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12月31日(金)ど〜んより曇り
昨日までの、ポカポカ陽気のお天道様が顔を出してくれないので、2000年問題の年越しを控え、嫌な雰囲気で目覚めた。しじみの散歩で町中に出ると、まだ昼過ぎだというのに人の姿が薄く、町の辻辻もすっかり片づけられ、道路も掃き清められ、水が打たれたりしていて実に清々しい。気のせいか生活空間の密度が広がったようで、歩く阿佐ヶ谷の空気も旨く感じられる。
歩くといえば、散歩途中でお飾りの着いた扉から、ワイシャツ一枚の人が飛び出してきたりすると、本当に今日は大晦日なんかいな?と訝ってしまう。こんな暖かい大晦日も珍しいんじゃないかな?特に2000年問題も絡み、今年は、後6時間程で迎える年の瀬といった気分が沸き上がってこないのだ。まぁ、泣いても笑っても後、コンピュータ問題も数時間で事実が証させるのだ・・・。と言ってる間に、ラジオのニュースで「2000年を後数時間で迎える今日、早くもイギリスでは、コンピューターの誤作動でカードが使えなくなってしまった」と言っている。やはり何か起きそうだな?
とにかく2000年に向って歩き出していることは確かだ・・・オレもロウソク用意して歩き出そう!
12月30日(木)晴れ ポカポカ〜!
今年最後のひとときを、我がジャズ喫茶娥楽亭で過ごしに行く。店長ハジメは、リストの制作の真っ最中・・・オレの顔を見た途端、「昨日はすごく沢山のリクエストがあった・・・なんと7枚もあったんですよ〜」と喜色満面・・・奴はリクエストをされる時が最高なんですと、常々言っていたが、本当に嬉しそうに言う。「じゃぁ、久しぶりに客も沢山来たんだろう」と聞くと「ううん!リクエストの数だけ」ギャフ〜〜ン!まっ・・・大変な闘いの場を作ってしまったと内心後悔しながら、小一時間ジャズに身を委ねると、もはや後悔は何処かに吹き飛んでいってしまっている、ジャズは本当に体にいい。 石井クニちゃんが、バレー留学している倅の服部有吉を訪ねて3週間の滞在を終えドイツから無事帰国。お土産を持って現れた彼女は、ドイツの美容院でカットして貰ったのか、ショートカットにして、またひとつ若返っていた。今、映画の世界からは遠のいてしまっているが、ATG映画『初恋地獄変』にクニちゃんが主演して以来付き合っている(残念ながら清く正しく)素晴らしい仲間のひとりなのだ。そうだ、有吉君はあの大作曲家・服部良一の孫に当たり、その服部家のホームページ「胸の振り子」が、オレの阿佐ヶ谷不届記とリンクしているので紹介しておこう。
12月29日(水)晴れ ポカポカ〜!
綺譚倶楽部が入っている建物の一部はアパートになっていて、かなり前から外国人たちがそこに住んでいる。一時期は数十名もの外人が、せっせせっせと出入りしていた。そのほとんどが、バングラデッシュ出身者で、同じフロアで出ッ食わす彼らの中には仲良くなった奴もいたが、お国柄の違いか結構ヤバイ雰囲気になったこともあった。そして、この不景気・・・最近とんと彼らの姿を見かけることがなくなったな〜と思っていた矢先。ここに来て、俄に彼らの動きが怪しくなって来た。というのも、ここ数日、各部屋の中から山のようなゴミをはじめ、扇風機、ベッド、食卓セットなどおびただしい生活用品が運び出され、階下の通路に投げ捨てられはじめた・・・・どうやら引っ越し?夜逃げの態勢。
これって、もしかしたらオーバーステーの外人達の間でひとり歩きし始めた例の噂のせいか?
昔、オレが持っていた超安アパートは、どういう訳か上海出身者ばかりが入居しており、近所ではこの怪しいアパートを<リトル上海>と呼び、要注意アパートとして睨んでいた。そんな折り、中野警察にとっ捕つかまった中国人が逃亡する事件があり、その逮捕劇の一環として、近辺の一斉アパートローラーが始まった。これ幸いと誰かが警察に怪しいアパートがあると、このアパートをチクッた。運が悪いのは、そこに住んでいた上海人・・・ある日、アパートに用があり出かけてみると、全室、生活用品もほとんど残したままで、蜘蛛の巣を散らしたようにもぬけの殻。それっきり誰もここには帰ってこなかった。かわいそうに、とんだとばっちりを受けてしまったのだ。彼らは皆、不動産屋の紹介で入居し、しっかり入国査証、保証人も取っていたのに?結局、彼らもオーバーステーか、密入国者だったのだろう。こうしてみると、バングラデッシュの彼らも、2000年には人っ子一人居なくなっている可能性があるな〜。
2000年を迎える場所を鈍我楽に決めた。後数分になると、周りの人たちもザワザワし出しなんとなくドキドキしだした。その時、ある奴が「アレェ〜〜!携帯電話が使えなくなったよ〜!」と喚きだしたから・・・サ〜大変!オレもわたしもと、それぞれの携帯電話を持ち出し「ワァ!わたしの携帯<暫くお待ちください>だって!」オレも、オレもで大騒ぎ!2分前〜〜〜〜1分前・・・5,4,3,2,1おめでとう!ドキッ!来たぁ〜〜〜2000年!ドキッ!店内しばし沈黙・・・「な〜んにも起きないないじゃないか」「イヤッ待てよ、今頃どこかの空を核弾頭が飛んでいるんじゃないか?」「ヤイノヤイノ」で結構みんな安心したみたいだ。ふと考えれば、風呂に水を張ったり、各室に懐中電灯をおいたり、ガスボンベや、ロウソク、水を買い込んだりしたオレはなんだったのだ。ま〜〜、なにはともあれ何事もなく年を越せて良かった・・・と、有志一同で神明宮に初詣。すでに午前の2時半近く、境内はまるでアミューズメントパークのようなノリで、酒に酔い参拝の人たちの間を、我がもの顔で飛び跳ねている若者たちで溢れ返っていた。参拝もそっちのけで、そいつらの傍若無人な態度の悪さには頭に来たていた。その時、突然境内の奥で雄叫びが沸き上がり、ものの倒れる音や格闘をする音が聞こえてきた。間髪入れずに、参道にパトカーが二台現れ、警官が数名境内に飛び込んでいった。遠巻きに見ていると、真面目そうな二人の青年が、両腕を警官に羽交い締めにされながら、しょっ引かれてきた。興味津々で、中からでてきた人に訊ねると、なんとも今時さもしい奴らで、賽銭泥棒だった。その盗んだ金で、参道の夜店で大盤振る舞いしていたそうだ。それを先程来、オレのむかつきの原因になっていた、件の傍若無人若者達が捕り押さえたという。
ふんっ!分かんないものだ、真面目そうなのが犯人で、逮捕に協力したのが、あの不愉快なバカヤロウたちとは・・・?意外な展開に憤懣やるかたなく今年は開けた。
12月28日(火)晴れ ポカポカ〜!
昨夜は、就寝後、畳に足を、二の腕を布団の外に投げ出しても、寒さを感じさせない暖かさに、寝苦しい一夜を送った・・・本当に12月後半の陽気なのだろうか・・・?
昨日、和子といった定食屋にまた夕食を食べに一人で行った。メニューにレバーフライを見た瞬間「すいませ〜ん!レバーフライ定食ね・・・」不覚にも、痛風の天敵的食材であるレバーを頼んでしまったのだ・・・。このレバーフライは、オレの東京名物食い物10傑に入る好物で、お江戸は下町、知る人ぞ知る月島名物なのだ。それが、まさかこの阿佐ヶ谷で出会えるとは、嬉しさ半分、後悔半分。待つこと暫し、「おまとさまて〜す!」、「えっ!奴はアジア人かぁ?定食屋に合わね〜な〜!」、出されたお盆の上には、黒々としたどでかいレバーのフライが三枚・・・・「チッ違う〜こんなドドメ色では艶消しだ、こんがり狐色にしてくれ〜!まてよ、でも、旨そうだぞ・・・フライの大きさも凄い、月島だったら串一本分がここの1.5枚分だ・・・大食らいだったら大喜びだろうな」と、一口噛むとジワ〜と甘みを帯びたレバーの味がする、血抜きもしっかりしている・・・「う〜ん!やるな〜!」結果は大満足・・・お勘定は900円とコストパフォーマンスも大変に宜しい。「おまとさまて〜す!」はアルバイトのお運びさんで、料理を作っているのは日本人で、何故かホッとしたのだった。
いよいよ「良いお年を」の挨拶が飛び交いだした年の暮れだが、まるで実感が湧かないのだ・・・。
12月27日(月)晴れ ポカポカ〜!
今日は、今年最後の薬を貰うため、医者のハシゴ。内科、泌尿器科の患者達・・・みな同じ気持ちなのか、何処もやたらに混んでいた。最後に薬局で薬を貰うまでに、3時間ほどを費やしてしまった。
おまけの最後の薬局では、妙な中国人が飛び込んできて、薬剤師のおじいさんになにやら言うも全く通じず、オレに救いを求める始末。紙に書けというオレの言葉に、早速書いた言葉が「自動症」このクスリを呉れといっているらしい。こんな病気聞いたことがないと、薬剤師とオレ。奴は身振り手振りで話すが結局通じず、この間20分・・・すごすごと帰っていった。すっかり面食らった薬剤師とオレ。
こういう状況に陥った時は無駄な時間を取られ、えらくソンをした気分で一日優れないのがオレの性分
12月26日(日)晴れ ポカポカ〜!
阿佐ヶ谷に「登龍」という、普茶料理で有名な割烹がある。オレは一度ここに来たかった、数十年も阿佐ヶ谷に住んでいながら、足を踏み入れたことがないところだったから。そんな折り、野球チームの忘年会を何処でやろうかという話が幹事からあり、オレは即座にここを指名と、いうよりも懇請したのだった。そして、幹事の働きで今日、念願叶い初めてここの暖簾をくぐることが出来た。この忘年会にオレは仕掛けをひとつ作っておいた。せっかくの割烹座敷での宴会ならばと、ちょっと様子の良い旦那衆の気分を味わいたく、落語家の横目家助平さんを呼んでおいたのだ・・・みんなには内緒で。
慌ただしく進行する忘年会場・・・6時に到着した助平さんは、早速広間の上手に座り一席始めだすと、なにせ落語などとんと縁のない会場の野球バカ連中・・・目を白黒・・・。演目は「目薬」いわゆる艶笑落語である・・・とんとんと話が進むが、連中まだポカン・・・下げに入ってもまだポカン。
仕掛けたオレは「こりゃ、しまったかな?」と多少の後悔。助平さん余興の紙切りがでると、流石に分かりやすいこともあってか、来年の干支「辰」を切る頃にはバカ受け状態・・ホッと胸をなで下ろした。次の座敷を控える助平さんも帰り、会場のみんなに感想を聞いたところ、<最初は何が何だか解らなかったけど・・・良かった、本当に良かった、こんな経験をさせてくれてありがとう>まで言われたときは、<やった〜!酒は上手いし、料理も最高、座敷も結構、仲居さん、お女将さんの気遣いも心憎いほど宜しく結構、結構、オレの作戦丸ごと大成功!>とほくそ笑むオレだった。
おまけ・・・買い続けていた競馬重賞レース、バカの一点買い「2−4」がついに、最終レースでやって来た。バカにしていた連中メッ!「ど〜だ〜、帳尻あってしまったろうが・・・まいったか〜!」て気分。オレってホントに、ついている・・・イイ星の下に生まれた男なのよ・・・・!
12月25日(土)晴れ ポカポカ〜!
今日は、我が草野球チーム「ライジングサン ホーボーズ」1999年度最後の試合を松ノ木球場で行う。それに先立ち、藤永くんと荻窪「新星堂」まで、新ユニホームを車で取りに行く。黒のシャツにブルーのライン、くるぶしまで来る白のズボンもブルーのライン・・・どこかダイエイ・カラーに似ている。3時試合開始というのに、相変わらず集まりが悪いメンバー。草野球名物「近沢審判」のプレーの声がかかったのは、すでに3時30分頃になってしまっていた。対するは、西荻のアル中軍団、宿敵「ヘイガース」・・・お互い見知った顔が揃う中「エッ!ホーボーズ、ユニホーム変えたのかよ〜」の声に我がチーム全員「エッヘン!」と胸を張り・・・「なにはともあれ女房と畳の喩えがあり、なにはともあれ新しいのはイイものだ」。フィールドを駆け回る白黒のユニホームは、スピード感を増し格好が良く凛々しく見える。それにしても、ニュー・ユニホーム汚れてはならじと、ホームに滑りもまぬ選手達・・・で、結局サヨナラ負け。
12月24日(金)晴れ ポカポカ〜!
目面しく一本のビールで、気持ちが悪くなってしまったので・・・早くに帰宅、そのまま就寝。
12月23日(木)晴れ ポカポカ〜!
日出ずる国の天皇誕生日は、中天にある大満月が印象的だった。そのマンマルな姿は、神秘的なまでに輝き、美しき神代の時代を思い出せとばかりに、地上の愚者達を見下ろしていた。
その満月の夜、人は豹変するそうだ。例えば、統計的に見てると満月の夜、大きな交通事故が集中しているそうだ。オオカミ伝説が象徴するように、夜・満月・オオカミというキーワードが、人の心の奥底にある何物かを引きずり出す作用をするみたいだ。オレは豹変どころかナ〜ンもなかったな〜?
こういう話をすると、聞きかじりの科学論で解決しようとする無粋な奴がいる・・・俺はキライさ!
もう一冊の写真手帖の<おぼえ>に、中学1年当時・所持品の型番が書いてあった・・・カメラ「ミハマモデル」「オリンパス35-s
NO.30699」ガン「west ハイパーB」、距離計「walz pat360258
388452」,フィルター「ニッコールF2」「マツダ ゾナー(40.5mm)Y48
2」、ミハマ、距離計はまだ持っているが、あとは手元に残っていない。そのほかに、自転車「ツノダ軽快車 板橋30399」、時計「セイコー・ユニーク15石 D76133
」、空気銃「N・K・K1240」などなど、この頃からコレクターへの片鱗か?・・・物に対する愛が見え隠れしている。
まったく脈絡もなく、あるページにこんな事が殴り書きしてあった「23日避難訓練 通信簿 数学、図工が2になってしまう。」出来悪かったものな〜!そんなこともあったのか・・・トホホホ!
12月22日(水)晴れ ポカポカ〜!
写真手帖の大きいほうの一冊の表紙には、吉永小百合のブロマイドがはられている。
長年持ち歩いていたので、すっかり剥げ落ちてしまっている。しかし、よくみると、そこには若く美しさをとどめた面影が残る、小百合さんのお姿がそこにあるのだ。
ウッヘッヘ!そうなのだ、なにを隠そう、このオレさまは天下無敵のサユリストだったのだ。
熱に浮かされはじめたのが、渋谷区本町に引っ越した中学1年ごろ。この家から7〜8分歩いて甲州街道を渡ると、京王線初台駅がある。駅を通り過ぎ、しばらく歩くと、代々木上原の屋敷町に出る。
その一角にある屋敷・・・高く大きな塀の中からピアノの音が聞こえてくる・・・その主が小百合さんなのだ。その塀の外に自転車を止め、聴くピアノの音は、思春期を迎えた多感な少年の胸に甘酸っぱい香りと、よろこびをを運んできてくれたものだった。自転車で行けば、ものの数分がそうさせたのか、年がら年中通っていた。ピアノが聞こえてくるまで塀の外に佇む少年、今でいえばストーカー・・・
近所の人に訴えられ、挙げ句の果ては代々木警察にとっ捕まって・・・少年Aだった。
今は、そんなことには絶対しない・・・!。だって、素晴らしく素敵な女に出会たって駄目。いくら己を奮い立たせ体中を突っつき回しても、あのような気持ちが沸き上がることはない、カナシィ〜〜〜!
12月21日(火)晴れ
何かの週刊誌に連載している、嵐山光二郎のエッセイで、自分の机の中にしまい込んだ、様々なものを、ひたすら書き連ねた文章を読んだ・・・?というよりも眺めたような・・・記憶がある???
今日、何気なく机の中を覗いた瞬間にそのことを思い出したので、今日はそのことを書こうかと思ったが、もっと凄いものを発見したのでそのことを書こう。その発見したものというのは、古ぼけた二冊の手帖とB5版の写真雑誌である。写真雑誌の発行日を見たらなんと昭和三一年だった。全ページで色が付いているのは表紙だけのシンプルさ。赤い地に白抜きで「写真の友」、その文字の下にはモノクロ写真で可愛らしい女性のポートレイト。その写真の上に、=特集=写真上達の秘訣30項 百円の赤い文字が踊っている。紙の質もかなり劣化していて、恐る恐るめくってみると・・・黄色く変色した記事ページは頼りなげだが、以外にグラビアページはクッキリとしたトーンを保持していた。この本は、オレが中学時代に古本屋で買っていた、写真雑誌の最後の一冊で、どういう訳かずっとオレと行動を共にしている。実は、あの頃、写真関係の本といえば、子供には高嶺の花で手が届かなかった。写真の知識を得るために、少ない小遣いをためては、古本屋で季節季節の写真雑誌を買い、<四月のカラーフィルムの露出表>などといった、雑誌のコーナーを切り取り、一年間月々の露出表、動態撮影のシャッター速度表、フラッシュ照明の基本技法などといった、テクニック講座のような自分用の本を作っていた。それが、今残された、切り張りと書き込みだらけで作られた手製の二冊の写真手帖なのだ。一冊の手帖の書き出しページには<3Sを忘れるな!!>と書かれていた・・・すっかり忘れてしまった3S・・・
あの頃から記憶力が弱く、何かに書いては忘れるのがオレの常だった・・・やはり、次ページにしっかり記憶せよとばかりに書いてあった【3-Sとは 距離=スケール(Scale)
絞り=ストップ(Stop) シャッター=シャッタースピード(Shutter
Speed)】のことなり。
ページ後半には、<もの知りコーナー>と題した備忘録まであり、Dの検索には<デフォルマシオン><デリケート>ときて、将来の自分を予知していたような書き込みに出くわした・・・<ディレッタント>慰みや趣味本意で美術を愛する人、半可通の美術好き、あるいはみさかい無く美術品を買い集める人>と書いてある。
ませていたな〜!中学一年で「ことなり。」<ディレッタント>か〜!これは続きが書けそうだ!
12月20日(月)晴れ
毎月第3月曜日の今日、ATOM写真会の集まりに出席。
この会は今回で68回目になる。中心的な核になる数名が頑張っているので、会としては一度も休んだことがない(人の出入りはあるにしても)・・・凄い会だとつくづく思っている。こういった、同じ趣味の世界での集まりというものは楽しいのだが、これでなかなか会を維持していくことは難しい。
まず、人の出入りが激しいところは駄目だろう。人が多ければそれはそれで楽しいのであろうが、会全体の雰囲気が薄まって行き、散漫な人間関係が出来上がり次第に人は離れていってしまう。
やはり少人数でも、核になる人たちがいれば長続きすることは確かだと思う。
この日もそんな連中の集まりになったが、作品の出来は情けないくらい低調、そんなときの連衆は作品をほったらかしで、酒に走る・・・挙げ句ほとんど忘年会のノリになってしまった。それでも、写真会は、ある奴の提案した「こんな日は最低賞を作ったらどうだろう・・・その賞の名は<悪>だ」で、盛り上がり初代<悪>は、昔の外国旅行写真を持ってきた横着な奴に決定した・・・そんなこんなで、会の終盤当たりになると、すっかり酒も回り「来年はグループ展をやろう」と全員で快気炎を上げるのだった・・・そしてある奴らは「次、行こう!」と会場を後に・・・・。
12月19日(日)????
今、日記を書こうかと机に向かい、ラジオをFENに合わせた途端、あのヒヨヒヨしたグローバー・ワシントン・ジュニアのサックスの音色が流れてきたので、彼のことを書こう。
オレは、新聞を見るとき必ず死亡欄から読み始める。この長年の習性が高じて、自分のホームページでも感心のある人の訃報は必ず載せるようにしている。今日も俺にとって感心のある人の訃報を朝日新聞が、意外なほどの大きな扱いで伝えている。それがジャズサックス奏者グローバー・ワシントン・ジュニア・・・テレビでの演奏の録画撮りの後に倒れ、そのまま死亡したそうで、まだ56歳。若い! 先日、BS映画劇場で観た「ブルースブラザース2000」で、ジャック・ディジョネット等と、出演・演奏していたのを観たばかりなので少し驚いた。クリントン誕生パーティでも吹いていたっけ・・・。実はオレ・・・この人はあまり好きなミュージシャンではなかった・・・。何故かというと、ベトナム戦争も終結となった70年代後半、世の中あらゆる業界がひたすら軟弱路線を踏襲し始め、ジャズの世界も例に漏れず、ロックの台頭に押され始めたのだ。焦ったのか若手のジャズ演奏家は、4ビートから逃れエレキ楽器で8〜16ビートとリズムを稼ぎ、グィ〜ン、ギャグィ〜ンと皮膚感覚オンリーのフュージョンの世界に飛び込んでいってしまった。そして本来あるべき人肌のジャズが無くなってしまい、アクースティックで人の心に入り込むことをしなくなってしまったのだ。
彼は、そのバカヤロフュージョンの旗手的な役割を担っていたからで、ある意味での戦犯なのだ!
残念ながらジャズは、結局そっちの方向に行ってしまい、元の姿に戻るのには100年かかるだろうと言われている(嘘)。そんな風潮に背を向け、彼らの曲、彼らのアルバムに抵抗をしているうちに、オレは時代遅れとなってしまったのだ<どうしてくれるんだ〜!>愚痴ってもしょうがない・・・合掌
<CBSテレビの演奏後に倒れたというのだから、完奏したのだろう、まさしく遺作と言っていいだろう。>
12月18日(土)晴れ メッチャ寒う〜〜!
松ノ木球場で4時間も取ってある練習と、旭化成チームとの再試合は、夕方からの寒さでトンズラ。どうしたことだ〜!そうか世の中忘年会シーズン真っ盛りなのか〜!どうりで最近人がこない。
おまけに今日は、阿佐谷北口、南口両駅前に、オーム真理教阿佐ヶ谷事件以来のものものしさで2〜3台の消防車、救急車ががサイレンを鳴らしながらやって来た。綺譚の窓から見ると、ホームに電車は止まったままだ。「オームではないだろうから、中央線名物飛び込み自殺があったのか?いやまてよ、飛び込みに消防車?やけを起こした飛び込みが、爆弾を持っていたのか?・・・・」畜生!生まれ持った、野次馬根性がムクムク沸き上がってくる・・・「エ〜イ!じれってぇ〜こちとら江戸っ子で〜見に行きて〜〜よ〜!、なにがあったか解らない、情報が届かない客は来ないでは、まったくものすごく損した気分になるな〜!」と、独り言。
12月17日(金)晴れ 11月上旬のホカホカ陽気
月刊誌「オール川柳」の表紙が魅力的だ。巻頭グラビア特集 新撰組、鬼の副隊長 土方歳三の五七五 ほかに川柳インタビュースペシャル 立川談志と載っている。
本をめくれば、2ページ目に【立川流】川柳のススメの文字と、笑みを浮かべた談志師匠の写真がある・・・この顔がとっても良い。早速、インタビュー記事を読み始めると、もはや談志ワールドに突き飛ばされている。8ページにわたる対談からは、いかに落語が川柳、俳句と関わっているかといった事柄もさておき、日頃から談志が勉強をし、自ら教養を深めているかということが伝わってくる。バッサバッサと人を切り捨てる露悪的な毒舌にも、各界のお歴々が談志の元に集まる謂われがこんな所にも垣間見えるわけだ・・・凄い人だ。
それはさておき、面白いのは巻頭グラビアで特集している土方歳三の記事だ。
<しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道>なんと、これは新撰組において、「鬼の副局長」の名で恐れられ、最後まで官軍と闘い腹部に銃弾を浴び、壮烈なしを遂げた土方歳三の句なのだ。
無知なオレは、本当にビックリしてしまった。土方歳三が俳句、川柳を詠むことを知っただけでさえたまげてしまっているのに、このような恋に揺れ動く心の襞を句に託していようとは・・・!
<手のひらを硯にやせん春の山><我年も花に咲かれて尚古し><年々に折られて梅のすかた哉>
ちなみに土方歳三は、「豊玉」という優しい俳号を持つ。
12月16日(木)晴れ
頼まれていた「全日本焼とん愛好会」の原稿と写真を、今日取りに来ると行っていた唐茄子屋譲二が、以外や横目家助平さんとやってきた。先日の「助平の会」をすっぽかしてしまったこともあり、ちょっと決まりが悪い。そんなオレの気持ちを察してくれたのか、助平さんは「今日は紙を持ってきましたよ!矢野さんの似顔を切りましょう!」といってくれた。暫し、雑座談の後「それでは切りましょう」と、ハサミと紙を持ち、オレの顔を正面から見つめ(紙切りで正面の似顔絵を切る人は珍しい)、アラッヨット、チョチョイノチョイで「ハイ出来上がりました!」早い、上手い似てる。「ハイ!それでは、そちらの伊藤さん・・・ハイできました!」「それでは、そちらの佐土さんも!」ハヤイ、ハヤオ「ついでに、唐茄子屋も!」・・最後の唐茄子屋は少し手抜き・・・今度キッチリ切りましょう!
彼らが帰った後も、似顔を切られた本人同士でうまいもんだと大感心。店を閉め鈍我楽に行けば、そこでもまた助平さんが、紙を切っている・・・店長のひふみ、風俗研究家の・江戸川、後から来た、吐夢の和子・・・みんなみんな切っている・・・この人も昨日の映画バカと同類、本当に好きなんだな〜!目の前でのアトラクション・・・その芸の裏では、切磋琢磨している彼の姿を思うと感動ものである。
12月15日(水)薄曇り
監督は平山秀幸、脚本・鄭 義信、出演・原田美枝子、熊谷真美、広岡由里子以上、阿佐ヶ谷に縁のある人たちで作られた映画「愛を乞う人」は、第22回モントリオール世界映画祭、国際評論家連盟賞、国内の映画賞を総なめした作品だが、オレには食指が動かないテーマだったので観てはいない。
和子は真っ先に劇場に一人で観に行った。感想は「テーマが重たいけれど大変良い映画だった」といっていた。その後、下田治美の原作を読んだ和子は、映画よりも良かったといっていたのは、余程女の心を揺さぶるテーマなのだろう。国内での映画の評価は高かったが、男にはちょっと、荷の重いテーマがそうさせるのだろう。オレの周りの男達も観にいったという話は聞かない。そのせいか、評価とは裏腹に観客動員は、はかばかしくなかったようだ。
こんな事を今書いているのは、昨日、平山監督が中嶋竹彦くんとプロデューサーの栗田さんとやって来たからだ。彼らは椅子に座るなり、もう映画の話・・・大島渚の「御法度」でチーフ助監督の大任を終え、来年に予定されている中島監督初本編作品誕生などの話で尽きない・・・彼らは、何時もそうなのだが、何時間でも談論風発・・・本当に映画が好きなのだ・・・。映画バカに乾杯!
*平山監督は「学校の怪談」シリーズなど、コンスタントに作品を発表している。
12月14日(火)薄曇りでちょと寒い
2000年問題は、本当になにがあるか解らなくなってきた。小渕さんのコマーシャルを見る度に、危機感が迫ってくる・・・と、いうわけで五日市街道の安売りの酒屋で、水をどっさり買い込んできた。ついでに、お正月用だという和子の提案でビールを買った、買い込みすぎて車の荷台は満杯。
どうも、ああいうところに行くと気が狂ったような買い方をしてしまう・・・帰り道タントムで、ガスボンベ・・・ネコ用簡易トイレ、キャットフード、ドッグフードなどをしこたま買い込み、用意万端、万事OK!こうなると2000年になにがあるのか楽しみになってくるから不思議・・・。
さ〜!来いってんだ2000年・・・あっと、人間様の食糧問題忘れていた・・なにを買おうかな〜!
12月13日(月)冬晴 相変わらずのポッカポカ陽気の午後
朝・枕元で、しじみが「ウンコしたいよ〜クイーン!」とすがりつく、最近あやつ奴食い過ぎ・・・ 久しぶりに、夜の11時頃から和子と家で酒を呑み始め、もうすでに午前二時をまわっている。酒と暖房のため真っ赤な顔をした二人は、ぼんやりテレビを見ていた。酔ったオレが、がちゃがちゃチャンネルを回し深夜のNHKに合わせると、鹿児島の高校で、難聴の女子高生が、硬式野球に打ち込む姿をカメラが追っている。どうやら【2000
青春メーッセージ 九州地区編】という番組らしい。
オレが「何でこんな時間に、こんな番組をやっているんだ、いったい誰が見るんだ」と言うと、すかさず「アンタ!」と和子が吐き捨てるように言う。ところが、二人とも画面にグングン引き込まれてしまい、最後には、彼女の言った力強いメッセージに泣いていた。こんな素敵な17歳もいるのだ・・・
他にも数人の若者の「青春メーッセージ」を見たが、ただ素直に・・・素晴らしい・・・清々しい
これが<青春万歳>なのだ・・・これは、オレのような、つたない文章では語りきれない・・・
鹿児島の女子高生は、全国大会で2000年1月10日に出演・放映されるそうだ・・・是非見よう!ちょっとクサイが、彼女、彼たちの青春時代と将来に乾杯・・今日は清々しく寝れるぞ・・・!!!
12月12日(日)冬晴
昨日、巣鴨「加賀屋」で行われた「全日本焼とん愛好会忘年会」は面白かった。
北は青森から・・・集まりも集まったり、まさに「全日本」の名に恥じない大集会だった。
贅沢なまでの芸達者揃いの宴会は、人の気をそらせぬ舌鋒巧みな名誉会長「なぎら健壱」、無骨さがとても落語家とは思えぬ会長の「橘家文吾」、剽軽な司会者「柳家三太楼」と落語協会の「北村真澄」の二人、なんとも独特のフラが愛くるしい「春風亭昇太」、愛国の人と話に聞くが、以外と若くさわやかな雰囲気な作家「ベン村さ来」、来客全員の名を寄席文字で書いてくれた「橘右楽」、頓珍漢な「圓龍師匠」、ひたすら明るく五月蝿いまでも元気な「春風亭勢朝」などの、達者な進行で大笑いの連続で、四時間近くの宴もアッという間に終わってしまった。席上・・入会してよかったの声しきり。
夜「中野芸能小劇場」での「第31回
横目家助平の会」に、中野まで出向くが、人にあまり言えないトラブルで中止帰宅。それにしても、中野北口駅前?「中野芸能小劇場」何処にあったのだろう?
12月11日(土)冬晴 部屋の中を半袖短パンで居られるくらい暖かい
本当に暖かい、お陰でしじみの散歩も清々しく軽快で助かる。
数十年ぶりに巣鴨駅で降りた。この町は、突然の父の死後桜上水の大蔵省の寮を出され、叔父の持つ小さな家に仮住まいした小学三年から中学二年まで住んでいたのでオレにとっては思い出深い町なのだ。五時から始まる「全日本焼とん愛好会」の忘年会まで、多少余裕があったので昔の我が家を探しにいった。探すといっても駅のすぐ側に住んでいたのだから、簡単に分かるだろうとタカを括っていた。
しかし、これでもかというほどに街は一変しており、林立するビルの谷間を彷徨い、多分この辺りだろうと当たりを付けたのが、スーパー「西友」の敷地内であの時代の気配は跡形もなく消し去っていた。昔、中山道をぶった切る山手線巣鴨西口駅を降りると、駒込方面に向かって線路に沿った急な坂道があり、坂の途中は露天のような小さな商店が連なっていた。その坂の裏町が飲食街。飲食街といっても、夜ともなるとここは、特殊な地帯となる。近所の子供たちは風呂の帰りなどに探検と称して、覗きにいっては大人達に追い払われていた。あり合わせの材木で作ったような、掘っ建て小屋の店が肩を寄せ合い、店頭でなにを焼くのか、焼けこげた醤油の素晴らしい臭い、店の数を補いきれない、すえた臭いの公衆便所、うすぼんやりとした裸電球の店内には、妙な化粧をした女たち、荒くれた大人達が沢山いた。ほとんどの店が、泡盛酒場と書かれた汚らしい赤提灯が釣ってあったのが記憶にある。
坂の途中の小さな商店を眺めながら歩を進めると、左手は飲食街の裏手にまわる形になり、飲食店街と隣接するかなりの区画を隔絶するため、ベルリンの塀のように大きな塀がぐるりと立っている。
その内側は殺風景な原っぱで、近所の子供たちのかっこうな遊び場になっていた。そのなかに、小学校の同級生の娘がいた、連れ込み旅館「蔦や」がで〜んと建っていた。
その辺りから坂の右手には瀟洒な住宅が建ち並び始める。道路を境にしたアンバランスな雰囲気は、子供心にもある種の階級差別といったものを感じとったものだった。そして我が家は、残念ながら瀟洒とはいえないまでもその坂の途切れた一区画にある小さな家に住んでいたのだった。今は昔。今は西友。
12月10日(金)冬晴
50歳を越える当たりからポツポツと届いていた、喪中のハガキが、近年やたらに増えだし、今日も1通届いた。今年はこれで何枚目だろうか。それもこれも、戦後、団塊世代あたりが、世代交代の真っ直中に立たされ、祖父祖母を送り、そして父母を見送る役を仰せつかったからだろう。
オレも、10数年前に父を、8年前に母を見送りお役御免になってはいるが、まぁ、人間やってりゃ順番こにやって来る役割だからしようがないと云えばそれまでなのだが、こう多く喪の手紙が届くとやるせなくなってくる。
12月9日(木)冬晴 実に暖かい
昨日は太平洋戦争開戦の日、ジョン・レノン命日である。若者達は、ジョン・レノンの命日を知っていても戦争の日は知らない・・・そのうち、<ジョン・レノンが、パール・ハーバーで撃ち殺された日>になっちまいかねない。
ガキの頃から通い続け、素晴らしい人たちとの出会いや思い出が一杯詰まった堀さんの<R>は、堀さんの死後、オレやある人達にとって、もっとも大切なサンクチュアリになった。
その堀さんの<R>を、なにを勘違いしたのか、先人の意志を継いだという大バカヤロウが現れ<R>と同じ名で再開店してしまった・・・・最悪だった。聖域を汚された思いにかられ・・・その時からオレは、その階段を封印していた。そして、この日、オレの喪が開けた・・・堀さんの三回忌が過ぎるまでは、絶対に上らないと誓っていた禁忌<bar<R>の階段>。仲間達にも「あの階段を上ったらゆるさんからな!」と喚き続けていた・・・禁忌の階段をついに上がったのだ・・・。
<R>の隣に、先年開店したバイク仲間・木下の店<スカル>の、遅ればせながらの開店祝いと、同階にある<WILD
S>に用事があったからだ。
一段目に足をかけた瞬間・・・・一気に駆け上がり<R>の扉を開けたあの時代を思い出した。
12月8日(水)冬晴か?
またまた二日酔いなのだ!麻生順司くんの出産祝いで、つい一杯やってしまったのが、あと引き酒になり延々と一人酒で午前4時・・・薬を7種類も飲んでいるというのに、これでいいのか〜〜!
身体を気遣って今日はズル休みを決め込み自宅待機、「なにが!」といわれそうなだらしなさに乾杯。
12月7日(火)見事な冬晴
午前7時50分起床・・・今日は二度寝だな!
1999年という年は、オレの周りは凄い出産ラッシュだった。
名前を挙げれば三浦 峻くん、門脇泰雅くん、大川 全くん、浦野健太・遊太くん、橘高悠介くん、平野 舞ちゃん、そして昨日、野球仲間の麻生くんが立派な男の子を授かった。時に顕著な傾向は、9人中男8に対して女1・・・さ〜この男衆、将来女日照りに悩まされるのであろうか・・・・?。
流石に、もう出産の連絡はないだろうと思うが、いやはや・・・・結構な物いりだった・・・フ〜!。なかでもビックリしたのは、矢野匠悟くんの誕生・・・そして、オレは爺さんという名を持つ身分に格上げされてしまったのだ・・・なんと匠悟はオレの初孫なのだ・・・とは云いながら、まったく実感のないオレではあるのだが・・・。
また、あど弁舎を辞め身内にように付き合ってきた、元従業員のうち4組までが立て続けに出産したことだった・・・。この子達の将来が楽しみだ・・・10年後くらいに同窓子供会でも開こうか!
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オレはあの日、テレビに向かって「死刑だ!こんな奴死刑だ!」と、頻繁に呻いていたそうだ。
そう、とても殺人者としては似つかわしくない名を持った女が逮捕されたあの悪夢の夜だ。
先の子供達を思えば、幼児虐殺という行動に対して、理由はどうあれオレは異常に反応してしまう。
12月6日(月)晴
午後一時起床、酒煙草を控えた一日を送っただけあり、流石にさわやかな目覚めだ。
その分、夜食は盛大に酒を呑みうまい物を食うぞと昼間から虎視眈々・・・決まったテーマが鰻。
江戸っ子に馴染みのある鰻といえば、落語の世界でも有名な「神田川」。それと同じ名の店が近くにあり、結構格安でうまいので、ヤケクソになったときは、死んだ気で出かけていく。
和子にそろそろ行こうよといえば、あやつは、「ちょっと待ってこれが終わるまで」と、仕事でたまにしか見れないTVの馬鹿番組に夢中。(最後にエアホッケーとダーツをやる番組)じっと我慢で付き合ううちには、はまって観ているオレもバカッ。
「神田川」の暖簾をくぐり分けたときには八時半になって腹はぐるギュル・・・。
<とりあえずビール>が、一気にはらわたに染みわたり空腹を助長するが、じっと待つ、ひたすら待つ・・・つまみの枝豆を競争で食う。同じ待つのでも先だってのデニーズとは訳がちがうのだ。
「おっまちど〜〜〜ッス!」とオヤジの胴間声。な〜ンの気取りもないこの形・・・これがいい。
お重の蓋を開け、鰻に山椒を振りかければ、そこは阿佐ヶ谷「神田川」?・・・う〜旨い。
こうして、今日の<空腹は最大の調味量>は最大限に生かされたのだ。
12月5日(日)晴
土曜日深夜・しじみの散歩をしたかどうかも覚えていない・・・今日も二日酔い・・・
そんなわけで、このところ日曜日は休み前の安心から来る油断か、大二日酔いで外出も控える完璧な休肝日となった・・・いいことなんだか・・・・行動が鈍くなっただけなんだか・・・歳なんだか!
目が覚めたのが午後2時半、朦朧状態でしじみの散歩を小一時間して、帰宅するなりどてっと居間に寝転がり、たいして縁もないの県なのに、BSTVで「お〜い!とことん山梨県総集編」を見続ける。
夜は、延々とケーブルTVの映画を見ていた。観た映画はロブ・ライナーの「アメリカン・プレジデント」劇中、大統領の娘がサックスの練習をしているあたりから、おんや〜?どっかで見た景色だな〜と、思った瞬間にリモコンでチャンネルを変えた。クッソ〜わざわざ吉祥寺まで観に行ったやつではないか・・・ボケッ!20分も観ちゃったじゃないか!気分を直して、初めては待ってしまった、大河TV番組「元禄繚乱 四家預かり」が始まるまで、リモコン・サーファーで一休み。
次に観たのがステーシー・キーチ主演の「偽りのプロファイル」多分・・・ウ〜ンこれはもしかしたらミステリなのかな〜、綾織りが細かすぎて、ストーリーを追うだけで精一杯、いわゆる起承転結が大ざっぱ。だぶん、日本未公開?嫌々TV局が、何かと抱き合わせで買わされた映画ではないかと思う。役者駄目、ストーリー駄目、画も悪く、色が汚い、しっかり最後まで観てしまった。ボケッ!
最後に賭けたのが、明け方の3時から始まったスティーブン・キングの悪評を取った「痩せゆく男」これは、デブが特殊メーキャップでどのように痩せてゆくのかが醍醐味の、せこいスリラーで評判通り・・・終わったときは午前5時。二本と20分・・・あ〜今日は一日損したっと!
12月4日(土)晴
この秋?初めてアメ横で買ったお気に入りのセーターを着て、和子と散歩に出た。
神明宮の骨董市にも行ってみたが、回を重ねるごとに活気が無くなり、近いうちにこの市は終いになるのではないかと思ってしまう・・・そんなわけで、今日は出物に巡り会わなかった。
散歩途中、阿佐ヶ谷パールセンターのなかで意味もなく<牡蠣フライ>が食べたくなった。センター内を探すうち、とうとう青梅街道の出口まで来てしまい、この商店街には、天麩羅、揚げ物、トンカツ系の店が一軒も無いことが判明した。区役所前の「デニーズ」ならきっとあるという和子の説を信じ入店し、無事<牡蠣フライ>を発見。それほどの混雑を見せてはいない店内なのに、灰皿に吸い殻が3本、待つこと20分が過ぎかなり苛ついてきたが、<空腹は最大の調味料>と・・・じっと我慢。
出てきた念願の代物は、見事なくらいに小粒に丈も揃って、あからさまな冷凍野郎が黒々と横たわっている。思わず、ひっくり返せるものならひっくり返してやろうとテーブルに手が掛かった。ヤラレタ!くっそ〜!これで、アイスコーヒー付きのセット料金1380円・・・旨そうになにやら食っている、客席を舐め回して、腹の底から思った・・・こんな店を食堂代わりしている連中の気が知れない。
土曜の日、店の口開けは唐茄子屋譲二と、落語家・横目家助平。そのせいか、週末だというのにいっこうに客が来ない・・・口開けは艶っぽい女性がいい・・・これ定説。延々と無骨な男同士の時間が続く。さすがに、この雰囲気も飽きてきた頃合いに、虫歯で頬を張らした伊藤正之が撮影帰りに登場。賑やかな伊藤ちゃんが混じり会話も活気づく最中・・・助平師、伊藤ちゃんは初対面につき恒例に記念撮影。その後、小沼夫妻(オヤジ&かおる)が登場と、入れ違いに帰ろうとする間際に見せた、助平師の間近に見る流石の芸<紙切り>の技に、一同狂喜乱舞で大喝采・・・。ドラエモ〜〜〜ン!!!
しっかし、おっ恐しく暇な土曜日だった・・・落語の符丁で「ツ離れしない」とは、まさにこのこと。
12月3日(金)晴
夜、伊藤正之が現れ「今日は阿佐ヶ谷タウン誌「ラピュタ通信」の創刊だよね、ちょっと本屋で買ってくるわ」と飛び出していった。買ってきたその本をみんなで回し読みしていると、その本の出版元の社長・才谷くんが秘書と創刊号をどっさり持って現れた。「しまった、買っちゃったよ〜!」という伊藤正之の言葉を押しのけ、才谷くんが、「やっと創刊できました、それでは皆さん一人三冊から販売します」と、本を常連達に売り始めた。「エッツ〜!なんだよ〜、広告を出した店にタダで配ってるのじゃないのか〜!」と云うオレの言葉や、「どうなってるんだ〜洒落がきついよ〜!」という常連達はまったく無視、さっさと一人一人に手渡している。結局、ほとんどの客が嫌がりもせず買った(当然一冊)のには驚いたが、その本の売り上げで呑ンで行こうというむ才谷くんの洒落ッ気精神にも驚いた。恐るべし、才谷。
12月2日(木) 雨 夜になると思いっ切りの冷え込み
少子化の話から男名前の話になっていった。
「四郎、五郎もすでに死語のような世の中になってしまったな〜!」
「昔は結構でかい数字の奴っていたよな〜!たこ八郎、笹十郎」
「いたいた、伊丹十三、海野十三、近衛十四郎ど〜んとでかく椿三十郎・・・」
「飛んでいいなら、倉田百三、谷口千吉、伊丹万作、山上憶良・・・」
「おいおい、その億は違うンじゃね〜の」
「う〜ん憶かーでかいな〜!・・・それなら居酒屋兆治でどうだ」
「京、糸〜〜〜無限大ウ〜〜ンなにやってんだオレ等」
詩人平出隆氏が「弔父百首」短歌の記録性と自由 発見
今日の朝日新聞のコラム【単眼複眼】に平出くんが、取り上げられていた。
詩誌「るしおる」三十八号に、亡父を看取った今年の日々の短歌を発表したそうだ。
無学なオレは「るしおる」という本を初めて知った・・・それにしても、平出くんの写真は随分若く凛々しい・・・そういえば、紹介記事に使われるときは何時もこの写真だな〜。お気に入りなのか?
阿佐ヶ谷辺りの本屋にあるのだろうか?・・・早速探しに行ってみよう!
12月1日 どんより〜後、雨
さ〜今年もこの月で終わりだ・・・ガンバロー〜!と気負って仕事に出かけたが
・・・
暇・暇・暇・暇・暇・暇・暇・ヒマ〜〜暇の字数だけの来客数・・・。
客の居ない綺譚倶楽部のカウンターで、頬杖をついていた編集者・薫ちゃんは、ドアの開く音で振り向き一瞬アレッという顔をした・・・俳優の佐野史郎がふらりと店に入ってきたからだ。
一人で来店したのは久しぶりの史郎くん、開口一番「再来年の舞台の打ち合わせの帰り」の言葉に、「再来年の仕事の打ち合わせ〜!気の長い話だな〜!」やり返せば「何言ってンの、今年も後一ヶ月、ということはもう来年の話のようなもの、ましてや一年はアッという間に終わるのよ!」
そうか〜!版画家平櫛田中は、100歳になった時、120歳までの版木を蓄えていたと聞く・・・人それぞれ生きるサイクルの違いがあるのは当然だが、ちょっとした会話のなかにも顕著に現れる人もいるものだと、つくづく思う今日この頃のオレ。だからどうした・・・しっかりしろヤノー!
小一時間後には、編集者、作家、建築家夫妻、俳優がカウンターに並び、ちょっとした文壇酒場の気配、久しぶりの史郎くんに、みなさんを紹介をするうちには、気兼ねのない元の綺譚倶楽部にもどった。後から来た伊藤正之と史郎くんが遭遇、彼らは同じ事務所ながら、ひさしぶりに合ったらしく会話も弾む。その後電話で呼び出された女優広岡由里子さんが登場し、カウンターは本田劇場【チュニジアの歌姫】以来の★★★揃い踏み。メチャ元気な三人の馬鹿話を聞いているうち、不覚にもオレは酒の酔いでウトウト・・・史郎くんの「ヤノさん、帰るよっ!」の大声で起こされる始末。
「歳かな〜、こんな事なかったのに・・・」
だからどうした、しっかりしろヤノー!
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