平成11年9月 1999.9

9月14日 深夜
今日新宿シアター・トップスで、道学先生の「酒坊ちゃん」を見に行ってきた。
 気分の良い舞台に、日頃逃げ腰の打ち上げにもつき合い、したたかに酔っぱらい我が家に帰宅したのは、午前2時・・・。愛犬<しじみ>の深夜の散歩も忘れ、酔った頭で、まだ落語特選会に間に合うぞとTVを付ける。チャンネルを6に合わせると国立の大きな舞台で、志ん朝師が汗だくになって演じている・・・酔った頭でも、何処のさわりでも分かる演目<火焔太鼓>だ。酔った体をドテッと横に、愛犬<しじみ>の股ぐらをさすりながらTV観客を横柄に決め込む・・・相変わらず師の軽妙な語り口は気味よい・・・トントン調子で下げのおジャンで追い出しの太鼓に乗せる師匠の挨拶が終わる頃には・・・やったね!今日は一日何から何まで気分のいいことだらけで大儲け・・・!オレの上機嫌を察したのか、傍らの愛犬<しじみ>が、オレの足を舐めながら「おっさん!明け方のサンポは・・・?」と、熱い視線を投げかける。さ〜て行くか〜〜〜と、愛犬<しじみ>に声をかけリードを持ち立ち上がる。その時、
TVではCMが終わり進行の山本文夫さんが妙なことを言い出した。「ん〜〜ん!30年に渡って皆さんに親しまれてきた・・・・ん〜ん!云々かんぬん」。エッ!なんだそれ、が〜ん!きいてないよ〜!落語特選会が終わってしまうのか!山本さんの傍らにいる相方の榎本滋民さんまでが何時になく小さく遠くに見えだした。知らなかった、参ったよ〜!またひとつ日本の話芸の世界が消えてゆく、またひとつの時代の終わりを見てしまった・・・
しかし、落ちがおジャンの<火焔太鼓>か〜!さすがに洒落が利いているよな!
でも偶然にも<落語特選会>最期を見取ったのも、オレの話芸との縁・・・良しとしよう。


9/13
シアター・トップスでやっている劇団・道学先生「酒坊ちゃん」を、金曜の夜に観て  きた小沼夫婦が綺譚倶楽部に寄ってくれた。泣けた、泣けたとひたすら感動したことを話しているときに、主宰の青山君がノソっと現れ、二人はまたまた大感動。それにしても土曜はマチネだというのに、主宰・・・大丈夫化かいな、結構酔っていたようでしっかり差し入れの一升瓶忘れていったのだ。しっかりしろよ〜!
皆さ〜ん・・・どうせ暇なんだから観に行こうじゃないか・・・9月19日迄だよ!

9月12日
8月の糞熱いある日、ある友人からオレのホームページに載せた裁判日記に突いてのメールが届いた。
「冗談も程々にしておけ・・・お前はまだまだインターネットの恐ろしさが解っていない。何処で・誰が・何をしているのか見えない世界で、自分にリスクを負うようなことをしては行けない。喩え自分に正義があったとしても・・・一人で法曹界に立ち向かうなど言語道断、弁護士を要請せよ!」永年の友人である彼の言葉を聞く耳は十二分に用意してある。そういうわけでこの事件の顛末記はやめにした。野次馬は直接オレに聞け!

8月22日8/22
毎日新聞8月20日(金)
朝刊23面
まち図鑑99・東京の商店街阿佐谷編(下)に
矢野が登場文章もなかなかいい
特に文末が素晴らしい!    毎日新聞記者・戸嶋誠司氏

7/28
今度舞い込んだ手紙はひと味違うぞ

7月26日 大ニュース
矢野が、酷暑の霞ヶ関地方裁判所法廷に招待された偉くなったものだ!
梅雨も開けた爽やかなある日、矢野の自宅にとんでもない招待状が届いた
封を切って驚いた!お〜い、これって訴えられたってことかよ〜!

しかし、開封する前からまったく心当たりがなかったわけではない。
旧鈍我楽が地上げ屋に脅かされ続けて数年間、立ち退きを強要する悪辣な土建屋や、やくざ擬きの連中と戦ってきた俺には、野生の感というのがありピ〜ンとくるものがあった。
またまた理不尽なものに出くわしてしまった、その第六感というやつがそうさせるのだ。
封を切ってやはり自分の感の正しかったことを知る。そ〜か、やはり彼奴か!
巫山戯た奴だ・・・弁護士まで立ててきたか・・・それならば、俺は一人で受けて立つぞ!
と、また俺のこころの中でムクムクと戦いへの準備が整いだした。
矢野・被告として第一回法廷に立つ
「訴状への反論と事の経緯」及び答弁書は事前に、裁判所と相手側弁護士に送付してある。
当日、7月26日もはや温度計は午前中に30度を突破しどこまで上がるのか解らない。午前10時15分開廷の15分前、地下鉄霞ヶ関駅を降りA1の階段を上がり、裁判所合同庁舎に向かう。すでに様々な人たちが庁舎を出入りしている。見るからにこいつが、犯人だろうと思える奴が、俺を追い抜いて一般用の通路を通り庁舎に滑り込んで行く。専用通路には、この糞暑いのにキッチリ背広を着て、襟にでっかいバッチを付けた奴らが・・・。また、そいつらが妙に偉く見えはじめるから困る。そして、妙に自分が小さく見え始め緊張感が増してくるのがこの時だ。酷く無惨な砂を噛むこの気分は、以前、旧鈍我楽の立ち退き事件で来た時もそうだった。出来るなら一生縁のないところでありたかった。民事○○○号法廷は、一段高い正面に裁判官、下に男女二名の書記官、右脇には、やはり二名の書記官見習いが、私たちは清廉ですといった顔つきで座っている。左には、どういう呼称の人なのか進行係のような人が一人立っている。俺が入っていったときには、既に数名の傍聴人がいた。俺は「まさか〜!おいおい、俺なんかの事件に傍聴人?」と内心震え上がってしまった。この法廷では裁判が2件あり、大きな会社同士の裁判が最初で、かの傍聴人たちはすべてそれ関係と知り、俺は、得心がいきホッとする。裁判進行は、事件番号と原告被告名が呼びあげられ、その弁護士同士が席に着く。どこかで見た景色と同じなのがやけに生臭さを感じさせてくれるだ。シ〜ンとする法廷、やがて裁判官がなにやら言葉少なに両者に話しかけ「期日は何月何日何時でよろしいですか」。「結構です」と両弁護士は立ち上がって退席。以上終わり・・・・。なんだなんだ・・・さっぱり解らない・・・口頭弁論など一切無いじゃないか。これが裁判か!俺はカルチャーショックを受けてしまった。
俺は、呆気にとられ待つ間に、訳の分からぬ緊張からか口が渇き、頭は酸欠状態に陥ってしまった。進行係の「事件番号○○両者は席に着きなさい」の声に、ルールを知らぬ俺は、どこに座ってよいものかも解らず、法廷内に立ちすくむ。え〜い!ままよ「すみません、僕はどこに座ったらよろしいのですか」と、直接裁判官を見つめると、意外や優しげに目で教えてくれた。「オッ!結構人間的じゃないか」。この裁判官の意表をついた出方に、気分が急に楽になり、落ち着いてきた。まだ傍聴席に残っている最前の会社連中、俺の対戦相手である目の前のふたりの弁護士もあまり気にならなくなってきた。さすが、場違いの俺の気持ちを察してくれたような裁判官に敬意を表し着席。やがて開廷、いくつかのやりとりの後、裁判官は俺に向かい「反論、答弁書は自分で書いたのですか?」の質問に、「はい、自分で書きました」と堂々と胸を張り答える(自分を誉めてやりたい)。次に、裁判官は原告側に向き直り「訴状にある原告の請求の原因は、証拠を提出し、請求の原因に反論す被告の言い分とは違っているではないか」。弁護士「・・・」。裁判官「両者とも8月××日午前10時30分でよろしいですか・・・」両者「結構です」・・・訳も分からず承諾し、退廷したときは、俺が被告席に座ってからものの10分後だった。今回では結論が出ないから、また来いということは理解できる。しか〜し!こんなことでは、な〜んにも進展しないじゃないか〜!これが裁判か〜!こんなやりとりで、進行して行って、いったい何時終わるんだ〜!その度に招待されるのかよ〜!まぁ、人生被告という身分も面白いか!裁判官の原告側にいった言葉もどこか、被告側に有利そうだし、弁護士二人相手に、素人が戦いに望むのだからやりがいがありそうだ。暫く戦ってみよう。駄目だったら、俺も負けたくないから弁護士を要請するぞ。
事件の謎は、追々解ることでしょう!気の短い野次馬は直接矢野に聞け!

奄美大島見聞録
奄美大島にいってきた。
島内を隈無く車で縦・横断してきたのだ。

出発〜到着
6月28日

 羽田発奄美大島直行便が午前6時30分発で一日に一便出ている。これに乗るには、午前5時15分までに新宿西口リムジン前に行かなければいけない。夜型の生活パターンで生きている俺達にはかなりきついスケジュールだ。早朝のリムジンに揺られ羽田飛行場に着くと、いきなり同乗した若い集団のなかから悲鳴が上がった。寝ぼけた頭をビビらした集団の叫び声とその目線に先にあったものは・・・バッカじゃなかろか・・・胴体いっぱいにピカチュウが描かれた飛行機が寝そべっているだけなのに、若者どもめ!早速・・・旅行気分を盛り上げてくれるじゃないか!俺達も多少は気分が盛り上がってきたぞ!
 我々が乗る機といえば、細長い胴体に亡くなった映画監督黒沢明のデザインによるレインボー・カラーが描かれたJAS。搭乗すれば早朝の奄美行きとはいえ、ほとんど満席状態で、低い天井と1列にふたり掛けと3人掛けの息詰まるような狭い客席。座った席が26のAB・・・なんと俺の嫌いな羽の席だ。象の心臓蚤の心臓俺の心臓パックパク・・・念のため復路のチケットを確認したらやはり同じ26のAB・・・こうなったらまな板の鯉だ・・・矢でも鉄砲でももってこいてんだ〜。ちなみに機内でのサーヴィスといえば、新聞、週刊誌にコーヒーとクラッカー。至ってシンプルである。九州地方の天候が悪く航路を変更するも無事、奄美空港に降り立ったのは未だまだ早い朝の8時30分。到着ロビーの荷物受け取り場に、なんと、なんと同じ阿佐谷に住む怪奇作家<荒俣宏>氏の姿があった。<フッフフ奇遇ですな〜!今回はお忍びですか〜!まっのんびり島内観光でもしますか!>と、面識のない氏へそっと心の中でエールを送り、カウンターを出て島内に一歩足を踏み出した途端・・・暑い〜!この時間でこの暑さ・・・午後はどうなってしまうのだ〜!

初日「奄美大島初上陸」
 空港前のマツダレンタカーで車をチャーター、いよいよ2泊3日の島内冒険の旅に出発。とりあえず車馴らしで北のあやまる岬に向かう、ちょと軽いステアリングに戸惑いながらもほとんど対向車に出会わない気持ちのよい道を、日頃は走りたがり屋なのに、40Kのゆったりとした速度と気分で岬を目指す。しかしそこは歩道が壊れ海を遠目に見ることしか出来ずさっさと、今日の宿泊地である名瀬市に向かう。ホテルのチェックインは午後2時・・・時間潰しに市内観光。
2時半にチェックイン、汗と疲労でべっとりしたTシャツを脱ぎバスで汗を流し、どっとベッドに横たわると、昨日ろくすっぽ寝ていない体が寝ろ寝ろと訴えかける。一気に襲ってくる睡魔に身を任せ、目覚めたときは既に6時、しかしまだまだ陽は高い。
夕食の前に名物の夕日を見ようと車で30分のところにある大浜海岸まで出かけてみた。この地では日が長いせいで7時頃が見所なのだそうだ。浜に着くと既に大勢の人たちがぼんやり海を見ている。残念ながらこの日は雲が濃く陽が沈む姿は見れなかったが、仕方なく暗くなり始めた景色のなかでオリオンビールを買いグッツとひと飲みするとそこは確実に常夏の島奄美だった。夜は、市内見物の時にチェックしておいた<いりふね>という居酒屋で2時間ばかり、板前相手におだを上げ名物を飲み、奇妙なものをつまみすっかりいい気持ちになり「明日も来るね」といい残し外に出ると、大雨だ。これも奄美名物のひとつであるスコール、ぐしょ濡れになりながらホテルに帰えり、また強かに飲み熟睡にはいった。
とりあえず今日は奄美の名物をそこそこに押さえた充実感があった。
さぁ、明日からは奄美大島大縦断だ!
続く

2日目「マングローブ原生林でオオトカゲに遭遇」
 目が覚めると10時半チェックアウトがないことをこれほど感謝したことはない。当然朝食は抜き・・・サーヴィスのコーヒー券で奄美のアイスコーヒーを喫茶室で飲んでみる。昨日しこたまに飲んだ黒糖酒「里の曙」が、喉元当たりまで突き上げてくるのを、それで流し込みウ〜ンまずい!。あたりまえだ!奄美のコーヒーにな〜んの責任があるわけじゃない。奄美大島の地図を見るとどこか日本列島のミニチュア判に見えてくる。道路は南北に走る一本の幹線道路を使えば何処へでも行けそうだ。
 ひとまず南を目指し走ろうと決めいざ出発。薄曇りの空を恨めしげに睨み、名瀬市の隣村奄美の中央に位置する<住用村>に入る。この村は水豊かな村で、我が国最大規模のマングローブが群生している。そうこうするうち街道沿いに<マングローブ原生林入り口茶屋>の看板を見つけ車を滑り込ませる。素っ気ない造りの茶屋でぶっきらぼーな親父に、観光船は出せるのかと聞くと、いまは引き潮で船は出せないが歩いていくと一分で原生林に辿り着けるそうな。それでは入ってみようかと入り口に立ってみると、ゲッツ!一気に谷底に向かって急な階段が延々と深間に向かっているではないか!冗談じゃないこれで一分?親父そりゃないぜ!勇気を振り絞り南洋の植物が鬱蒼と不気味に茂る階段を下りだした途端、いきなり金ぴかのオオトカゲがのっそりと現れ、気配を感じてか、ぴや〜といった感じで逃げていった。怖え〜〜!こりゃ探検早々トカゲどころか、あの恐怖のハブにお目にかかりそうだ止めた!止めた!。すごすご引き返した俺達に、親父は「なんだ!なんだ!皇太子だって雅子さんだって降りたのに情けない」と壁に掛けた高貴な方の写真を見せびらかす。そりゃハブは奄美名物かもしれないけど、わたしや長虫系が大の苦手なのよ。卑屈になった俺は思わず「ここは、いろんな人が来るんですね〜!親父さんは奄美の有名人なんだ!」と、ついおべっかを使ってしまった。すかさず親父は「そうよ!奄美に来てここを見に来ない人はいないからね!」と、また嫌みをいう!クッソ〜!探検早々挫折だ〜!何のために来たのか目的を失いだした。
う〜ん!ハブか〜わかっていたけど・・・自然と島内縦横断を目指してきたのにこりゃ先が思いやられる。
 地団駄踏みながら、南の島<加計呂麻島>を目指して車を南下させる。途中<奄美アイランド植物園>の看板を見るが、さっきのトカゲの残像がそうさせるのか<まっ此処はパスだな>と呻き呟き通り過ぎてしまった。住用村を抜け、奄美大島最南端に位置し、大島海峡をはさみ加計呂麻島、請与島と多くの島々からなる瀬戸内町に入る。箱根の山を二つ越した様な気分で山間の道をひた走り、長ーい地蔵トンネルを抜けると、島に渡るフェリーの発着場がある港町<古仁屋>に到着した。昼時だというのに食堂が見つからず、町中を走り回りやっと和食の店の看板を見つけ飛び込む。これがまたメニューが少ない、その中から、な〜んてことはない天麩羅定食を食べ、う〜んとソンをした気分になり、また来ることはないであろうに「ここには二度と来ないぞ」と心に誓うバカな俺。(食い物の恨みは・・・なのだ!)一息ついたあと、港を散歩中「半潜水艦 せと」が数分後に出航するというのでそれに飛び乗る。湾外に出てから船底に案内され、ガラス腰に南海の海底に生息する珊瑚礁と、魚類を間近に見た。それはそれは幻想的世界で未だかつて見たことのない世界が繰り広がる。誠に感動もので素晴らしいの一言だが40分そこそこで2500円はちょっと高い。目の前に見える加計呂麻島には、若い頃崇拝した小説家<島尾敏雄>の碑などがあり是非とも渡りたかったのだが時間の調整が出来ず断念。とりあえず島の最東端のホノホシ海岸方面を押さえに行き、な〜んにもないので一気に南端の海岸沿いの道で最西端の宇検村に向かう。途中、奄美名物山羊汁のもとなのだろう野生の山羊が崖の上やら道路上に、やたらと出没し旅行者を喜ばしてくれる。本当にやるかどうかは解らないが、島民がこぞって山羊狩りをする姿を想像すると愉快な気持ちになった。それにしても、島内の道路という道路ほとんどが工事中で、この島の経済復興を感じさせる。そのほかの迂回路もこのところの悪天候で「崖崩れのため通行禁止」。これもいずれ工事の対象道路だろう。そんなこんなで、車の中にいればハブなんか怖くはないのだから、ちょっとした冒険心で林道には入ることが出来なかったのは残念だった。鬱蒼とした南洋樹林を切り開いて、島内を網の目のように走る道路・・・これを作るためには多くの人たちが、ハブの犠牲になったのだろうなと想像すると、また恐ろしい気持ちになった。海沿いののんびりとした街道を暫く走り、海も飽きたからと山間の道を探すが相変わらずの通行止め。<阿室釜>という小さな村でやっと、奄美の最高峰、島の霊峰といわれる湯湾岳道路に入る。山間の道路は南国独特の鬱蒼とした樹木で茂り、何時、どこでもでもハブが出てもおかしくない雰囲気だ。とても道ばたに降りて立ち小便なんて気持ちにはならない。ましてや登坂道路で、すれ違う車といえば、工事現場に向かうダンプが二、三台、後続車などまったくない寂しいワンマン道路だ。標高694メートル湯湾岳頂上を右手に眺め、ハイビスカス道路と名付けられ道端いっぱいにハイビスカスが咲き乱れる、絶好のワインディング道路を軽やかなステアリングで最西端の村<宇検>まで一気に駆け下りおりた。着いた<宇検>は、島内で貴重な動植物の宝庫だそうだが、裏寂れた集落にそれらしき物はまったく見あたらない。二、三人の老人がぼんやり話し込んでいるだけ、その老人達の先に見えるのが奄美最大の無人島<枝手久島>だそうで、多分この島がいわゆる自然の宝庫なのだろう。貴重な動物というのも気味が悪いし、ダイビングもしない我々には興味も感動するものも無い。ただ、島内縦横断するのが目的。だんだん開き直ってきた。よし、これで島の最東南西端を押さえたと得心し、サンセットビーチ、嶺山公園国直海岸とエメラルド色した東シナ海に面したダイナミックな自然の景観を誇る<大和村>の海岸道路を、お約束の飲み屋とお宿が待ってる名瀬市に向けて北上する。相変わらず、たまに顔を出す太陽と薄曇りの天気は、奄美の夕日を諦めさせるが、淡い期待を抱いて昨日も来た大浜海岸に向かいぴったり7時に到着。運転に疲れた体にオリオンビールを流し込み、一服しながら待つが厚く覆いだした雲が<はよ、帰えんなさい>といっているので、<ほな、はよ帰りましょ>と素直に帰路についた。宿に帰り一汗流し、奄美名物<鶏飯>に挑戦。鶏肉、薄焼き玉子、野菜諸々を飯にのせスープをかけて食べる。これがまずかったら「何で、奄美まで来て猫飯を喰わなきゃいけないのだ〜」といった様子の丼飯なのだ。結果は、お土産に<鶏飯セット>を買ってしまったほど、不思議なおいしさに満足できたのだった。奄美名物<鶏飯>これは押さえておかなければいけない。部屋にかえりヤクルト×巨人戦の中継を見る。クッソッ!奄美まで来て敗戦を見なきゃいけないのだ〜と<いりふね>に直行、かなり常連も多そうな大きな店だが、この日は、客の入りが悪いらしく昨日の活気はない。覚えていてくれた板前たちに会釈し、丸一日をこの島で過ごした充実感を小座敷で過ごさせてもらう。今日は頑張って名も知らぬ赤や青い魚を刺身にしてもらったが、刺身は酢と山葵、または、甘口の醤油で食えという。郷に入っては郷に・・・は解るが、江戸前の口には、てんで、なに食ってるのか解からん状態で参った。酒で騙して押し流せば、まっこれも旅情と酔いも一塩。お勘定と表に出るとまたも大雨、「返さなくても良いのよ」という女将の情けで傘を借りてホテルに帰った。明日は東京に帰る身なのに奄美の人たちは優しく人がいい。さあ、明日は恐怖の10時チェクアウトがあるぞ〜!あした一日島の北を攻めたら、午後の6時にはこの島ともお別れだ。早く寝よう!続く

3日目「曇天の奄美最北端を目指す」
さわやかに9時起床。レストランの朝食は全くの和食だ。3日ぶりに食べる朝御飯のうまいこと。だが外を見ると雨模様。え〜い!うんざりだ〜。チェックアウトの後、昨日借りた傘を返しに、まだ開店前の店先に置いていく。ウ〜ン、俺って本当にいい奴! 此処でひとつ奄美お得情報・・・奄美に有り、知る人ぞ知る名物<与那城のつきあげ>。これは、いわゆる薩摩揚げの一種なのだが一種独特のうまさがある。店に直接行けば分けてくれる。俺は、あるルートでこの店を知りクール便で送ってもらえる段取りがついたのだ。ちょっと黒糖を使っているのか?と思わせる微妙な甘みと口当たりが最高・・・本当に上手いのだ。但し、さすがは奄美クール便だと3〜4日かかるし、輸送料が<つきあげ>を買った値段と変わらないのが痛い。お土産でもって帰るのが賢明だけれど、暖かいところだからな〜傷みそうだ!
 奄美名物<ハブセンター>を後目に、さっさと車は名瀬市を後に北上、山羊島トンネルを抜け大熊漁港に車を乗り入れ、朝の潮風を浴び港の猫をからかう。その頃には天気も多少回復、運転手の俺は勢い込んであちらこちら撮影している相棒に出発を促す。大熊漁港を後に山道には行っていくと、大熊漁港を見渡せる展望台を見つけ、早速眼下に広がる名瀬、大熊両港の大パノラマに感動する。此処は住所もかわって<龍郷町>、島の北西に位置し、平家伝説や西郷隆盛居住跡、隕石の落ちた幻想的な海など多くの歴史を持つ町だ。山間に入り奄美カントリークラブをやり過ごし、しばらく走るとまた東シナ海に面した海岸道路に出る。名瀬市から近い一大観光地のせいか、れナンバーのレンタカーとたまにすれ違う。龍郷町の最北端には<今井岬>がある、やはりこれは押さえねばならないと北上を続ける。
 途中道路に沿った<ソテツ原生林>を見つけ、よせばいいのに小さな入り口からソテツ、バナナ、見も知らない不気味な低い灌木が延々と茂っている原生林にノコノコ侵入。道路の向こう側に波の音がするので海だろうと見当つけて、歩いていくと、案の定薄曇りの空に紺碧な海だ。素晴らしい景色にすっかり感動し、帰ろうとする相棒と俺に待っていたのは、恐怖の迷路だった。何と、道案内がないことに気がつかなかったのだ。適当に作られた通路は、東西南北行けども行けども不気味な景色、道路方面に見当つけても歩いても道が無くなってしまう。ましてや、道路に車が通らないものだから、音で見当をつけることが出来ない。海の波音の反対側を目指すのにだんだん方向が来るって来る。ましてや低く被さるように茂るソテツの葉と葉の間に架かった色とりどりの蜘蛛が架ける蜘蛛の巣はとっても不気味。そのうちには、恐怖の奄美名物が頭をよぎりだした。いか〜ん!汗が脇の下を流れた、焦りの気持ちが押し寄せてきた!後は、相棒を引き連れメクラ滅法どこをどう歩いたやら・・・小一時間かけ、やっと視界の開けた場所に出た時の喜びといったらなかった。相棒は半べそ・・・俺は奄美名物の恐怖からズボンまで汗が染み出て全身びっしょり・・・あんな恐怖感を味わったことはなかった。こんなにも、あいつに弱いとは自分でも思わなかった!いやはや都会者は弱い!
 またまた、無口になってしまった車は、今井岬を抜け龍郷町を南下、龍郷にある<西郷隆盛流刑居旅住跡>を押さえ、旅の目的地のひとつと黒糖酒工場<浜千鳥館>に着いたときは小雨降る昼の1時。館の敷地内にある食堂で軽い朝食をとり、工場見学を頼み製造過程の説明を聞く。此処で作っている黒糖酒<浜千鳥の詩>は、東京の荻窪にある<番小屋>という行きつけの酒場の定番ボトルで、すでに馴染みの酒なのだ。ここで<番小屋>のおかあちゃんに、浜千鳥のデカンタボトルをプレゼントするのが目的だったのだ。此処で飲んだトロピカルジュースはメチャ旨かった・・・一押し。
 買い物を済ませ、いよいよ奄美大島1市3町3村最後の<笠利町>に突入だ。この町は奄美大島最北端に位置し、なだらかな平地と見事な海岸線を持つ。また奄美民族発祥の地であり、島内ではいち早く開かれた町だそうだ。ゆっくりとした平坦な道が続き車で走るには島内一だ。浜千鳥館を後に今一度、屋入トンネルを抜け車を北上させる。またも東シナ海に面した海岸道路を走ることになる。<さすがに3日目に入り、ほとんど海岸線(島内全て?)を走るっているので、仕舞いには海そのものに飽きてしまう>と相棒が大あくびをする。そろそろ最北端に近づいたかなという頃に、<蒲生崎観光公園>を見つけ、行ってみようかと看板の方向指示に従い車を走らせる。狭い曲がりくねった対面道路を対向車を気ずかい走らせること数十分。行けども行けども対向車どころか、目的地も見えてこない。引き返したいにもUターン出来る場所がない。ヒエ〜!とんでもないところに来てしまったと思ったが、後の祭りまたまた車内は無口になってしまった。
辿り着いた観光公園には車一台、人っ子一人居ない。そんな、ひろ〜い駐車場に律儀に停止線を守って入れる俺も小心者。案内板を見ると奥の方に展望台があるらしい。歩き出すとまたこれが、あまり人が来ないせいか草が鬱蒼と茂っている。また嫌な予感がよぎる!それでも勇気を振り絞り展望台にたどり着くと、いきなりどこからか人の声がする。「ドキッツ!なんだなんだ!」辺りを見回しても誰もいない。ジッと聞いていると、どうやら展望台に設えた無人関知案内テープが回っているらしいことを知り一安心。展望台に昇ると右に太平洋、左に東シナ海の水平線の素晴らしい眺望にまたまた感動。 それにしてもこの島はどこに行っても人が居ない。
とって返して、いよいよ最北端<笠利崎燈台>を目指す。島内でも此処だけであろう一直線に延びた道路をかっ飛ぶと、そこは最北端で行く止まりの標識が出ている。が、う〜ん、やはり此処も辺りに人影は見えない。燈台は遙か彼方の山まで延びるている階段を登って行くらしい。冗談じゃ無い・・・と燈台を見上げていると、相棒が「ウッツ!」と絶句した。「どうした」と聞くと、駐車した車の脇を指さし「何でこんなところに、花束が置いてあるの?」という。指さす方を見ると確かに花束があるが、お供えものだ。「え〜!これって これって供えてあるんじゃないか!気味悪〜!」
時間も迫ってきたので飛行場に向かい南に走り出した車内はまた無口になってしまった。
どうにもこうにも、あちこちで色々なパターンで脅かされる島で、いやはや最後の最後まで驚かされたものだ。
 奄美というところは長年に渡って薩摩の統治下にいたせいか、建物風景など南国の気配は薄かった、人家の表札を見る限り沖縄風の変わった名字もないし、風習的な臭いも薄い。もっともっと、奥深く踏み入りたかったが例の恐怖のためこれも駄目。ましてや南の島の太陽の恩恵にはあずかることが出来なかったのも大きい。そのせいか、南の島に行って来たという感動はない。但し、島内で知り合い話をした人たちの優しさには、いち旅行者としてはかけがえのない好印象をもらった。とにもかくにも、奄美空港を6時半に飛び立ち羽田に着いたときは、旅行の醍醐味を満喫してきた気分で帰路についた。            奄美見聞録 終
帰路の飛行機には、取材だったのか?荒俣宏氏もやはり搭乗していた。

6/24
いや〜・・・参った。6月15日は真夏のような暑さだった。あまりの暑さに耐えかね仕事部屋のクーラーをつけ、のんびり作業をしていたところ、ピチョッ!という音に早く気が付けばよかったが後の祭り・・・なんと、机の上に据えたエアコンの送風口から大粒の滴がポタポタと逆流しているではないか!<ゲッ!ヤバッ>と思った時すでに遅し、壁の長押でバウンドした水滴がディスプレイを襲った。ディスプレイからポワワ〜〜ンという不気味な音と同時に画面が収縮して消えてしまった。それはそれはあまり経験しないであろう実に情けない景色だった。さっきまで気合いを入れ数時間かけた作業内容がなくなってしまう〜!パニックに襲われながらも、何処にこんな機敏な俺がいたのかと思う素早い動きで机上の周辺機器をバッタバッタと避難させた。あまりの事態に呆気にとられ顔面蒼白、先日の台風の日窓を開けっ放しでパソコンが水害にあったばかりなのに、またやられててしまった。チクショー・・・俺は水難の相があるのか〜。ディスプレイがいかれちまったら、作業内容の有無も何にも解らないじゃないか〜!
これでもかと滴り落ちる水滴を恨めしげに眺め、とっ散らかった部屋の中で癇癪を起こした俺は、モニターをひっ担ぎ庭に飛び出し、一声<コンチクショー>と投げ捨ててしまった。
後で友人が、<水か〜!もしかしたらそれくらいの水なら乾燥させればディスプレイは助かっていたかもしれないよ>といわれたときのショックがまた大きかった。何故って、外に投げ捨てたディスプレイは、その日の夜の大雨に叩かれ晒され、泥まみれで見るからに完璧にアウト。クッソ〜!なんてこった早まったよ〜!!!(ちなみに粗大ゴミ収集に頼んだらで500円取られた)つくずく水難の相があるのか俺は?と嘆く矢野であったが、今日24日午後に届いた「イイヤマ電気」の真新しいピッカピカの19インチディスプレイが存在感いっぱいにで〜ンと俺の前に鎮座して、一週間ぶりにHP関連の作業にいそしんでいるのだった。ウッフフ・・・エプソン君、君のことは忘れたよ・・・女房だって畳だって、なんでも新しい奴は可愛いのだ。ゴメンよ!そんな訳で暫く机に座ることが出来なかったがまた、いそいそとhpも更新していきますので覗きに来て下さい。

5/27
 友人から昨日の戴仁親王について早速調べてくれたメールが届いた。もしかしたら気になっている人がいるのじゃないかと思いここに記しておきます。
拝啓 矢野さま
ホームページの更新、楽しみにしています。
さて、銅像に書き込まれている『載仁親王』についてお知らせします。
「よけいなお世話だ、調べる楽しみがなくなるじゃないか」とお叱りの声が聞こえてきそうですが……。
閑院宮 載仁(カンインノミヤ コトヒト)皇族;陸軍元帥
慶応1年11月10日(1865年)生
昭和20年5月20日没(79歳)
伏見宮邦家親王の第16皇子。明治5年閑院宮継嗣となって同家を再興。11年親王宣下され、15年からフランス留学、陸士、陸大などに学んで帰国。32年参謀本部に入り、欧州視察後、34年騎兵旅団長。日露戦争に従軍、その後第1近衛師団長から大正元年大将、軍事参議官、8年元帥。昭和6〜15年参謀総長。
上記が「日外アシストデータベース(WHO)」インターネットにより接続、引き出してきた資料です。
尚、手許にある資料本「図版・帝国陸軍」(どーゆーわけでこのような本があるのだろう?不明)によると、写真入りで紹介されていました。大変立派なヒゲを蓄えた、恰幅が良いオジサマです。
とり急ぎ用件まで                   かしこ                  ×× 薫より
と、いうわけで写真まで送ってもらってしまった。戴仁親王てカイゼル髭も堂々といかにも位の高そうな雰囲気をしているじゃないか・・・。それにしても、またまた素朴な疑問が湧いてきた、俺も昔「世界のミリタリー」という服飾系の軍服全集を持っていたことがあったけど・・・思いっきり右系の堅物の本棚にありそうな「図版・帝国陸軍」・・・?
いくら彼女が優秀な編集者とはいえ、な〜ンでこんな本を持っていたのかな〜???油断がならない世の中だ

5/31(月)
 昨日の酒がまだ残り二日酔いの腹具合は、いつ何時襲ってくるかもしれない状態だというのに、前からの予定を実行・・・。おまけに今日は盛りだくさんのスケジュールなのだ。
  銀ブラを兼ねた撮影散歩と、吐夢の常連であるカメラマン小畑さんが、太陽賞に続き日本写真家協会新人賞を獲得したので、数寄屋橋センター二階にあるフジフィルムフォトサロンの展覧会へ、あとは文具のITOYA、ワーナー・ブラザーズ・ショップで買い物・・・夜7時からは秋葉原でやっている<新宿梁山泊>「東京アパッチ族」を観劇、阿佐谷に帰り朝まで飲む・・・と強行スケジュール。
 有楽町で降り数寄屋橋センターに向かう手前で恐ろしい長蛇の列に出くわした。連れの和子が「あれは宝くじがよく当たると評判のチャンスセンター3億円亡者の列」と教えてくれた。そうかTVでは見たことがある・・・これがそうだったのか〜!しかし月曜日ウィークデイ出だしの真ッ昼間だというのに十重二十重・・・老若男女の引きも切らない人の列には驚いた・・・「どうせ当たりもしないのに・・・刹那長者のさもしい亡者どもメ!まったく・・・それにしても、一体全体ここの売場だけでどのくらいのお金が動いているのだろう・・・この不景気な世の中で凄いヒット商品だな〜!」などと無駄なことを考えてしまう・・・最近どうも歳かな?人混みに出ると野暮なお上りさん状態になってしまう阿佐谷原住人の俺・・・だ。 小畑さんの作品は、国境をテーマに日本北端から、北方領土への船旅から始まるシリーズで、その大判のカラー写真群が圧倒的な迫力で迫ってくるには感動さえ覚えた。他にベテラン緑川洋一、この間熊に喰い殺されてしまった星野道夫、航空写真の芥川???忘れてしまった・・・などの素晴らしい作品も沢山あるので是非近くまで行った人は足を運んでみたら・・・・!お奨めです!
 夕方5時30分。ゆっくりと日が暮れ出す雑踏の銀座を後に、帰宅に急ぐサラリーマンがあふれ出す秋葉原についたが、7時開演にはちょっと時間を持て余す。付近を散策中<名物くるみそば>の看板に、小腹も空いたことだしと飛び込む。その店の一階はレジだけ、女店員に二階にある客席に通されたが、5〜6席ある店内には一人の客も否いなけりゃ調理場もなく、職人の姿さえ見えない。なんだ〜こりゃ〜殺風景だぞ〜。窓際に座れば人通りのない道路までがやたら寂しげに見えてくる。まっ場所借りの時間潰しと考えりゃいっかとソバは諦めた。  (結果はやはり満足のいくものではなかったが天せいろと鴨南で2100円・・諦めきれる値段と味だ)
 秋葉原のプラットホームを背景にし天まで届きそうなドでかいクレーンが林立する工事現場に立つ紫色のテントは、都会の真っ直中、それだけで異彩を放つ。日の暮れた工事現場の会場にまっ黒の上下の服で肩をそびやかし観客の間を進んでくる、もはやその存在自体が芝居である唐十郎。一人ぶらりと会場に現れ静かに受付に歩を進め観客たちの視線を釘付けにした映画監督山田洋次。テントを取り巻く観客たちもやはりそれぞれ個性的な人たちが集まり、通りがかりの人たちは異国の儀式を見るような好奇の目を向ける。
 2時間30分という長丁場のアングラ芝居は疲れそうだな!出かける前はそう思っていた俺の感想といえば、昔の力は無くなってしまったな〜!芝居仕立ては面白い!が、やはり役者不足は否めない・・・。座長の金守珍も坂手洋二の本が遅れたせいか、終幕でちょいと顔を見せる程度、退団してしまったベテラン黒沼くん、近藤弐吉が客演の形を取っているが、結局のところ彼らにおんぶでだっこ状態・・・昔の力よ甦れ! 阿佐谷に帰り鈍我楽に行くと、俳優の二階堂くん、DUGの若妻リカちゃん、最近はTV「ナオミ」の教師役でレギュラーのガツンの伊藤ちゃんなどがいた。店長のひふみの「伊藤ちゃん明日誕生日なのよ〜!」の一言が引き金に、なんと、手を変え品変え場所変えて、とどのつまりは午前4時一番街のバールで、途中から駆けつけた女優植村結子のピアノで総勢9人がハッピバースデイの大合唱。そして、この長い一日を伊藤ちゃんの状況劇場時代の芝居に使われた劇中歌の絶唱で終幕。ウ〜ンさすがに、今日は堪えている俺です。近日写真公開。
5/25
昨日、吉祥寺まで映画を見に行った・・・ペイバックを観るつもりが時間を間違え、仕方なくたまには女性映画でも観るかと「プラティカル・マジック」を観た。<恋する女はみんな秘密の力を持っている>イヤ〜なコピーに悪い予感がした。客席もまばら・・・始まって30分お〜甘な内容と、出鱈目なストーリー展開に、どう〜にもこ〜にも我慢できずに席を立ってしまった。あっ頭にきた、やはり俺にはあ〜いうのは駄目だと心底思い知った。
 下の階では「踊る走査線」やっている、時間的には丁度間に合う・・・よし、梯子だ・・・。
「踊る走査線」の噂は映画通仲間の中でも結構高い評価を聞いていた。自分の目で確かめるべく劇場にはいると、なんと、上の階よりもまだまだ少ない4人・・・ほとんど貸し切り状態。
 ふと、あの映画を思い出した・・・「四十七人のお客」と悪態を付かれた高倉健と宮沢リエの主演の「四十七人の刺客」これがまた最低な映画だった。
だが、この「踊る走査線」前評判通り面白かった。「羊たちの沈黙」が下地になる、キョンキョン(レクター博士)の演技も楽しく、圧巻はいかりや長介の演技には脱帽。依然、渡辺孝好監督に紹介された織田祐二の溌剌とした演技も大変よかった。久しぶりに邦画の力を見た感があった。
まだ降り止まぬ雨の吉祥寺の街を、寄り道もせず清々しい気分でにまっすぐ阿佐谷に帰えることが出来た。
 そ〜だ!先日綺譚倶楽部に佐野史郎が、石川真希夫人とやって来たときに、佐野史郎第一回映画監督作品「カラオケ」が、いよいよ6月12日テアトル新宿で上映されることを聞いた。その時置いていったサイン入りのチラシを、あど弁舎目玉情報に載せてあるので見て下さい。また、暇があったら是非劇場まで足を延ばして下さい
エネミー・オブ・アメリカ (ENEMY OF THE STATE) 98年 監督トニー・スコット  出演ウィル・スミス /ジーン・ハックマン/ ジョン・ボイト /ガブリエル・バーン
ハリウッド映画に期待感が薄くなっている昨今、久しぶりに面白い映画を見た・・・また脚本がいいのだ、若干ジーン・ハックマンの人物描写に無理があるのと、NASAの所員が暗殺者になったりするのかな〜?という疑問以外はグーでした!
まえに観た「パッチ・アダムス」にがっかりした分取り戻した。
劇場まで映画を観に行く姿勢がまた戻ってきた。やはり劇場で観るのは気持ちがよい。
それにつけても、観る映画によって極端に客の質が低下する。まず、落ち着きがないヒソヒソ話、物を喰う、
それもメッチャ臭い臭いエスニックなフライド・チキンみたいなヤツを買ってくる。
暗闇でモグモグ、包み紙クシャクシャ、終いにゃ、シーンとしているときに突然カンカラを落とすバカがいる
これがまたビックリするのよ・・・まったく!ヤメテクレー〜!

5月24日(火)
 以前から気にかかっていた地下鉄大手町総合庁舎出口の、向かいにある小公園に立つ銅像の正体を調べるべく出向いていった。昼過ぎの大手町周辺はダーク・トーンの人たちで溢れ返えり、真っ赤なアポロキャップをかぶりチノパンにラフなTシャツ、肩にカメラをぶら下げた俺はやはりお上りさん状態・・・「な〜る程、前に来た時に出会った老人が俺を田舎者に見立てたのも無理ないか」と独り合点。「またあの人が居たら何かやられそうだな。」そんなことを考えながら歩を進め銅像の前に立ち、辺りを見回したがそれらしき姿も見えず一安心。早速銅像の説明書を探すと、銅像裏にこう書かれていた。<紀元2600年記念 建設委員長 陸軍大臣 林銑十郎 元帥 戴仁親王>これって戴仁親王って人の銅像か。しかし林銑十郎は知っているが戴仁親王って誰だ????参った、また宿題だ・・・・。
 帰宅後、インターネットで検索すると、どの検索エンジンでも2件しかでてこなかった。
 2件の検索結果・・・
「閑院宮戴仁親王殿下は立派なヒゲのある元帥。ドイツの陸軍に留学したり、日本の騎兵の親分。閑院宮家は江戸時代に幕府と朝廷が仲良くなるよう、徳川が金を出して作った宮家で、江戸時代には他に桂宮、伏見宮などがあったが、閑院宮家同様何れも絶家している」「旧閑院宮箱根別邸 閑院宮様のご長男は一条さんからのお嫁さんと離婚したりして波乱万丈の人生であったが、このご長男の馬術の先生が、たなかの親戚、当時陸軍騎兵中佐であった浮田家雄である。ついでに、戦後閑院宮様が住まわれていた家が、母親の住んでいた所の隣であったという因縁もある。箱根別邸は強羅駅そば。料理屋さんとして、様々な人々に愛されている。 閑院宮様も、天国で地上に残してきた建物の再婚を喜んでいることであろう。」
 な〜んだ〜!上野公園の西郷隆盛、皇居前広場の楠木正成 靖国神社の大村益次郎なら誰でも知っているが、な〜んで、大した人でもなさそうじゃないか、銅像皇居の側に立つほどの物ではないじゃないか?
 今度は皇居周辺で検索してみた・・・あったあった、世の中には銅像マニアもいるのだ。
その検索結果・・・
「和気清麻呂像をベスト1に選んだのは明治大正昭和の時代に活躍した人物の銅像が 多いなかで 奈良朝時代に功のあった和気清麻呂像は特に異彩を放っているからです。 この銅像は紀元二千六百年記念として戦時色が強まりつつあった背景の中で陸軍大臣の働きかけで昭和15年(私の生まれる前年)に建ったものです。
敗戦後、軍国主義排除ということで多くの銅像が撤去されたにもかかわらず この銅像が残されたのはGHQマーカーサー司令長官による皇室対策の延長であったのではないでしょうか。」
 そうか、和気清麻呂像か〜!この人なら、あの日本一デカマラの弓削の道鏡関係で知っている。
 今度は和気清麻呂検索結果・・・
「皇位につこうとした道鏡の野望を 宇佐八幡宮の神託により退け 天皇家の正統な皇位継承を存続させた清麻呂の功績は良く知られいます。 生涯独身だった女帝(孝謙) 称徳天皇の寵愛を受けた道鏡が皇族以外ついたことのなかった皇位を望み「道鏡を 天位につけたら天下はよく治まる」 という宇佐八幡宮の託宣があったと朝廷に奏上しこれが真実であるかどうかを確かめるために和気清麻呂が派遣されました。和気清麻呂が宇佐八幡宮から持ち帰り奉告した神託は 「わが国は開闢以来君臣定まりぬ。 臣をもって君となすこといまだこれあらざるなり。天つ日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒を立てよ。 無道の人はよろしくはやく掃ひ除くべし」というもので皇統を守る結果となりました。 宇佐八幡宮の神託をめぐる「道鏡事件」はロマンがあり私の好きな話です。チョット脱線しますが 江戸川柳でかなり有名なものに 「道鏡は座るとみっつ膝ができ」というのがありこの川柳も大好きです。」延暦18年(799年)清麻呂 67歳で没
・・・・検索結果は、銅像マニアさんに敬意を表して文面のまま掲載・・・・
 やっと正体を掴んだ納得できた、やはりインターネットは便利だ。何でもかんでも、解決してくれる。
否、待てよ、銅像の裏に書かれていた<戴仁親王>この人に関してはまだ解明できていない。
検索の鉄人ならアッという間に解決できるのだろうが、キーワードを色々変えて検索しても全く出てこない。
やはり宿題が残ってしまった・・・・。知るという行為も結構エネルギーがいるもんだ
因みに・・・林 銑十郎は 昭和12年2月2日 第33代 林内閣を組閣 内閣総理大臣&外務大臣を兼任
5/12
 阿佐ヶ谷ラピュタの小劇場ザムザで「東京砂漠99」阿佐谷5.12コンサートと銘打った友部正人のコンサートがあった。そう・・あったのだ。
 友人が数年ぶりにやって来るというのに忘れていたのだ。全く俺としたことが、何があど弁舎目玉情報だ!
イカ〜ン!ヤキが回ってきた。はんせ〜〜〜〜〜〜い!
その日のライヴの後、ギタリストの石田長生さんがわざわざ吐夢まで、俺に会いたいという友部を連れてきてくれたのに、そこにも居なかった俺・・・。バカ!

3月14日(日)春の陽気で大蛇捕獲大作戦
 久しぶりに花園神社の古道具市に行くつもりで愛車のdioに乗り早稲田通りを新宿方面に向かう。途中、昼飯を贔屓にしている都立家政の「かしわや」で<てんもり蕎麦>を食べるため、一端、妙正寺川沿いを走る。突然前方に人だかりが見えた。それも皆申し合わせたようにフェンス越しに川を覗き込んでいる。人一倍好奇心の強いオレの性格。慌ただしくバイクを止め、皆と同じ姿勢で川を見下ろした。ギョッ・ギョギョギョ〜!!!気持ち悪〜!なんだありゃ〜!驚くなかれ目にはいったその物体は、真っ黒な色した2メートルもあろうかという大蛇。その大蛇がヨロヨロニョロニョロ川の中をのたくっている。その緩慢な動きからかなりの体力を消耗しているようだ。早速愛機のデジカメでパチリ。しかしながら距離がありすぎてこのカメラでは駄目だな、と思っていた矢先になんと、杉並ケーブルテレビの車が到着、カメラが2機も降りてきてバタバタと撮影しだした。カメラマンは何故か生き生きとして、蛇どころか野次馬まで撮影し出したから、野次馬連中も勢い大はしゃぎ。野球帰りの少年団やら、誰が呼んだか近所の爺さん婆さんまで飛び出てきた。もう川の両岸は人、人、人、仕舞いにゃパトカーに乗った制服の警官が2名までもが登場する頃には、妙正寺川岸は一大イベント会場と化してしまった。警官が来たことによって野次馬のなかから、蛇を救ってやれの声があがりはじめた。しかし、ふたりの警官はどうも蛇嫌いらしく腰が引けっぱなし。そこで当然シナリオどおりに野次馬をかき分け登場するのが庶民のヒーロー。かくて大蛇捕獲大作戦が展開されたのだった。ヒーローは、どこで用意したのか鉢植え用のパイブの棒を二本持ち、大きなビニール袋を警官に持たせ後に従わせた。気楽な野次馬連中は、ガンバレ〜の応援やら、喰いつかれんなよ〜、巻かれたら死ぬぞ〜!など勝手放題言い放題。川に降りたヒーローさんも近寄って蛇の大きさにたじろいだか、頭の部分をヘッピリ腰でつついた。ところが、いくら弱っていると入ってもそこは大蛇のプライドが許さない。一瞬シャーといった感じで飛び上がった。さすがのヒーローさんも大慌てで飛び退いた。驚いたのは、蛇嫌いの警官ド・ドッーと2.3メートル飛び上がって逃げださした。これを見て喜んだのは観客?たち、大笑いの渦でワ〜ッと歓声が上がった。二人は一息入れ様子を伺っていたが、意を決したようにヒーローさんが、今一度蛇に近づき棒で頭をエイッとばかりに押さえつけた、意に反して大蛇は身じろぎもしない。先ほどの抵抗が最後の抵抗だったようでジッとして動かなくなってしまった。こうなればヒーローさんの独壇場。頭を掴み蛇をグ〜ッと観客に向かって持ち上げた。いや、その体長の長いこと実に恐ろし気。ビニールを持った警官はどうしてよいか途方に暮れていたが、何とか袋に入れ終わると観客一同からヤンヤヤンヤの喝采と拍手の嵐で一件落着した。そう言えばあの蛇はパトカーが持っていったけど何処に保護するのだろうか?   オレはと言えば、結局古道具市にも行けず、あの大蛇の姿が焼き付き蕎麦の味が悪い事この上なかった。
お粗末。

2月22日(月)
ガジラ公演「女中たち」を下北沢スズナリ劇場まで観に行って来た。さすがに今をときめく鐘下辰男。客席は小さな椅子に縛り付けられた観客たちでまさにスズナリ。シェークスピア文学の小田島雄志、女優の横山道代の顔もある。王位継承者高円宮も先日来たと聞きクリビツテンギョウ!出演者は姉妹の女中と、その女主人の葛藤を描いた三人芝居。長い芝居で女主人役の演技はしっとりとした赤毛の新劇調、姉妹たちはごりごりのアングラの怒鳴り合い。良いんだか悪いんだか不思議な芝居。後半にきて狭い椅子のお陰で尻の痛さも半端じゃなくり、ついには終幕は妹の死で終わるのだが、死ぬまでの言葉を弄した冗漫さと長ったらしさには尻の痛みは頂点に達しきた。俺は心の中で叫んだ・・・。
お〜い、妹、頼むから早く死んでくれ〜〜〜!

2月18日木曜日(晴れ)
 目が覚めるとぽかぽかの陽気に「撮影散歩でも・・・」という強迫観念が襲ってきた。愛用のNIKON F2ブラックボディに20ミリのレンズを装着し、KODAKデジカメをショルダーバッグに収めた。自衛隊下士官の払い下げコートをはおり、これで完全武装「よし、これで完璧だ」と一人満足して駅まで急いだ。さて何処に行こうかと駅名看板を見上げる。そうだこの間、酒の席で話した近代美術館にある高松次郎のシャドウでも見にいくか、皇居周辺もまんざら悪くないぞと地下鉄東西線竹橋まで360円の切符を買った。ウィークデイの昼時のせいか東西線はなかなか来ない。ぶらぶらとホームの先端まで行きパールセンターの天蓋工事を見る。ニコライ堂のような奇妙なドームは、まだ骨組みの段階で赤く塗られた鉄骨が阿佐谷駅前に無様な姿をさらしだしている。「こりゃこの町も情けない姿になりそうだと思いながらも、完成前の姿を俺のホームページ阿佐谷百景の素材としてデジカメで撮影。そうこうするうちに銀色の東西線がホームに滑り込んできた。時間的にダイヤ本数が少ないせいか車内は結構込んでいる。空いている席に座り、読みかけの「カサブランカ物語」(清水辰夫)を鞄から取り出しゆったりとした気持ちで読書に入った。中野駅ではでかなりの人が降り、数人がゆっくり乗り込んできた。俺の斜め前に黒のロングコートでミニスカート、靴底までは20センチもあろうかと思われる靴を履いた不潔っぽい女が乗り込んできてなげやりにどかっと座った。高々と足を組む姿はあまりにも堂々としている。その堂々とした足が、ページの進まなくなった「カサブランカ物語」の右斜めで俺の視界に入ってきた。顔さえ見なきゃ結構色気のある長い足であった。なにか得した気分でじっと見入っていると高田馬場で颯爽とコートを翻し降りていってしまった。せめてもう一駅分見ていたかった、いいことは続かないものだ、残念。地下鉄東西線竹橋駅4番ゲートの階段を一気に駆け上がると、左手に法務局合同庁舎の裏門がある。此処は俺にとって胃の中に酸っぱいものが突き上げてくる嫌な記憶がある場所でもあった。昔バブルの最盛期、旧鈍我楽が地上げ屋との立ち退き問題で、さんざんトラブリついには供託になった経緯があり、毎月毎月、ついには5年近く此処に通い続けていたことがあるからだ。法務局合同庁舎の左手先には東京消防庁、左後ろには毎日新聞がある。右手にある交差点の先を見ると皇居のお濠と石垣、視線の先には近代美術館も見えている。昼食時を過ぎたこの辺りには意外と人は少なく、何時になったら変わるんだとじりじりする信号の交差点を待っているのは俺一人だけだ。だだっ広い道幅いっぱいに流れる車を眺めながら待つ、ながい、実にながい。しかし、これを渡らなければ皇居側にはいけない。待つこと数分流れる車も止まりざま〜見ろと言った気分で、一人悠然と停車している車を睥睨しながら交差点を渡る心地よさはまるで天皇のよう。交差点を渡り終わると、正面に一体の銅像と一本の木立があるだけの小公園にぶつかる。公園には無数の鳩が地面を啄んでいる。足を踏み入れた俺に鳩たちは挨拶のようにバッと飛び上がり、また何事もなく群をなして元に戻っている。お濠の側に立っている木立の裏では女が三人雑談をしながら弁当を食べている。5〜6メートル離れたところに支那人のような服を着た緑青をふいた銅像がで〜んと突っ立ている。その10メール先にベンチが二つあり、ひとつのベンチにはえらく太った外人のカップルが日本情緒を楽しんでいる?。ひとつには妙に姿勢のいい老人が皇居の方を睨んでいる。木立ちに3人、ベンチに3人俺を合わせると7人、これでは皇居の外れとはいえ観光地としてはなはだ寂しい限りだ。とりあえず銅像を被写体に消防庁の鉄塔をバックに撮しながら三カットを取り終え、さてこの銅像の主は誰かなと台座を覗き込もうとしたその時・・・。
「君、君キミ!」と誰かに呼ばれた。振り返ると先ほどベンチに座っていた老人だった。
間近に見ると官庁の役職で暇を持て余しているのかと思わせるほど恰幅の良い老紳士だ。
その老紳士が命令口調で「君、そのカメラの中のフィルムを出しなさい」と俺に吐いた。
一瞬の出来事に俺「エッツ!なんですか!」呆然とする俺。老紳士「フィルムを抜きなさい、先ほど君は私を撮ったであろう」泰然としている。俺「否、この銅像を撮っていただけで、あなたを撮してなどいませんよ」だんだんムカッ腹が立ってきた。爺「レンズが私に向いていただろうに」悠然としている。俺「たとえレンズがあなたに向いていたとしても、この位置からではこの20mmの短いレンズではあのベンチは点のようにしか写りませんよ。なんなら見て御覧なさい」俺も負けずに自信満々に言った。老人は俺の手からカメラを撮り覗き込み「フムッ!解ったこれならよかろう!」納得している。なんだ、なんだ勝手に納得するのはいいけれど事情を説明しろと言おうとしたその時、老人は俺のコートの袖を引っ張り、命令口調で「君、ちょっとこっちに来たまへ」と言って木立の方に歩き出した。その有無も言わせぬ老人の雰囲気に押され渋々付いていくと、雑談している女性達を後目に、木立にかけてある説明版を指さす。それには「震災の木」と書いてあった。それから老紳士はこう言い放った。
「君、せっかく東京にやってきたなら、このような東京大震災の傷跡を撮影して帰りなさい」ギャヒ〜〜ン!マイッタ〜〜!こんな落ちが待っているとは!なんてこった。まんまとやられてしまった。常習犯だこの老人。まんまと餌食にかかってしまったのだ。それににても達人だな〜人が怒りそうになる一歩手前で話を引っ張るあの手口はかなりものだ。
帰りの電車の中ではすっかり田舎者気分にさせられた。出がけに「良しこれで完璧だ」と呟いたのが嘘みたいだ。着てるコートまでが色あせて見えてしまったのにも参った。それにつけても逃げるように老人と別れたものだから、未練が残るのはあの銅像。あれは誰の銅像だったのだろう?皇居に支那人の銅像では右翼が黙ってしないだろうし、まあ「震災の木」を知っただけでも今日は収穫有りとしよう。奇妙な経験をした一日だった。

1月28日(木)
 「3月のような陽気で〜す。花粉も散らない今時は布団を干すには最高で〜す。洗濯日和ですよ〜」ラジオのいつもの女が叫んでる。三日前から敷きっぱなしの湿った布団にくるまっていた俺は「何言ってやがんで〜!こちとらそれどころじゃね〜や」ティッシュとタオル雑誌、新聞などでとっちらかった枕元を睨め回し呟きを上げた。悪性のインフルエンザにかかった俺に気を利かせているのか?面倒なのか?我が女房殿は寝室のカーテンを閉めっぱなしで陽の光を見ていないいや、待てよ、奴の顔さえ見ていないのではないか? 畜生手抜きをしてやがるな・・・てなひがんだ事を思っているうちに、5日前の23日土曜日のあの日を思いだした。その日は、いつになく暖かい日で風呂あがりだったせいもあり、ネルシャツに綿入れを引っかけただけで、<だいこん屋>店主、松本純氏が主宰する俳諧の鬼っ子・罰金制の「すずしろ句会」に出向いた。すこし遅れの8時に駆けつけた座敷はすでに酒盛り状態だった。居並ぶ俳友たちも顔を赤らめ意気軒昂。遅れてはならじと俺も酒を飲む。清記が始まる10時頃には座敷からはみ出されてしまう者まででる始末、常連の冷やかし組なども混ざり合い、あちらこちらで俳句どころか世間話で大騒ぎ。俺も負けずに飲み騒ぐ。選句用紙が回わされると、作者連には緊張感が走り、部外者はのんびりしたもので相変わらず賑やかしい。この日は出句数も多く選句作品が105句にもなった。互選も終わり、いよいよ宗匠松本氏の「お待たせしました、ではこれから始めます」の一声で披講となり一時全員息を呑む。俺は酒を飲む・・・。既にやばい兆候の矢野。
宗匠「0番 雪吊りの松に雪なく雪をまつ・・・この手のはたくさんあって陳腐・・・ハイ罰金300円」初会のいきなり罰金句で全員「う〜〜〜む!」。
宗匠「上弦の月掴み取る枯木立」やばい、俺の句が早くも4句目に登場するとは「う〜ん!」矢野「ドキッ」宗匠「俳句にはなっているけど・・・懸かりをり」と添削され矢野「なるほど」と、空々しくうなずき心のなかで罰金無し・・・うっ嬉しいセーフだ!また酒を飲む。
そんなこんなが延々と続き「ハイ本日の最終句」の声が出たときには既に1時過ぎ。各自の選評も終わりお疲れさまの声が出たのが確か2時頃。何時になく大勢の人たちとの競い合い、興奮と披露で酒の勢いも借りて、やが俺は前後不覚にちりぬるを。4時頃までは記憶にあるが、何時寝てしまったのか起こされたのが午前6時。この記憶にない数時間が俺の命取り。翌、日曜日には二日酔いとは絶対に違うという妙な確信の悪寒と高熱に襲われ、世の中の動きが分かる頃には、三日三晩悪夢の狭間を彷徨い続けることになってしまった・・・。
去年の暮れから年明けと凄まじい勢いで、我があど弁舎関係でもインフルエンザ恐慌が起こっていたけれど、まさかこんなにもの凄い奴だったとは・・・。
いや〜!参った!参った!なめたらいかん・・・!何年ぶりかな〜こんなおっ恐ろしいインフルエンザにかかったのは。皆さんも、気をつけて下さいね。外出したとき、こいつは危ないと思った奴の側には行かないこと、不幸にもそんな奴とニアミスした時は、ぶっ飛んで水道を見つけ即座にうがい・・・。また不覚にもかかってしまったときは何がなんでも寝る。も〜本当にどうしようもないんだから〜!