはじめてペット・ホテルにお泊まりの日。
和子の実家は千葉にある、そのため祖母の通夜・告別式に出席するためは泊まらなければならずやむなく、しじみを近所のペット・クリニックに泊まらせることにした。
単純に一泊するといっても、人間と違い病歴、予防接種の有無、性格、癖、食事方法、排泄の仕方等々面倒な手続きを終えると、しじみは、いきなりお尻に体温計をつっこまれ、突然ふるえだし腰を抜かしてしまった。これって、凄く分かる。オレも先日前立腺の検査ですっかり同じような目にあっているからだ。だから、笑えることではなく同情しきり。「ハイお熱もありませんね!それではこのままお預かりしますので、お引き取りください」と猫苗声の看護婦の言葉に、後ろ髪を引かれるような気持ちで病院を後にした。
都内の道路はガラ空きだったので下の道を行き、錦糸町から高速道路へ、<ここから京葉道路>の標識は、我が家からぴったりの30k地点。東金道路に入り「ずいぶん早く着いたね、海でも見に行こうか」で一路白里海岸へ。で〜んと、これ以上先は何もありませんてな形の海・・・太平洋はデカい。カメラをぶら下げ、その大きなさに手をこまねいていると、つかつかと寄ってきたおじいさんが「ここには被写体になるものがないでしょう・・・茫漠としていてとらえどころがない、何か撮り方があったら教えてくれませんか?」と話しかけてきた。聞けば地元で写真を撮っている人だそうで、彼もこの大きさを手に入れたいと模索しているらしい・・・矢野応える術を知らず・・・
屋敷内の部屋をぶち抜いた大広間で、6時通夜の始まり・・・小一時間日蓮宗之本場千葉県特有南無妙法蓮華経読経・・・終了後は田舎にありがちな長々とした通夜に突入、故人の大往生を祝い深夜一時まで飲んだり食ったり大騒ぎ。やがて、多勢の泊まり客は、どこに散っていったのか、屋敷のあちこちに分散就寝。中には車で寝るまで出る始末。
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月3日(月)晴れ な〜んじゃこの陽気は昨日より7度も高い
年明け一発目の、しじみのお車散歩に出かけた。小金井公園に向かうため、早稲田通りから青梅街道を目指す・・・環八を超えしばらく走ると、井草八幡神社への初詣渋滞に巻き込まれてしまった。「そうだ、まだ今日は三が日なんだっけと後悔」。まぁ急ぐ旅でもナシと鷹揚に構え和子と四方山話・・・ところが、ところが、いつもなら五〜六分で青梅街道に抜けられるのが、延々二十分以上もかかってしまったのだ。
そこで、気の短い二人は急遽、目的地をすぐ目の前にある善福寺公園に変更した。
その善福寺公園は、犬の散歩のメッカで、杉並ケーブルTVがここでイヌ番組を撮っていることもあり、自慢の犬を車に乗せて来る人が多く駐車の心配は常にあった。昔乗っていた車だと、かなり駐車スペースをとるため、ここは結構鬼門だった。最近乗り換えたジムニーだと、かなり狭いスペースでもOK!・・・案の定楽々と池の端に無断駐車。
散歩コースにでると早速、あっちからもこっちからも犬いぬイヌ・・・しじみは大はしゃぎ。ドコにそんな力があるのか、ぐんぐんリードを引っ張ていく。公園内どこを歩いても、イヌに関する公的な嫌み看板がないので気持ちがよい。歩く人もイヌもゆったりとした気分で歩けるのが実にいい。
1月2日(日)晴れ晴れ
昼頃目が覚めると、和子はすでにいない・・・そうか、昨日亡くなった和子の祖母の顔を見に実家に帰ったのだ。95歳で亡くなった祖母フーミンは、ここ数年自宅で寝た切りで、かなり危ない状態が続いていた。その看病をしていたおかあさんも70近く、さぞや疲れただろうと思わざるをえない!。これからは、少子化も進み、老人だけの家が増え続け、こういった辛い図式があちこちで起きあがってくるのだろう!考えさせられる。
今年は、元旦早々親戚からの訃報が二通も来た妙な年明けだった。
夕方、和子の実家からの訃報と、宴会の最中、弟から「××のおばさんが死んだ」と電話があった。今、日記を書いている8時ゴロ・・・階下で「ただいま!」と和子の声がする・・・三が日過ぎの葬儀の話をしなければ・・・もうやめったと・・・・さすがに今日は、自宅でひっそりしていよう。
1 月1日(土)元旦 晴
どうしても、コーヒーが飲みたくなり、行きつけの荻窪のピエロに、バイクで出かけていった。さすがにバイクだと寒さもひとしおで、出されたコーヒーの香りと、カップの暖かさ、店主の宮寺氏、夫人の由紀子さんと雑談でくつろぎ、やっぱり来た甲斐があると大満足。今日は、恒例になっている我が家での新年会・・・今年は、何時になく少数名。
気の早い酒飲みがひとり6時前にいち早く来た。早速酒を付き合う・・・宴会が終わったのが午前3時半。延々9時間飲み続け、酒さけサケでまた今年も始まったのだった。
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